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『≪諦める≫の語源は≪明らかにする≫』

夢を追いかけて上京

私は今までに大きな挑戦を2度しました。
一度目の挑戦は18歳の時、女優になることを夢見て上京し大物女優の付き人として三年間勉強したことです。
高校三年生の秋、たまたま読んだ雑誌のインタビュー記事を読んで
≪私、この女優さん大好きだ。この女優さんの元で夢を追いかけたい≫
と思ったのが始まりです。思いの丈をしたため送った手紙に
≪三年間の期限付きでよければおいで≫
と連絡をもらい付き人になることができました。

三年間、本当に楽しかった。食事の準備、自宅の掃除、撮影や衣装合わせ、朝から晩までずっと横について忙しい時間でしたが、とっても楽しかった。
女優の仕事に触れることだけでなく、美術さん、小道具さん、カメラマンさん、周りで働くスタッフがみなそれぞれの仕事に誇りとこだわりを持って仕事をしている。その姿がまさに職人という感じで本当に素敵でした。

あ~、これが私が憧れていた世界だ
やっぱり女優になりたい

勿論、辛いこと苦しいこと悔しいこと沢山あったけれど、そんなこと苦にならないくらい夢に向かって全力で生きていました。

そうして約束の三年が近づいてきて、次に挑戦する場所を探し始めました。
何かオーディションを受けるか、新しい事務所を探すか、劇団の入団テストを受けるか。いろいろ悩んだのですが、とりあえず劇団のワークショップに参加して稽古を体験してみることにしました。

「あ、え、い、う、え、お、あ、お」から始まって汗だくの稽古です。
沢山の劇団員に混ざって5,6人の体験生が汗を流し、私も必死で声を張り上げ挑みました。午前の稽古が半分ほど過ぎた時に新しい課題が出ました。

「虎になって母を想い、涙を流すほどの熱い気持ちで叫びなさい」

「、、、、、」
虎になる、、、涙を流すほどの熱い気持ち、、、。
私は、何をどうすればよいのか分からず暫く立ちすくんでしまいました。
どうすればいいんだ? なにをどうすれば、、、答えが出ないまま立ちすくんでいると、

「ウオ―ン」「ガウオーン」「ヒューン」といった叫び声や地団太を踏むような激しい音、爪で床を引っ搔くような音があちらこちらから聞こえてきました。

「えっつ?」「、、、、」

今まで、やるべき動きが分からず立ちすくんでいたはずだった私はその光景を見て、一気に違う感情が広がって動けなくなったんです。

「私、無理かもしれない」
「女優できないかもしれない」

その日、夢から醒めました。
あんなになりたかった女優への憧れがスーッと無くなりました。
未練も何もなくなりました。地元へ帰る事への後悔もありません。



≪諦める≫の本当の意味を知らなかった私


女優になることを諦め地元に帰った私は、女優への未練は全く無くなったものの夢を途中で諦めたことへの不甲斐なさや新しくやりたいことが見つからない焦りで自暴自棄になっていました。
中途半端で投げ出した挫折感や周りの友達に比べて何も成長していないと感じる劣等感は人と関わることを避けてしまいます。できるだけ自分を知っている人がいないところで、できるだけ目立たず生きていこうとしていました。途中で諦めたことが恥ずかしくて、不甲斐なくて。
「無駄な三年間だったけど、いい勉強したと思って、普通に働きなさい」
「一度失敗したって今からでも取り戻せるんだから、普通に働きなさい」
優しい口調で励まそうとしてくれる母の言葉に「うん、仕事探すわ」と薄い笑顔で返すけれど、やっぱりこたえます。『無駄やったんや』『私、失敗したんや』『夢を追うことは普通じゃないんや』『諦めなかったほうが良かったんかなぁ』



≪諦める≫ことが怖いから取り敢えず就職


もう二度と≪諦める≫という経験をしたくないと思った私は、とりあえず就職しました。やりたい仕事かどうか、やりがいを感じられるかどうか、そんなことなど考えず取り敢えず就職しました。母が言う普通の会社に。
普通の会社に就職して、普通に同僚と遊んで、普通に恋をして結婚をしました。それなりに楽しかったけれど全力で生きてはいなかったかもしれません。たまに、前職は?って話になって、付き人だった頃の話をすることもありましたが、
必ず最後は「でも、途中で諦めて帰ってきた負け犬だけどね(笑)」



≪諦める≫の語源は≪明らかにする≫


先日、ドラマを見てハッとしました。
バレリーナになることを諦めた教師が思春期をもがき苦しみ戦っている生徒たちに向けて言った言葉でした。
「≪諦める≫の語源は≪明らかにする、つまびらかにする≫です。決してネガティブな意味ではないのです」
そのものの本質を明らかにして物事をどうするか決め、納得したうえで手を引くという意味だそうです。

ハッとしました。
≪諦める≫事って恥ずかしいことじゃないんだ。
私は、劇団のワークショップに参加して演じるということの本質を知って手を引いたんだ。

数ある番組や映画の中から見たい作品を選び、好きな世界観の中で演じている女優という仕事に憧れていたけれど、実際はそれだけではない。カメラの前で恥ずかしい姿を見せたり感情むき出しの人間を演じたり、ベッドシーンも然り、私にはとてもできないという部分も含めて女優という仕事だと分かったから、私にはできないと納得して手を引いたんだと気づきました。納得して手を引いたから全く未練も後悔もなかったんだと。

もし本質を知る前に夢を追いかけることをやめていたら未練や後悔で辛くなっていたと思います。
もし本質を知ってもなお、その夢は必ず手にしたい、手にすることができるはずだと思えたのならまだまだ追いかけ続けていたと思います。

手に入れたい、手にすることができるはずだと思い流す悔し涙はおおいに流せばいい。
納得して手を引くことができないのならしがみつけばいい。
そして、本質を知りつまびらかにできたとき、納得して手を引くことを選んだのなら、清々しい気持ちで違う道を選べばいい。

何年か戦って、夢を手に入れることができても、納得して夢から手を引くことにしても、必ずその経験は自信になる。全力で生きた自分を笑顔で称えることができる。
夢をかなえても、夢を諦めても、それまでの時間は決して無駄なものではないんだよ。
って自分で思えることができるようになりました。

今、あの頃の話をする時は「負け犬だけどね(笑」)ではなく「あの仕事は私にはできないわ」と清々しい笑顔で締めくくります。


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