天皇から読み解く「日本の組織における理想のリーダー像」
あらかじめ断っておくと、僕は人生でリーダーシップの本を読んだことがないです。
強いていうなら、『貞観政要』という本くらいで、これは単純に面白いので是非読んでみてください。
ということで、主に僕自身の少ない経験と、日本の歴史の知識をもとに話を進めていくことになります。
しかし、部活で部長やキャプテンをしている人や、サークル、学生団体で代表をしている人、もしくは何かしらの組織のリーダーをしている人にとって少しは役に立つような内容になると思います。
リーダーとしてどう振る舞うべきかを悩んでいる方は是非最後までお読みください。
まず前提として、僕は「一般的な世界に通用するリーダー論」と「日本におけるリーダー論」は明確に区別すべきだというふうに考えています。
もちろんこれは僕の少ない経験から弾き出された仮説にすぎません。
しかし、日本の歴史を眺めていくことでどうやらそれは、単なる妄想ではないようにも思えてきます。
ということでまずは簡単に僕のリーダー経験の話からしていきます。
僕が初めてリーダーをしたのは、確か中学の部活です。テニス部で部長かキャプテンか忘れましたが、唯一のテニス経験者(だった気がする)だということでリーダーになりました。自ら志願したわけではないです。
高校の時も部活でリーダーになりました。諸事情で1年生の後半あたりからリーダーをしていましたが、この時も志願したというよりは周りに推されてという感じだったと記憶しております。
高校時代はいくつか課外活動を行っていたのですが、そこでも十数人の小さい組織のリーダーをしていました。
大学生になってからも、100名規模の学生団体のリーダー(自分で0から作った)に成り行きでなったり、興味本位で参加したインターン先で謎の突出した結果を出してしまい、社長に数十人の学生部のリーダーを任されたりしていました。
今では大きな組織のリーダーはしていませんし、向いているとも思っていないので、小さな事業チームをいくつか持っている程度です。
さて、ここまで聞いて、なんやお前、一回も自発的にリーダーになってないやんけ!と思われた方もいるでしょう。
そうなんです。
今回の記事の肝はそこです。
おそらく、リーダー論と聞くと、さもカリスマ性のあるワンマンのキラキラした有能なトップが、ガシガシメンバーを引っ張っていくみたいな印象を持っていると思います。
僕も持ってます。はい。
でも、僕はリーダーであったと同時に色々な組織の破滅を見てきました。事情を話せば長くなるので割愛しますが、多くの組織の興亡を側から見れる立場にあったからです。
(それこそ大学で学んでいる経営学のケーススタディとかもこれに近いです🧸)
でも、僕は組織を破滅に導いたことはありませんし、時には組織として大きな結果を、なぜか出していたことも少なくありません。
もちろんリーダーだった頃から組織をうまく運営するために気をつけていたことは山ほどありますし、試行錯誤をしすぎたので正直思い出せません。
ただ、1つだけすごく意識していたことがあります。
それが、
リーダーは組織の
下僕であることを忘れない
ということです。
こないだアニメの文豪ストレイドッグスを見ていたら、(分からない人のためにふわっというと)敵の大組織のリーダーキャラがこんなことを言ってました。
これを聞いて、マジで共感したわけです。
後半部分はまぁ置いておいたとしても、前半部分、組織の奴隷。
まぁ、実際にリーダー職についていて、なかなかメンバーをまとめられないで困っている人もこれを読んでいる可能性があるので、具体的な手法にもいくつか触れますが、例えば、1番腰を低くする。
これはよくやっていたことです。
1番謙虚な人のように振る舞っていたということです。
これは必ずしも正解の手法だとは限りませんが、うまくいく時もあります。
もしくは、組織内でカップルができて崩壊する危機が起きたり、別組織への勧誘行為などが起きた時に、素早く、厳格に処置すること、などもあります。
まぁ、それはさておき、この辺りで話を日本の歴史、つまり天皇に移してみましょう。
日本の歴史をあまり知らない方は、是非この動画で軽く予備知識を入れるとより面白いかもしれないです。
(宣伝で恐縮です)
色々な見解はあるかと思いますが、日本の歴史における天皇のあり方は、簡潔に言えば「権威のみを持ちつつ、実権をほとんど持たなかった君主」というふうにまとめることができるかもしれません。
かつて、律令制度を整えた時代あたりには天皇の実権が強かった時期はありますが、徐々に貴族が力を持っていくようになり、天皇は貴族に政治の実権を委ねるような立場になっていきます。
この時代に天皇が実権を持って政治を展開できたとき、それをわざわざ「天皇の親政の時代」などと呼ぶわけですから、天皇にはもはや実権はあまりなかったとも読めるわけです。
いわゆる延喜天暦の治で、醍醐天皇、村上天皇の時代などですね。
さて、ここから院政などという時代なども経つつ、武士の時代に突入すると、天皇はいよいよ権威だけの立場となっていきます。
明治時代については評価がすごく難しく、色々な見方が可能ですが、1つの見方として、天皇は立憲君主として実権をほとんど持たず、軍部が天皇の権威をうまく利用していった、と言えます。
