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ナイトクラブで哲学書を読みといて踊り狂いたいし。

僕は読書がすごく好きです。

多分好きだろうし、周りにも「読書好きだね」って言われることは多いし、自分自身もそう思っているし、2021年度は日本の歴史に関する本を700冊以上読んで1本の動画を作ったほどです。安心と安全と信頼の実績です。安心感半端ないっす。

僕は読書が好きではないです。

正確にいうと、好きだという確証は未だ持てないでいます。時間が余ればいつだって本を手に取るわけではないし、読んでる途中に「先が長いなぁ!」と思って読み飛ばしたくなることはたくさんあるし、というか、何か別の目的がないと読むモチベーションも湧きません。だから「動画を作るぞ」という目的を決めて日本史の本を読みました。

僕はYouTubeで僕が勉強したいろんな内容をまとめて、動画としてアップロードしていますが、これは自分による自分のためのモチベーション維持システムの1つです。

だから、YouTubeに動画をあげてるという意味では、ユーチューバーかもしれませんが、僕的にはただ自分の勉強ノートを公開してるだけのつもりでいます。

実際、動画にするってなったら責任感が生まれて、モチベーションだけではなく、情報正確性などにも意識が向くようになるし、自分より詳しい視聴者の方からのフィードバックもめちゃくちゃ得られるのでオススメでございます。


話は少し変わりますが

この雑文シリーズは今後も続きますが、そもそも何か目的を決めて書くものではなく、話題を色々と適当に移り行く文章になるので、話が色々変わるのはお許しくだせえ。

僕は結構、岡田斗司夫さんという方が好きで、YouTubeにある膨大な動画でいえば半分以上は見ているのですが、中でも感心したのが「褒める」ということを貨幣化するという発想です。

この動画の24分30秒あたりから人間関係が苦手な人に対して「人を褒めろ」ということを岡田さんは語っています。

で、他の文脈で「ネット上の活動でいいねをもらったりして一方的に誉められすぎるとどんどん失敗が怖くなっていき、精神的にしんどくなって活動すら辞めてしまう」みたいな話をされていました。

