学校に行きたくない_note

「生きててよかった」と思える瞬間に出会うこと/『不登校新聞』編集長より

 8月に学校に行きたくない君へ(全国不登校新聞社 編)という本が出版されました。本書は、日本唯一の不登校専門紙である不登校新聞の「子ども若者編集部」の記者たちが著名人にインタビューした記事から、20名分をまとめた1冊になります。

 読売新聞や朝日新聞などでも紹介され、大きな反響を呼んでいます。

 ▼朝日新聞の記事は以下からも読めます。
 学校がつらい君へ 「頑張って家を出るな」著名人の言葉

 noteでは現在、悩める10代に向けて#8月31日の夜にと題した投稿企画が行われているようです。「私たちも何かしたい!」ということで、3回にわたって『学校に行きたくない君へ』の内容を発信したいと思います。というわけで初回は、不登校新聞の編集長・石井志昂(いしい・しこう)さんのコメントを掲載させていただきます。

▼「#8月31日の夜に」企画目次
第1回 「生きててよかった」と思える瞬間に出会うこと/『不登校新聞』編集長より(8/27公開)
第2回 脳には個性があり、その差に上下はない/茂木健一郎より(8/29公開)
第3回 楽しいことがあれば、それを生きる理由に/辻村深月より(8/31公開)

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「生きててよかった」と思える瞬間に出会うこと


■「私」が話を聞きたい人に取材にいく
 みなさま、はじめまして、『不登校新聞』で編集長をしている石井と申します。
 今回は、このたび出版されました『学校に行きたくない君へ』のもととなった、取材の裏側を書かせていただきたいと思っています。
 『不登校新聞』では、編集部のスタッフとともに、多くの場合「子ども若者編集部」のメンバーが取材をしてインタビュー全体を構成し責任を持ちます。
 彼らは不登校・ひきこもりの当事者・経験者であり、ボランティアで新聞に関わってくれています。月に1度の編集会議には、彼らも参加し、インタビュー候補者を挙げたり、さまざまな執筆企画を持ち込みます。
 インタビューの候補者を挙げる場合、私たちはある決まり事をつくっています。それは「私が聞きたい人」に限定することです。「世の中のため」「人のため」は考えず、「私」が話を聞きたくて「私」が救われるために取材へ行く、これが決まりです。
 「自分勝手な」と思われるかもしれませんが「私の思い」を煮詰めることで、プロにもマネができないインタビューになるからです。
 たとえば本書に収録されている翻訳家・柴田元幸さんのインタビューは、ある女の子が企画した取材でした。彼女は、学校でのいじめなど自分の身に降りかかった理不尽さに怒りを感じていました。当時の彼女を救ってくれたのがエドワード・ゴーリーの絵本だったのです。
 エドワード・ゴーリーの絵本は……、率直に言うと「暗くて理不尽」な話が多いです。彼女自身も「なぜこんな話に救われたのか」と不思議に思っていました。そこで自分自身の謎を解くために、エドワード・ゴーリーの絵本の訳者・柴田元幸さんのもとを訪れたのです。
 柴田さんが彼女になんと答えたのかは本書にゆずりますが、とても意義深い指摘をいただきました。このように、記者たちが「私」をきちんと追い求めるからこそ、意味のあるインタビューになるのではと思っています。

■失敗はするものです
 『不登校新聞』の子ども若者編集部メンバーと取材をするということは、トラブルも続出します。
 決められた時間と場所に来ると言って来なかったり、来ないと言って来たりすることは日常茶飯事すぎて、くわしく覚えてもいません。
 と、えらそうに書いている私も、社内では屈指のトラブルメーカーです。取材時に写真を撮り忘れたり、音源を撮り忘れたり、取材の約束をすっぽかしたり、講演時間のなかばまで家で寝ていたり、なかなかやっちまっています。
 そんな私が「失敗はするものです」と思っているので、編集部メンバーも背中を押されるのか、たくさんのトラブルを起こしてきました。
 トラブルが起きる原因はただ一つ、真剣に取材に取り組もうとするあまり過度に緊張してしまうからです。緊張しすぎてしまい、取材前から道端で座り込んだり、前日に一睡もできず血走った眼で現場に来たりします。取材が始まると緊張感はさらに高まり、誰かとメールで相談を始めたり、取材相手にため口でうんちくを語りだしたり、過呼吸気味になったり、いろんなことがありました。
 そんなときは、みうらじゅんさんの「10代のころはまじめすぎて非常識になる」(『不登校新聞』99年4月1日号)という言葉が胸に染みてきます。
 北海道浦河町には「べてるの家」という精神障害などをかかえた方たちの地域活動拠点があります。「べてるの家」は「べてるはいつも問題だらけ」と公言し、問題だらけの人生や場を肯定する力の獲得を目指しています。私たちの編集部は、まだ「べてるの家」の領域には達していません。けれども、トラブルが起きることが問題なのではなく、多少のトラブルを許容できないのは組織として許容量が狭いとは思っています。なので私たちは「失敗はするものです」と言い続け、それが「あなたはあなたのままでも大丈夫」というメッセージになるのではとも思っています。
 あっ、もちろん、わざとトラブルを持ちむのはお止めください。

■「生きててよかった」と思える瞬間に出会うこと
 『不登校新聞』の子ども若者編集部には、いろんな当事者・経験者が関わってきました。みんなが取材を通してどう感じたのか、本当のところはわかりませんが、具体的な進路はさまざまでした。正社員もいればフリーターの人もいます。公務員や科学者、八百屋さんになった人もいました。『名探偵コナン』の江戸川コナン役で有名な高山みなみさんの取材で触発され、声優の卵としてがんばっている人もいます。編集部での経験を活かして『ひきポス』というひきこもり当事者がつくるメディアを立ち上げた人もいます。
 もちろん、今でもひきこもっていて生きづらい人もいれば「不登校当時、何がたいへんだったか忘れてしまった」と言う人もいます。
 私が忘れられないのは、映画監督・押井守さんへの取材後、「今日は生きている気がした」と子ども若者編集部の一人が言ったひとことでした。記事中は数行しかない質問文も、取材現場では長い時間をかけて子ども若者編集部の人が思いを込めて語ります。自分を開示することは勇気がいることです。でも、それがなければ相手も真剣に答えてくれません。こういう真剣なやり取りがあったからこそ「生きている気がした」と言ってくれたのだと思っています。
 その一言がとてもうれしかったのは、私自身も同じような思いを感じたことがあるからです。糸井重里さんやみうらじゅんさんなど憧れの人たちへ取材をしたとき「今日は生きててよかった」と思いました。それが14歳で不登校をし、人生を本当は投げたかった私の転機になりました。
 子ども若者編集部は、当事者が社会に適合するための場ではなく、就労支援の場でもありません。ただただ「今日は生きててよかった」と思える瞬間に出会うこと、これを目指しています。
 だから就労とか進学とか、そういう変化がみなさんにあったのかは、ささいなことなのでくわしく覚えていません。ただ、たまに元編集部員に会うと「あれはまずかったね」と失敗談を笑いあえたりするので、これはこれで大事なものを得られたなあと個人的には思っています。
 みなさんにも、この本を通じてそんな瞬間を味わっていただけたら嬉しいです。

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 「世の中のため」「人のため」は考えず、「私」が救われるために取材へ行く――。その中で出会えた様々な「生きててよかった瞬間」が詰まった1冊が『学校に行きたくない君へ』です。書店で見かけた際には、ぜひお手に取ってみてください。

※この原稿は、『学校に行きたくない君へ』に収録されているコラム1~3を再編集したものになります。

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