昭和20年(1945)以降は、「象徴としての天皇」みたいなものになったわけですが、まぁいずれにしても政治的実権はありません。
以上が日本の歴史の超駆け足の要約になりますが、もう少し細部を覗いてみましょう。
天皇が政治的実権を持たなかったら、いったい誰が政治的実権を持ったのか。
それは、時代とともにどんどんと移り変わっていきました。
貴族であったり、武士であったり、軍部であったり、内閣であったり。
じゃあ、彼らはなぜ天皇の座を剥奪して、自らがトップとなり、権威と政治的実権を全て自分の身に集中させようとしなかったのでしょうか。
世界史を学ぶと当然のように出てくる、「絶対王政」の時代のように、誰かに絶対的権力と権威の全てが集まった時代はなかったのでしょうか。
これもまた難しい問題かもしれません。
明治時代に天皇の名の下で国民を統合し、近代国民国家を作り上げるために、天皇という存在が過剰に持ち上げられた可能性もないとは言い切れないからです。
でもやはり、それも含めて歴史の一部だと僕は思います。
要するに、日本人は「結果として」天皇には権威がある、という状態を維持し続け、それを守ってきたわけです。
これは裏を返せば、誰か特定の人物に権力と権威の全てが集まることを嫌う傾向が、日本にはあると言えるかもしれません。
さて、少しずつ僕のリーダー経験の話と繋げてみたいと思います。
改めて内容を振り返ると、僕はリーダーを何度もしてきましたが、自主的にリーダーになったことはなく、それゆえに強いリーダーというよりはむしろ「弱いリーダー」でした。
メンバーに強いことを言うわけではなく、基本的にずっと穏やかにリーダーとして存在する、というイメージのリーダーでした。
まぁ、僕にはそれしかできなかっただけですが。
ただ、僕は、ただの弱いリーダーでいることに甘んじていたわけではありませんでした。
ここで僕の結論としての数式を見てみましょう。
日本における理想的なリーダーはこんな感じなんじゃないか、という仮説を無理やり数式に落とし込んでみました。
この値を最大化することが、リーダーとして最も良い振る舞いなのではないか、というヘンテコな提案です。
この式がダサいならこんな感じでも構いません。(経済学風)
このJを最大化すれば良い、みたいな。ちょっと苦しいですか?()
では、気を取り直して、なぜこう思うのかをお話ししていきます。
まずこの「J」の値を大きくするには、組織内におけるリーダーの権威をできるだけ大きく、そして、組織内におけるリーダーの実権をより小さくする必要があります。
さて、ここで部活における状況を見てみます。
権威という言葉はすごく曖昧ですが、例えば、「人格」「ユーモア」「知識量」「努力量」「優しさ」「寛容さ」「技術量」などを総合したものだと考えてください。
逆に実権というのは、「メンバーの意に関係なくどれだけ指示を出せるか」「リーダーの意見がどれだけ通りやすいか」「組織内の意思決定にどれだけリーダーの意向が関係するか」などでしょうか。
部活の例でいえば、権威を上げるために考えられるものは、「めちゃくちゃ自主練習をする」「単純にそのスポーツが上手い」「メンバーに人気がある」「ギャグセンスがある」などが考えられます。
実権を下げるために考えられることの中で、僕が実際にやったことがあるのは、部活内の仕事をメンバーにどんどん頼んでいくことです。
重要な局面で一言話す、などはしても、あまりやりすぎないことで、実権を減らすことができます。
ここまでお話しして、状況はなんとなくお分かりいただけたかと思いますが、あなたの頭にはこんな疑問があるかもしれません。
「なんで実権は強いより弱い方がいいのか」
「なんで権威は大きいほうがいいのか」
実権については、日本の歴史でそうなんだからそうでしょ、というふうにいうこともできますが、組織論として説明することもできます。
有名な概念として「権力格差」というものがありますが、すごく簡単にいうと、「上の立場の人間に強い権力が集中していればいるほど下の立場の人間は上の人間に意見しなくなる」というものです。
ホフステードという方が述べたもので、下の立場の人間が組織全体に疑問を抱いても、口を閉ざすようになることで、組織全体の意思決定の質が下がるのです。
と言ってもピンとこない方のために『武器になる哲学』という面白い本で紹介されていた事例を。
飛行機のコックピットには普通、機長と副機長がいるのですが、大抵の場合、副機長より機長の方が事故率が高いそうです。
一見すると不思議な現象ですが、権力格差を考えると理解できます。
要するに、機長が操縦していると、副機長は「あれ?その操縦まずくないか?」と疑問を抱いても意見できない。だって、機長はベテランだから。
でも、副機長が操縦しているときは、最も冷静で、たくさん経験を持つ機長があれこれ意見する。だからフライトの成功率が高くなるというわけです。
よって、組織として立場に関係なく意見できる環境を整えることは非常に大事で、リーダーに実権を集中させすぎないメリットの1つです。
ホフステードについて興味がある方は、以下の2冊がおすすめ。