そこで登場した概念が「褒め言葉」というものは貨幣のようなもので、どこかに偏在し、留まってしまうと不健全な状態なのだという考えでした。

実際、経済でもある種の常識として、お金は回るからこそ意味がある、経済社会の血液のようなものなのだ、という考え方が受け入れられています。


このような「経済におけるお金」と「人間関係における褒め言葉」という感じで類比して考えるのは僕自身は好きで、面白いなぁと思います。


この類比は世界史でも好き勝手な妄想を広げることができます。

世界史あんまり知らない、という方はこの動画も見てくださると嬉しいです。

そもそも理系と文系の違いは何か、と言われたときに僕はいくつか答えの選択肢を持っていて、その1つが

理系は世界に関心があり、
文系は人間に関心がある

というものです。

例外はあるかもしれませんが、歴史は人間が生きてきた物語だし、物理は世界に存在する美しい法則性を追求する学問だと僕は捉えています。

そしてもう1つが、

理系は反復可能なものを扱い、
文系は反復不可能な物を扱う

という分類です。

例えば、僕の好きな数学でいうと、ひたすらにシンプルを追求する思想が数学の根底にはあると僕は考えています。

あんな三角形でも、こんな三角形でも、変な三角形でも、綺麗な三角形でも、どこかに直角があれば三平方の定理を適用させることができます。

要するに、

aの2乗+bの2乗=c(斜辺の長さ)の2乗

という有名な式は、何か個別の三角形にしかあてはまらない反復不可能なものではなく、あらゆる直角三角形に当てはまる、反復可能なシンプルな式だと言うことです。


この認識をさらに拡張させて、「直角三角形だけなの?」と疑問に思った方はちょっと数学のセンスがあるかもしれません。

あらゆる三角形に適用できる公式こそが、余弦定理と呼ばれるものです。

まぁ、式の形があんまりシンプルじゃないので、三平方の定理よりは有名じゃない感じがありますけどね。笑


逆に歴史というのは、2度と同じことが起きることは絶対にあり得ません。

反復不可能です。


ただ、歴史は「こことここ似てるな」みたいな類比を楽しむことであればいくらでもできます。


例えば教科書で「ロシアの南下政策」みたいな単語がよく登場すると思いますが、これもある種の類比みたいなものだと思います。


ロシアが黒海で港を獲得しようとしてイギリスなどに阻止され、次は朝鮮半島に進出しようとして日露戦争で挫折して、またヨーロッパ方面に進出しようとして次は第一次世界大戦にまでつながるという形です。

これはフラットに見れば南下政策とかではなく、「単なるロシアの動き」にすぎません。

しかし、歴史家がそこに何かしらの法則性、共通の性質みたいなものを見出そうとして、ロシアがやけに南側に進出しようとすることに気付いて、それに南下政策などと名前をつけたわけです。


長くなりましたが、類比が好きな僕は、歴史もすごく好きです。


あと、話を戻しますが、岡田斗司夫さんは「死ぬまで好きなことを話し続けたい」というようなことをおっしゃっていて、そこも僕はすごく共感しました。


僕は話すこともすごく好きです。


これに関連してすごく面白い記事を見つけました。

ぜひ読んでみて欲しいんですが、例えば超有名な話ですが、地動説について考えてみましょう。

地球が太陽の周りを回っているという考えのことを地動説と言います。

逆に地球を中心に天体の方が回っているのだ、つまり地球は宇宙の中心なのだという考えを天動説と言います。

天動説は長い間、人々に受け入れられてきましたが、その主な理由はアリストテレスが天動説を支持していたからだ、などと語られることがあります。

それ以外にも様々な背景や原因があり、いろんな紆余曲折を経て、現在の地動説が正しいという考えに落ち着いています。

よって、ここでは

「地球は太陽の周りを回っている」

という事実を「結果」としてみましょう。

となった時に、その結果に至るまでには様々な「過程」があります。


で、教科書では「結果」がスッと膨大な文章の隙間に息を潜めるように挿入されているだけです。それの羅列が歴史の教科書なので、しばしば歴史の教科書は面白くない、などと批判されます。


でも、実際面白かったり、含蓄に富んでいたり、学びになるのはその「過程」の部分だったりするし、歴史の面白みもそういうところにあります。(と僕は思う!)


以下、上に掲載した記事からの引用
わかりやすい説明をすると「結論を理解する労力」が「その結論を導き出した労力」と誤解されるときがある/柴田史郎

余談:第一人者に直接話を聞くと面白いのはなぜか

いろんな分野の第一人者(創業社長とかも含む)や、試行錯誤している人に直接話を聞くと面白いのはなぜだろう。その人が知られている理由は「わかりやすい説明」で記事になっていたりする。

でも実際に会って話を聞いてみると、試行錯誤の「枝葉」の話が面白かったりする。直接聞いたら教えてくれるけど、大々的に話すようなものじゃないし、多くの人は望んでないので公には出てこない。

あとはまだ結論に至ってない話も直接聞かないと出てこない。まだ説明方法すらわかってないので。ここも面白い。

引用ここまで


ところで、僕は人に何かを教えるのが好きです。


だから、教育に関する事業を結構色々とやってきました。


で、やはり「説明が面白い!」「なるほど!面白い!」「わかりやすい!」と本当の意味で感心される時は、大抵「過程」をしっかりと説明した時です。


まぁそれはさておき、高校生とかと話したり、受験生の質問や悩みを聞いていると、「勉強のやる気が出ない」というものがすごく多くて、僕は勉強のやる気について何年間もずーっと考え続けてきました。

結果、僕の中では

「勉強する意義を感じていること」

という結果にまとまりました。


これは、「好成績を取ることで周りにちやほやされて獲得できる快感」でもいいし、「勉強によって知らないことを知れる知的快感」でもなんでもいいんですが、何かしらの「自分の中での意義」を感じていないとモチベーションは湧かないのではないかということです。


そんな中でめちゃくちゃ面白い記事を見つけました。



ここで書かれてあることは主に「日本語と英語の比較」を通して、英語を日本人が学ぶことによって「自分を深く理解することができる」という主張です。


以下に簡潔に僕が面白いと思った場所をまとめて、少し僕の意見を追加して書いてみます。(興味持ったら読んでください!)



