初めての海外旅行での私の強さ②
ポツンと1人異国ベトナムに置いていかれた私。
コロナの症状からの回復はすぐで、それでもPCR検査は陽性だった。
先に日本に帰国した夫に教えてもらった機関で何度検査しても陽性で、それでもベッドメイクや掃除しに来てくれるホテルのスタッフが笑顔で、「大丈夫?」
と英語で言ってくれるのが、コロナに罹患してる私が怖くないのかな?
日本語で
「ありがとう」
チップを渡そうとしたら
「No,thank you」
そう答えた。
日本とは全く違う景色とヒトの種類にこの国はまだまだ何も知らない。これからの国なんだろう、だからこそなにか懐かしい、温かさに感謝した。
帰国……。勿論出来ることは試みた。日本大使館にも、ベトナム大使館にも電話をして毎日違う返答を聞き、何をしても帰国には繋がらなかった。
とにかくコロナ陰性が出なければ、出国出来ない。
テレビで安倍元首相の暗殺
そのようにベトナムでは報道されていて、日本では厳戒態勢が更に強くなった事で、帰国はより難しくなったと感じた。
そして何となく諦めて何も食べていなかった事に気付き、恐る恐るホテルの外へ出てみた。
旅行のVISAがもう切れる。
今日過ぎたら、延長VISAを申請して下さい……。
やり方すら分からない。
いつも一日中座っている警備員さんにタクシーを手配して欲しいと声をかけた。
英語が通じたので、名前や、夫が先に帰国してしまった話、誰とも話してなかったので、異国だからなのか、普段あまり話さない私は、少し噛み合わない会話が可笑しくて思わず笑った。
彼も笑っていた。そして便利なアプリを教えてもらいインストールした。
その時夫から、
「日本なう、やっぱり日本最高!日本の料理やっぱり美味い!
早く帰ってこいよ」
日本食を食べる夫の様子が映し出された写メがケータイを通して私の目に飛び込んで来た。
怒りがふつふつと湧いてきた。
日本……。
夫婦……。
家族……。
遠い。ものすごく遠い、けれどもこの空は日本へと繋がっている。
絶対に、日本へ帰って離婚して幸せになってやる!!
あと数時間でVISAが切れる。まだ陰性は出ないだろう。帰りたい。日本へ帰りたい!
日系の大手の病院を探す。電話して事情を伝え、
Googlemapを見ながら、ビーチサンダルで走る。
夫と歩いた道と違って、汚水流れ、浮浪者のような人々が道に座っている。
ネズミの死骸にカラス集まり、隣で物売りをする老人が何か私に声をかける。
コロナに罹患している私に物乞いをする女性、
寂れた商店から
「おネーサン、やすいよ、かわいいよ」
片手がない男性が私の手を掴み肘に受け皿を乗せてドンを求める。
腕振りほどき、下水撥ねて汚れたスカートを捲し上げ走った。ビーチサンダルがくい込み血を飛ばし、痛みも感じないほど夢中で走った。
突然綺麗な街並みに出た。
クリニックはすぐ側だ。
誰も患者が居ない高級感のあるクリニックに入りPCR検査を受ける。
ドクターに
「Please certify my PCR result so that 、I can return to Japan.」
「I need some help, please.」
please help me!!
please……
汚水が滲みた服を着て、汗まみれになった私は、待合室で結果を待っていた。涙があふれる。日本に帰りたい……。ここでは、この国では誰も助けてくれない。自力で生きていかなければ、命をも落とす。
受付から私の名前を呼ぶ声、
封筒を渡される。
数値ではなく、陰性と、英語で書いてあった。
振り返るとdoctorが笑顔で立って居たので、思わず
「ありがとう!!」
日本語で叫んだ。
その封筒をしっかりとポーチに入れて前掛けにしてまた走った。時間が無い。
スコール降る中、ホテルへ向かい、急いで帰り支度をする。
化粧品などもういらない、仕分けるのが面倒で、
全て置いてチェックアウトしてタクシーを呼ぼうとしたら、
あの警備員さんが既に手配してくれていて、
「このタクシーに乗れ!!」
運転手にベトナム語で行先を伝えてくれた。
もはや空港の名前も分からなかった。
タンソンニャット空港へ向かう。
ありがとう……
彼がまた笑顔を見せた。
まだ、まだ、帰れると決まった訳じゃない。
国際線はどう乗る?タクシーで調べながら祈った。
東京。成田……。
JAPAN
帰りのフライトからの景色。感情希薄の私も流石に心臓が壊れそうにドクドクした。
モラハラ夫と離婚する決心を固め、あの人は私を捨てた。だから私も捨てる。
けれども解離性障害、障害2級を持つ私を強くした国ベトナム。
一睡もせず空を見ていた気がする。
そう言えば、
「ありがとう」
ベトナム人はあまり英語は得意じゃないようだ。
でもこの言葉だけは皆通じたなと思い返し、飛行機から降りて厳戒態勢の日本に帰国した。