次に権威についてですが、これこそが肝だと僕は考えており、リーダーだった時も可能な限り意識してきました。
すごく雑にいえば「すごい人だ」と思われるように振る舞う、ということです。
もちろん、中身空っぽ人間でみかけだけいい人になる、という意味ではなく、自己研鑽はメンバーの誰よりも行うということです。
例えば、学生団体で大学生をメンバーとするのであれば、
「知識量を増やす」
「何かしらのスキルを磨く」
「実績を出す」
「SNSのフォロワーを増やす」
「話が上手くなる」
「お酒をたくさん飲めるようにする」
「異性経験を増やす」
「ファッションに気を使う」
「ブランド物をつける」
「何かしらの信念を持ち、それを表明する」
「お金持ちになる」
まぁ、以上は大学生とたくさん関わってきた結果、効果あるだろうなと考えたものの一部なので、絶対効果があるわけではないし、僕自身がやったことがないこともあります。
ブランドとかは僕は使ったことがないので。
あと、僕はお酒も弱いです。
まぁ、僕にできて、あなたにできないこともあれば、あなたにできて、僕にできないこともあります。
リーダーをするとなれば、より一層の自己理解は必要なんだと思います。
自分の強みを見つけて、それを最も効果的な形で活用したらいいんだと思います。
まぁ以上のような経緯で、日本でリーダーするなら、やっぱ天皇型の統治が1番なのかなぁ、なんて考えた次第です。
ちなみに、僕の知る限り、強権的にリーダーシップをとっていた人は、7割くらいはメンバーに裏切られてお金を持って逃げられるか、権力を失ったタイミングで逃げられるか、彼女をメンバーに寝取られてました。
現場からは以上です。
【読んで面白かったリーダーに関するnote】
この記事は非常に面白いというか、うんうん頷きながら読めたのですが特に面白いのが2と5です。
2.相手のところまで降りて迎えにいく
相手に矢印を向けるために、前提としてリーダーは相手のところに降りていって迎えにいく意識を持つことが大事です。
リーダーは立場が上です。立場の上の人に下の人が合わせるということが言われがちですが、立場の上の人が下の人のところにおりて言って迎えに行ってあげる意識を持てるかどうかが近道だと思います。
例えてみると、高い位置にいて全体が見晴らしがいいポジションにいるのです。メンバーは相対的に低い位置にいます。仮に先が崖があったとしても必死に進んでいるときは見えていません。しかし、リーダーは高い位置にいて俯瞰して見えるので、先に崖がある事に気づけます。だからこそ、メンバーの位置まで降りていってあげて「先に崖があるからこっちに行こう」と迎えに行ってあげるのです。
5は「リーダーはメンバーに向かい続ける」ということが書かれてあったのですが、この記事では多少リーダーの仕事を美化しつつ、簡略的に話していますが、実際にやることは地道なことで、要するにこれでした。
メンバーと死ぬほど話す。
これはめちゃくちゃしました。
詳細は読んでみて欲しいのですが、例えば、この記事において「時間を費やして自分より優秀なスタッフを黙らせる」みたいなことが書かれてありますが、これも僕の捉える権威の一種です。
権威とは実力とは異なるので、リーダーに権威があれば、自分より優秀なメンバーがいくらいてもついてきてくれる可能性が高まります。
最後にこちら。
中にシェイクスピアの引用が含まれるので、引用マトリョーシカ状態ですが、構わず引きます。
数々の最高傑作を世に送り出したイギリスの偉大な劇作家・詩人ウィリアム・シェイクスピアは、このような名言を残しています。
つまり、優れたリーダーになるためには「多大なる謙虚さ」が必須になります。
もちろん、謙虚さが大切なことは誰もが知っていると思います。
では、なぜ大切なのかというと、その1つに情報が集まることがあげられます。
リーダーの重要な役割に意思決定があります。それには、なるべく多くの情報を集めて判断することが重要になります。
カッコつけて知ったかぶりしていると、肝心要の情報が集まらない…。
分からないことを分からないと言える。その素直さが周りから情報を集め、さらには支えたいという仲間の気持ちを高めます。
多くの歴史学者が理想のリーダーとする、カルタゴの英雄ハンニバルは、周りの仲間から常に「私がいないと、この人はダメだ」と思われていた(思わせていた?)そうです。
「リーダーを支えなきゃ」という気持ちが主体的で能動的な考えや行動に繋がっていく。
やはり、みんなが支えたくなる人であることはリーダーとして重要であり、それを叶えるには「謙虚」と「感謝」だと感じています。
謙虚さが情報を集めるとはまさにその通りだと思います。
謙虚さや感謝は権威につながるし、情報が集まるというのは権力格差の話とも通ずるような気がします。
まぁ、僕の考えに沿った物ばかりを集めてしまっているかもしれないので、いわゆる確証バイアスがかかってるかもしれないけどまぁいいでしょう。()
これを読んでいるリーダーの方は、頑張ってください。応援しております。この記事のために貴重なお時間ありがとうございました。
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