日本は島国で均一性が高いのに対して、英語圏(例えばアメリカ)は異なるバックグラウンドを持っている人が多いので、日本よりも「共通の規範」がない。

だから、何か主張をしたければ、「明確な理由」が必要になる。

逆に日本の場合は、「共感」を求めて何かを主張することになる。


英語を学べば、

僕はこういう仕事をしている、なぜなら〜
僕はこういうことが好きだ、なぜなら〜
僕は、、、、、、、

というような思考が自然にできるようになる。

だから自分や色々な物事について深く考える癖ができる。



こんな感じだと僕は捉えました。


僕も似たようなことを考えていたので、「共感」できました。


確かに思い返せば、日本は他の国に比べて「共感されること」が人気を取ったり、バズるために必要な変な国だみたいな話を聞いたことがあります。



そういえばこの共感SNSはかなり面白かったです。タメになるというより、日本がどんな社会なのかというのが面白いなぁ、という視点で読みましたが、、、笑


逆に日本人に共感されるようなコンテンツは世界にスケールするのは難しそうですね。


あと、僕はDJが好きで自分でもたまにするのですが、知り合いにも大きく分けて2種類の人間がいます。

それは

「わいわいするのが好きな人」

「静かに楽しむのが好きな人」

です。でも、もうちょい大袈裟に分けたいので、


「クラブ好き」

「読書好き」


みたいな感じで分けてみます。


この2つの友人たちはわりかし対照的で、それぞれが自分の趣味の方が楽しいと信じているように思えます。


前者は夜な夜な飲み会をして騒いだり、女遊び(男遊び)に勤しんでみたり、クラブでどんちゃん騒ぎしてみたり、自分たちのように人生を楽しんでいる生き方の方が素晴らしいと信じています。


僕もそう思います。


後者は本を読んだり、美術館や博物館に足を運んだり、映画やアニメや漫画を楽しんでいます。


僕もそれは楽しいと思います。


もちろん2つに大別したからと言って、クラブに行く人が本を読まないと言っているわけではないし、美術館に行く人は全員飲み会しない、と言っているわけでもないです。また、もっと色々な趣味や楽しみ方はあります。


でも、両者は、異なるものを最も楽しくて、最も好きなことだと考えています。


さらに、「クラブ好き」はどこかで「読書好き」を「人生楽しみきれてない人たち」という風に考えている節があるように見えるし、「読書好き」は「クラブ好き」のことを羨ましいと思いつつもどこか軽蔑しているようにみえます。


でも僕は両者をフラットにみて、「両方面白いのに」と思っています。


だからDJしたり、フロアで楽しむことも好きだし、静かに読書することも好きです。


でも、両方楽しんだ結果、読書の方がより好きかな、と感じたし、その結果、僕は今でも「読書が好きです」と自己紹介で話したりするんだと思います。


比較して初めて、相対的に好きなことが分かったということです。


好きなものを見つけるというのは難しいことですが、色々な経験を積むことでうっすらと輪郭が見えてくるものなのかもしれないですね。



ちなみに、もっと楽しい時間を過ごそうと思い、クラブに行って、VIP席でニーチェの本を読んでみたら、騒音で集中できないし、席にいた人たちにバカにされたので、全然楽しめませんでした。


1+1=−1


みたいな等式も現実世界では成り立つのです。覚えておきましょう。



読んでた本。



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