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トモダチの元カレ


「新しい投稿」というポップアップで表示されたSNSをクリックすると幼児がクレヨンで描いた顔の画像が飛び込んできた。

「2歳になりました!」と絵文字の添えられた投稿には、絵の画像とともに、私と同い年の男性の顔の写真と、可愛い子供のツーショットが上がっている。

黒縁メガネの短髪で、チェックのワイシャツに身を包む、真面目そうな風貌はそのままだ。

彼は、私の友達の「初めての彼氏」だ。
「初めての彼氏」だった人だ。

◆◆
「彼氏を紹介したい」と連絡してきた友人に招かれて、彼に会ったのは19歳の春だった。

私は二つ返事で彼女とその彼と会う約束を取り付けた。日に日に強くなる日差しを感じながら、そういう小さい出会い、そしてその出会いがまた運んでくるであろう出会いに期待だけが膨らんでいたのを覚えている。

学生時代はお金もなく、大した遊びなんてできなかったんで、旧友のもたらす小さな出会いが何よりも楽しみなひと時だったのだ。

私たちは一杯180円でコーヒーが飲める、チェーン系の珈琲店で初めての面会に至った。

それまでの彼女はどちらかというと大人しめで、コミケで趣味活動に没頭する真面目な女の子だった。

10代後半、「恋愛」というものに対しての経験は十分になく、どこか生ぬるい空気に包まれていた高校生活を経て、男の子という存在に憧れのような、尊いもののような、そんな理想みたいなものを抱いて、それを引きずったまま、成人を迎えようとしていたのだと思う。

「初めての彼氏」、として紹介された彼は、黒縁メガネで真面目そうで、優しそうな人だった。

隣で笑う友達を見て「いい人見つかったやん」と、私も心からそう言ったことを覚えている。

二人はともにオタク趣味で一緒に楽しめる共通項が多いようで、しかも性格も合っていたように思うし、何より、一緒にいてとっても楽しそうだったのだ。

「結婚できたらいいなあって二人で話してるんだよね」

その後も、彼氏抜きで二人で遊んだ際に、彼女はそう言ったんで、私は「えー、先越さんといてほしいなあ」なんて、冗談交じりに返していた。
二人の交際は、順調そうだった。

彼女とその彼と何度か遊んだのち、私と友達の彼氏はお互いのSNSを交換した。
私のSNSの「友達」に、彼が追加された。


◆◆
彼女の家庭は大変厳格な家庭だった。
父親はある分野の権威といえる人、母親も専門職で、両親ともに上等の学位を持っており、彼女はそのプレッシャーの中で受験に挑んだ。

彼女が語る彼女の父親はとても厳格で真面目で、とっつきにくい印象だった。

だけど、おそらく彼女は世界で一番、父親を尊敬していた。

彼女が「良し」とする価値観の多くは、私が話を聞く限り、彼女の父親から来たもののように感じられた。

私の周りには、権威ある父親に畏れやプレッシャーを感じながらも、その実その父親を誰よりも尊敬する、という、アンビバレントな感情をもつ女の子が少なくなかった。

大学教員の父
医者の父
研究職の父
大企業の役員の父…

「父親に褒められる」
「父親に認められる」

これが目標になってる優等生の娘というのは、存外に多いようだった。

多分、それは、経済的に豊かである家庭のティピカルなパターンの1つ、なんじゃないかと思う。

父親が家庭の財産を食いつぶしながら飲み歩く我が家とは対照的な家庭だったが、話を聞く分に、あれもあれで大変そうだな、という感想を、私は持っていた。

我が家とはまた違う意味で「失敗」が許されない雰囲気だったから。


そんな彼女は、父親が生業とする分野の学部に進み、無事合格した。

「父親と同じ道に進みたい」

という彼女に私は内心、

「それって、ホンマにやりたいことなん?」

と思っていたけど、別にいう必要もないかと思ったし、何より進学に水を差したい訳ではないから黙ってた。

彼女の普段の関心は、全く別方面だったことを知っていたし、その方面で彼女は多分に才能のあるタイプだった。それが私からすると、少し惜しいように思えた。

進学後も大変そうではあったけど、そこでやっと「幸せ」が見つかったのなら、良かったじゃないか。
そういう背景もあって、余計にそう思った。



◆◆
そんな彼女から久しぶりに連絡が来たのは12月が迫る晩秋だった。

学校の後期が始まってしばらくしてからは、私はアルバイトと、体育会系の部活の練習試合でクタクタになる日が続いており、10月11月の記憶なんかほとんどなかったし、彼女やその彼氏のことは、一旦頭の中から完全に消えていた。

