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副志間高校3年A組 【1.常田由彦】

スマホを置いて旅に出る。行き先はまだわからない。

雪解けの進む3月。鈍行の車窓に「卒業証書授与式」の立て看板がついた校舎が映る。車内にはちらほらと、制服に桃色の花飾り。

新幹線の通る駅は、最寄りから2駅先にある。そこがようやく旅の始まり。俺の運命が決まる場所だ。

電車を降りると、沢山の人が改札口に吸い込まれていく。地方とはいえ、この辺では一番の大都市の駅だ。職場、デパート、ホテル、繁華街…改札を出た人々は、各々の行き先へ散っていく。西改札を出た由彦はすぐに、カラフルな紙ペラがずらりと並ぶあの場所へ向かった。

目をつぶり、その前を何往復かする。ここかなと立ち止まり、体の向きを変えて目を開ける。行き先が決まった瞬間だった。

週6のバイトで貯めた旅行資金は、東京や沖縄に行っても良いように少し多めに持ってきた。就職先が決まっていない今、時間は十分すぎるほどある。この際4県全てを回ってみようか。


瀬戸大橋を渡り、饂飩を食べる。ひらがなだと丸っこくて可愛いのに、漢字で書くと、何だか目つきの悪い嫌な感じがする。壁に貼られた「饂飩」に睨まれながら、由彦は太くて丈夫な麺をすすった。

道後温泉は安い宿に泊まった。1人で歩くのがもったいないほどの幻想的で立派な温泉街を歩く。こんなに遠くには、もう来ることがないだろう。「せっかく来たのだから出歩かないのは損」と心の中で自分に言い聞かせながら、初々しいカップルとすれ違った。

桂浜。坂本龍馬像の写真を撮る。高校時代に来ていたら、龍馬のようにみんなで右手をジャケットに突っ込んで、「日本の夜明けぜよ」とかなんとか言いながらふざけ合っただろう。

鳴門の渦潮は、本当に回っていた。すごく珍しいものとはわかっているのに、感想は「渦だ…」しか出て来ない。

モデルコースを絵に描いたような旅、このまま終わってしまうのが寂しい。友人や恋人と楽しそうにしている人達を見ると、今すぐにでも帰りたくなるのに、まだ旅を続けたい気持ちが勝った。

観光案内所に行くと、変な地名が目に飛び込んで来た。

「大歩危」「小歩危」

オオボケコボケだなんて、誰がつけたのだろう。「いや、それはちょっとやめときましょう」って止める人はいなかったのだろうか。

歯止めの効かない沢山の疑問に埋もれそうになりながら、「大歩危」「小歩危」の隣にある写真が気になった。緑の大自然の中にぽつんと、崖っぷちの小便小僧の写真。こんな所になぜ…?とまたもや頭の中に「?」が浮かぶ。

なんとなくだが由彦は、この小便小僧に親しみを感じていた。不思議なことに初めて会った気がしないのだ。そして彼は、気づいた時にはもう小便小僧の隣にいた。長距離移動も一瞬だった。

こんな風に彼は、この地のちょっと奇妙な「渦」に巻き込まれていったのだった。


祖谷渓(いやけい)というその地名からは「嫌系」を連想し、バスを降りてしばらくは、これまであった嫌なことを思い出してしまった。しかし鬱蒼とした草木の中を1人で歩くと、過去や未来なんてどうでも良くなって来た。

小便小僧の横に着いた時には、気持ちはすっかり澄み切っていた。開け放たれた空と緑の下に、目立たない地味な川が流れている。

あの川は、俺だ。いつも表情を変え、時には100点満点の明るさを見せつけてくる空と緑とは違い、いつも一定に、決して目立ってはいけない役柄。

昔から俺はそうなのだ。教室という狭すぎる空間で、芸人キャラを確立したあの頃。今も昔も俺は、ガンとして動かない我がままな人間達の周りをチョロチョロと流れるだけの、水なのだろう。

まぁそれが楽しくないわけじゃないし、美味しい思いもさせてもらったから、そんな自分で良いじゃないか。由彦は開き直った。すると、大自然の開放感と隣の小便小僧の誘惑のせいか、あろうことか、もよおしてきてしまったのだ。

周りに誰もいないことを2回は確認し(着いてから今まで、ずっと由彦しかいない)、放った。コンパスで描いたようなアーチが消えていく。なんだか自分がものすごく神聖な存在のように感じてきた。


突然の“儀式”が終わり、もちろんすっきりした。しかしそれはいつもの感じとは違い、自然の恵みを体内に取り込んだかのようだった。あぁそうだ、俺の隣にはいつも、祖谷渓みたいな自然があった。何年もの都会暮らしで、そのことをすっかり忘れていた気がする。

副志間にはまだ帰れない。しばらく会っていない両親の顔を忘れてしまいそうだが、どうせ見るなら安堵の表情を浮かべた顔の方がいいに決まってる。壮大なドッキリに引っかかっているのではないか、それくらい波乱に飛んだこの3ヶ月。もちろん「ドッキリ成功」なんて札を持った人は現れず、辛い現実が続いている。だからこそ、まだ故郷には帰れないのだ。


今は音信不通の相手にも、いつか必ず「ごめん」を伝えようと思う。それまで、もう少し、色々な整理がつくまでは、「ごめん」。


由彦のLINE未読数ランキング第1位の、マリミ・ミノリとのグループLINE。「ヨシ!!!!!死んでると思った!!!!」「何で連絡くれなかったの??!!」と騒ぐ彼女達を想像し、少しニヤッとしながら、由彦は帰りのバスに乗り込んだ。


※これはフィクションです。実在の地名が登場していますが、事実と異なる部分もございます。その点ご了承ください。




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