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【創作大賞】ナナシノ魔物退治屋 -ノアと冬に愛された子- 第十八話 春一番の向こう

   第十八話 春一番の向こう

 ヒョウガはその声の通りに村を見た。雪はどこにもなく、初夏の風と大地が広がっている。畑や一部の家の壁には多少の爪痕があるが、どこからどう見ても夏のプレメ村だ。ミツバチが飛んでいる。巣箱が設置されている花畑の周辺はイルク司祭が障壁魔術で冬から守っていたそうだが、それが必要なくなったのだ。
 天色の空に、木々の力強い緑がそよぐ。額に汗が噴き出るのが分かった。暑さを感じる。夏のエネルギーを感じる。今自分の周りにあるのは正しい季節だ!
「君と初めて出会ったとき、俺が手助けをしても冬は終わらなかった。だけど今は違う。プレメ村は正しく夏を迎えている」
 薫風が鼻腔に迷い込む。吐いた息も白く染まらない。心なしか喉が渇いた気がする。
「プレメ村は冬に壊されることも、グランドサーペントに燃やされることもなかった。君が守り切ったんだ。君が」
 とくん、と心臓が小さく波打つ。頬が赤くなる。背伸びをしたくなった。ヒョウガはぐっと地面を踏みしめた。そうしなければ、この場で飛び跳ねてしまっていた。もしくは拳を握りしめて、大声で叫んでいたかもしれない。
「これは、確かに君が成長した証だよ」
「オレが……?」
 ノアは深く頷いた。ヒョウガに分かるように頷いた。
「勿論、まだまだ身につけなければならないことはあるけれどね」
 懐かしい冬の風が吹く。精霊が、コガラシマルが、ヒョウガの一番見知った状態でそこにいた。この風は世界を侵食したりしない。ヒョウガの人生において、始めて自分を信じてくれた風。愛してくれたもの。消えることなく、そこにある。
 ああ、実感が湧かない。だが、確かに夏がある。穏やかな冬がある。アマテラスからの逃亡を選択した結果がようやっと、実を結ぶのかもしれない。
 ヒョウガはしばし呆けていた。少しだけ、ほんの少しだけ、自分を好きになれた気がする。
 だからこそ――といっていいのか分からないが、彼は突如飛び込んできたフロルへの反応がやや遅れた。
「よかった!」
 勢いよく抱きついてきたフロル。優しい石けんの匂いがする。当然、ヒョウガにそんな耐性があるわけもない。首の下から熱が上がる。リンゴのように、否、それよりももっと真っ赤になった顔。ガーベラが「あらあら」とニヤけるのも当然だ。
 プレメ村を閉ざしていた冬は終わった。
 グランドサーペントは討伐完了、幼生も外に出た個体は殲滅完了。洞窟内部に残ったものは魔物対策の措置で外へ出られなくなった。
 その対策を敷いてきたラスターが村に戻ってきた。気温上昇のため、外套を脱いだ状態で。
 軽快な足取りが、村の手前でピタリと止まる。そして、慣れた身のこなしで森の方へと身を隠した。
 ラスターは伸び上がって、歓喜に満ちる夏のプレメ村の様子を窺った。
 ヒョウガに抱きつくフロルを微笑ましく思う面々。状況が状況の挙げ句、周囲の人たちから向けられる温かい眼差しで顔がリンゴになっているヒョウガ。そして、そんなことには全く気がついていないフロル。
 ラスターは迷った。ここで村に入ったら自分は空気の読めないポンコツ盗賊としてつつかれる。本音を言えば冬服を脱ぎたい。持ってきた夏服に着替えたい。
 だが今は、他の面々と同じようにして、純粋な若人二人の様子を眺めていよう。
 ……どっかの誰かさんのように、瓶と栓抜きを持って登場するような度胸はないのだ。