「会って話せるかな」

改まってどうしたんだろう、と私は呑気に彼女と会う約束を取り付けた。

「他人の重い話とか聞いても大丈夫なタイプだよね?」

「え、わかんないけど、多分。」


「初めての彼氏」を紹介された同じ店で、私は彼女がちょっと前に子供ができ、そして今はもうその子はいないということを知った。

「うちのお父さんには言ってないんだ」

と気まずそうに彼女は言う。
うん。まぁ話を聞く限り、言える人じゃないし、言わない方がいいと思う…。

「お母さんと一緒に病院に行って…」

お母さんがどうにかしてくれるタイプの人で、それは良かった。費用もお母さんが出してくれたんだね。

それを、彼女は今後少しずつアルバイトして返していくそうだ。

話を聞きながら、自分の心の中にある、板みたいな何かが、ぐにゃっと曲がって行くのを感じる。

「○○くんに話しても、友達と遊ぶのに忙しそうで聞いてくれないし」

仲良さそうだったのに。
真面目そうなのに。
彼はどう思ってるんだろう。
友達と遊ぶのに忙しい?
どういうことだろう。

それにしても、もし私が彼女の立場だったら多分母親にも言えないな。
うち、そんな余裕ないし。

多分私だったらボコボコに殴られた上で家から追い出されるな。
家族に絶縁されちゃうだろうな。
うちの家族、私が妊娠しようものなら殺してきそうだし。
私だったら、自殺する以外の方法はなさそうだな。

っていうか、中絶って危なくないのかな。
私たちが性教育でみた中絶のビデオはめちゃくちゃ怖かったじゃん。
体にだってすごい負担じゃん。
あと、中絶費用多分私には払えないな。
10万以上するんでしょ、それどうすんの。
あれって、サインとか要らないんだっけ?

いろんなことが一挙に頭に押し寄せてくるものだから、私は何も言えなくなってしまったし、彼女の話を聞くべきなのに、「もしも今の自分が妊娠したらどうなるか」が頭の中を渦巻いてしまった。
こんな時に、私はなんて自己中なんだろう。


私の言動は明らかにおかしなものになっていたと思う。そんな私を察してか、彼女の方から謝られてしまった。

「なんか、こんな話してごめんね」

「…。」

彼氏は?彼氏はどう思ってるのだ?
友達と遊ぶのに忙しいって、何だ?

「こういう話したくないみたいだし、忙しいって言われたから」

え、そういう問題なの?
それで済むの?

