インド人は誰でもカレーを作るという誤謬
こんにちは。クロアチア留学中のふかです。今回は独り言です。
はじめに
今日はふと思うことがあったので、カテゴライズ化と個人の多様性について書きます。
結論としては「常に目の前のそのものを理解しないと」と感じるばかりです。
さもなければ、私たちは固定観念の悲しい産物になりかねないでしょうか。
インド人は誰でもカレーを作る。日本人は誰でもお寿司を握る。ドイツ人はビールを飲むのが好き。ステレオタイプってどうしても蓄積されるんですよね。ただその判断で他人をジャッジしてしまうところに危険性を感じます。
ご意見お待ちしております。
思い込みの落とし穴
「自分の信じているもの=真実」だと思い込んでしまう。私自身の勝手な思い込みで予想と異なった時、ショックを受ける。私は弱い人間です。
私の勝手な落胆と反省
先日ザグレブでインド料理屋さんを訪れた時の事です。店内にはインド人の店員さん。ワクワクでビリヤニを注文しました。思い描いていたのはこんな感じ。(下画像)私の大好物で、お肉とスパイスの香り豊かなインドの幸せ炊き込みご飯です。
しかし、訪れたビリヤニはグリーンピースのお肉なしバスマティライス。ターメリックで黄色くはなっていました。
「え?」
思わず心に漏れました。
「インド人なら本格的に作るんじゃないの???」
これです。日本人が全員お寿司握ることが出来るわけないですよね?それっぽい事はできたとしても。
そして彼らは本当に「本格的な母国料理を提供するために」クロアチアに来ているのでしょうか?
答えはもちろん「No」です。
ここに自分の思考の短絡さに呆れます。
それぞれが外国に移住する理由は様々であり、仕事はその目的を達成するための手段に過ぎないでしょう。「インド人だから」と「本格的」まで無意識に予測した自分は完全に間違いで、反省しています。
一歩立ち止まって考えるということ
私たちは毎日の中で多くの人と出会います。相手がどういう人なのか、どう対応すればよいのかの素早い判断が必要です。
その時、他者を「カテゴリー化」することによってその人に対するシンプルな見方が可能になります。
ただ、同時にカテゴリー化こそが「ステレオタイプ」の形成の過程に関わっています。
基本スタンスとして、人と接するとき「個人」として関わるべきだと感じています。常に目の前のそのものを理解しようとすることが大事なのだと思います。
類型化することは思考を効率化させる一方で、こうやって無意識のうちに偏見や差別を簡単に招くのだろうな、と実感させられる出来事でした。
自分自身の中にあるステレオタイプを自覚するのは中々難しいです。
疑問を持った時ほど「どうしておかしく思うのか?」「自分がおかしいのではないか?」と考え直すことで、物事の新しい側面が見えて来ると信じています。
それではまた。
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