 数日の滞在の後、ノアたちが村を去る日がやってきた。もう魔物の脅威も異様な冬も存在しない。この村に正真正銘の平和が訪れたのだ。
「みなさん、ありがとうございました」
 フロルとイルク司祭が改めて礼を言う。ノアはプレメ村特産ハチミツの瓶を両腕に抱えながら答えた。村人の純粋な感謝が込められた贈りものだが、ノアの両手を塞ぐ目的もあるのかもしれない。先ほどからずーっと、プレメ村の村長が頭を下げたまま動かないのだ。ノアの両腕が空いていたら、彼に頭を上げるように告げて、無理にでも上体を起こすよう実力行使するとでも思われているのかもしれない。
「もしもまた、変な魔物の姿が確認できた場合は、依頼を出してください。俺たちが対応できるかは分かりませんが……」
「分かりました! あの蛇が出てこないか、注意しますね」
 本来村長がやりとりすべき内容を、フロルがしっかりとこなしている。ある意味で、プレメ村の将来は安泰とも言えるだろうか。
「依頼がなくても、たまには村に遊びに来てくださいね」
「ありがとう。いつか遊びにいくよ」
 フロルは満足そうな笑顔を見せてから、ヒョウガに向き直った。
「ヒョウガくんとコガラシマルさんは、旅に出るんですね」
「うん。そのうちどこかに落ち着くかもしれないけど、今は――あちこち、見て歩きたいから」
「魔力の使い方、上手になりましたもんね……」
 ヒョウガは何も言えなくなった。フロルは鼻を啜った。
「ごめんなさい、なんかちょっと寂しくて……引き留めたいわけじゃないんですけど」
「あ、遊びに行くよ!」
 予期せぬヒョウガの大声に、ノアとラスター、コガラシマルだけではなく、村人全員の視線が一斉に向いた。
「た、旅っていっても、ずーっと、違うところにいるわけじゃないし、たまにはノアから魔術教わったりしたいし、せ、折角だからプレメ村にも、たまには、さ!」
 フロルは目を細めた。笑っていた。その拍子に、涙が一粒零れる。ヒョウガは慌てふためきながら、ポケットからハンカチを取り出した。フロルはそれを受け取り、静かに涙を拭いた。
 ふと、ラスターは思った。
「――あんたらは? まだここにいるのか?」
 その疑問をぶつけられたガーベラは、盛大なため息を吐きながら答えた。心なしか目が死んでいる。
「これから依頼人探さないとならないんだよねぇ。どこにもいないんだよぉ」
 コガラシマルの視線がラスターに向けられる。ラスターはそれに気づかないフリをした。彼女たちがいくらプロの護衛といえど、勝手に単独行動に出た雇い主の面倒までは見られない。そして、平和になった今のプレメ村においても姿を現さないということは、その末路の予想はついているはずだ。
「生きてると、いいな」
 ラスターは慰めの一言を投げたが、ガーベラは首を横に振った。
「こういうのはたいていの場合死んでるんだよぉ。経験則ってやつ?」
 おお、流石だ。ラスターは感心した。実際大正解だ。あの行商人はグランドサーペントにこんがり焼かれて食われて死んでいる。
「……ご愁傷様です」
 そんな答えを滲ませることなく、ラスターはお悔やみの言葉を口にした。
 コガラシマルがラスターを小突く。ラスターは気がつかないフリをしようとしたが、思わず口元が綻んでしまった。
 精霊はその変化を見逃さない。
「何か、面白いことでも?」
「いいや」ラスターは喉をくつくつと鳴らした。そして適当なことを言った。
「夏が来るんだな、って思ったのさ」
 ミツバチがせわしなく飛んでいる。柔らかな羽音が響いている。きっと、このままだと誰も村を出ようとしない。足裏から根が生えたかのようにして、ずっとずっとここに留まってしまう。
「それじゃあ……出発、しようか」
 ノアの声に、フロルは慌ててヒョウガにハンカチを返した。
「ヒョウガくん、ありがとう。本当にありがとう」
「お、オレは別に……そんな感謝されるようなことは」
 視線を逸らしたヒョウガの肩を、ノアは優しく叩いた。振り向いたヒョウガに、ノアは優しく告げた。
「そういうときは、素直に『どういたしまして』でいいんだよ」
 ヒョウガは少し放心していたが、すぐにフロルに向き直る。
「どう、いたしまして」
 ぎこちない挨拶ではあったが、フロルは笑った。あたたかな春のような笑顔だった。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)