多分色々、自分の考えをうまく伝えられず、その場は解散となった。



しばらくして、彼女は全てのSNSから消えた。

学校も中退してしまった。

共通の別の友達から、二人は別れたと聞いた。

彼氏の方は学校に残った。
彼には、希望の研究室に進んで、良い就職をする、素敵な未来が待っている。



◆◆
まぁ恋愛関係のことなんか、第三者にはわからないし。
私が何か言うようなことでもないし。
何も言えないし何も分からないな、私には。

と、色々ふつふつ湧いてくる考えを、私は飲み込んだ。

その後も、大学を卒業する前に、似たような話をいくつか聞くことになった。

こういうのは、実は、よくあることなんだ。

あれだけ仲が良かった恋人が、そういう

「ややこしい」

ことになったら、急に心の中からいなくなっちゃうんだな。

何かしらの、〈パターン〉のようなものを、私は学習した気がした。

そりゃあ初めてだから、お互い上手く「処理」できないだろう。

その時に、自分の体が生み出した結果から〈逃げられる方の人〉と〈逃げられない方の人〉とがいるんだな。

大事(オオゴト)にしない方が、結局は、〈逃げられない方の人〉の身を守ることになるんだな。

事情を知らない人に、あれこれ言われたくないだろうし。

そうやって秘密裏に、母と娘がもろもろを処理していくんだな。

権威ある父親や、輝かしい未来が待っている「元カレ」たちは、たぶんそれを理解することなく終わっていくのだろう。

性教育は大事だって、世間は言うけど、まぁ、そんなの知ってるんじゃないかな。
みんなどうやったら子供ができるかくらい分かってるんじゃないかな。
(ああ、でも確かに、そうじゃない人たちもいるし、もしかしたらそっちがメインゾーンなのかもしれないけど…)


しかし、二人で及んだ行為のその後、急にこの世界に一人ぼっちにされるリスクがあることを、実感として、どのくらい〈私たち〉が分かってたかはもう分からないよね。

コトが生じて初めて、私たちは実はずっと一人ぼっちだったってことを悟るわけだ。

二人でやったことでも、最終処理をするのは〈私たち〉だ。
まぁそれだけっちゃ、それだけか。
そういうのが「自然界のルール」で、「本能」なんでしょう。



◆◆
母親が仕事を増やして不在にする時間が増えた私たちの家の中で、タバコを吸いながらビールを片手に、テレビを見ている父親を学校から帰ってきた私は横目で見る。

ちょうど夕刻のニュースの時で、うるさい民放の中で政治家が言った。

「女性が子供産んでくれないからどんどん少子化が…」

今ではたぶんNGなのだが、10年前までは割とこういうの、堂々と言われていたんだよね。

人は見たいものを見るんだろう。

我が国の法律を作ることを生業とする彼にとって、少子化の原因は女のせいであって欲しいんだろう。

私はその時、早く女が、一人で堂々と子供を産める世の中が見たいと思った。

吹けば飛ぶような、一瞬の愛情に気を許した結果、自分の体の行き先を、仕方なしに決めないといけないような世の中は、見たくない。

子供を増やしたいなら、子が減るのが女の責任というなら

早く女が一人で産める世の中にしておくんなまし、それがお前らlawmakersの仕事やろが

なんて、テレビの中の彼に言ったって仕方がないな。

見てる世界が違うし、知らないまま終わるんでしょう。知ったところで、その事実自体を認めないか、個人の自己責任にするだけだろうし。



◆◆
友達の元カレの子供は可愛かった。

友達の元カレはその子供をとても可愛がってるのだろう。

良い父親になんだろうな、少なくとも私の父親よりはちゃんと父親をやりそうだな、と思う。

SNSの「友達」から、私の友達は消えて、友達の元カレだけが残ってるって、なんか変な感じだな。
彼とその子供の写真を見つめながら、改めてそんなことを考えた。

「選ばれた方の命」と「選ばれなかった方の命」ってどうやって決まるんだろう。

「望まれた方の命」と「面倒くさいと思われちゃった方の命」、どうやって決まるんだろう。

「そういうこと」になった時に、自分も相手も、どうなるかなんか、当時恋愛経験もろくにない私たちには分からないわけだし。

考えや状況次第で、その時に「望まれた方の命」になる可能性だって充分にあるわけだし。
実際に学生結婚する人たちだっているしね。

結局、そうなってみないと分からないよね。

「人を見る目」云々言う人いるけどさぁ…
人の対応とか誠実性ってのも、変わるんだよね。相手によっても、時間や機嫌、時期によっても。

誰かに対して真面目で誠実な人が、自分にたいしてそうしてくれるとも限らないよ。真面目でも、真面目だから、処理できずに急に逃げちゃう人もいるしね。

急に子供ができたなんて言われて、これまで優等生やってきたヤツほど、頭が処理できないとか、あるしね。

そうなった時に、やっぱり、女が一人で安心して産める世の中であってほしいと私は思う。

吹いたら飛ぶような気まぐれな男女の愛情なんかなくても、子供は育てられる社会がいい。

ただでさえ体に負担がかかるんだから、心にまで負担をかける必要はない。

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