見出し画像

【創作大賞】ナナシノ魔物退治屋 -ノアと冬に愛された子- 第十七話 あなたの声がきこえる

   第十七話 あなたの声がきこえる

 ヒョウガの分厚い氷に守られたプレメ村からでも、あのグランドサーペントが地に倒れた音が聞こえていた。村に近づこうとしていた個体は親の危機を感じ取りそちらへ向かっていったきり。時折地面から姿を現した影の魔物が幼生を焼き尽くす様子も見えた。森に出てきた幼生はほぼ駆除できたと判断してよいだろう。
「おつかれさまぁ」
「お疲れ様です!」
 最大の脅威が息絶えた今、防衛も完了と判断してよいはずだ。故に村を囲う氷も溶かしてよいといえる。
 ガーベラとフロルは防衛作戦最大の功労者を迎えに村の入口までやってきた。
「もう術を解いても大丈夫だよぉ。グランドサーペントは倒れたからねぇ」
 いつもの調子で優しく話しかけるガーベラだが、ヒョウガはそれに答えない。不安に満ちた目が地面を見つめ、心なしか身体が震えている。
「ヒョウガくん?」
 プレメはそっと、ヒョウガの顔を覗き込んだ。
「――らない」
 歯がカチリと鳴った。
「ま、魔力が、収まらない……! やり方が、どうしよう、教わったとおりにやってるのに、分からない!」
 バキリ、と嫌な音がする。なんとか氷を解かそうとあれこれ試したのだろう。氷のドームに変な突起がいくつか生えている。それよりも気がかりなのは外の天気だ。ドームに守られているプレメ村は無事だが、ドームの外側は数メートル先も見通せない猛吹雪になっている。
 フロルは辺りを見回した。教会に戻って誰かの助けを求めるべきだろうか。しかし魔術を扱える人たちは防衛戦で消耗している。イルク司祭も治癒の魔術で魔力を過剰に消費してしまい、今は休んでいる。
「ど、どうしよう――アタシ、魔術はそんなに得意じゃないんだよねぇ」
 わたわたするガーベラを見て、フロルは小さな決意をした。
「ヒョウガくん!」
 フロルはヒョウガの手を掴む。
「ノアさんみたいに、上手く出来るか分からないけど……私に合わせてください!」
「無茶だ!」
 ヒョウガはフロルを止めようとするも、既に手の触れたところが熱い。
「やってみないと分かりませんっ」
 ……本当ならば、「すぐに精霊が駆けつけるから大丈夫」と言えればいいのだ。しかし外は制御を失った冬。あの時のように暴走状態になっていてもおかしくない。
「少しでいいの。精霊さんたちが戻って来られるように天気を回復させるんです!」
 フロルが握る手に、もう一人分の手が重なる。
「そういうことなら、アタシも手伝うよぉ」
 二人分の魔力が、ヒョウガの膨大な魔力を制御しようとする。しかし二人はノアと違って魔術においては素人だ。あまりにも無謀な賭けだった。だが、ガーベラは経験で、フロルはノアからの授業で、ヒョウガの魔力を少しずつ良い方向へと動かした。風の音が小さくなる。フロルは村の外を見た。人影はない。それならそれで構わない。できるところまで、全身全霊を尽くせばいい。
 フロルの足下がふらつく。ガーベラが咄嗟に彼女を支える。魔力の過剰消費による症状だ。
「な、なぁ! もう無理だって!」
「無理じゃないです!」
「だけど――」
「私は、諦めません! だからヒョウガくんも諦めないでください!」
 気合いでフロルが持ち直す。ガーベラがポーチを探った。見覚えのある瓶をフロルに手渡して、中身を飲むように言った。魔力回復薬だ。
 ――もしも。
 ノアとの会話を、思い出す。
 ――もしもオレが、また魔力を上手く扱えなくなっても、ノアは、ノアは……オレのこと、助けてくれる?
 あのとき、ノアはすぐに答えてくれた。

 ――勿論。何度でも、君を救い出してあげる。

 その声をもう一度聞くことができたら、どんなに心強いだろうか!
 ヒョウガは踏ん張った。自分の制御が効かない冬の手綱を握ろうと努力した。フロルとガーベラが傍に居る。踏みとどまらなければならない。二人の魔力に従うようにして、ヒョウガは歯を食いしばる。それでも冬は動かない。正直泣きたい気分だ。だからといって、全て放り投げて雪上に寝転がって、何もかも投げ出したいとは思わなかった。
 息が詰まりそうになる。ガーベラの声がする。「呼吸を忘れちゃダメだよ! 死んじゃうから!」彼女の手がぐしゃぐしゃとヒョウガの頭を撫でてくる。
 言われて始めて苦しさに気がついた。足がふらついたとき、先ほどまでふらふらだったフロルが声を張った。
「頑張れ!」
 ヒョウガは息を吸った。脳に酸素が行き渡るような感覚がある。思えば何もかもダメな人生だった。ただ、頭を撫でてほしかった。大丈夫、と言ってほしかった。だけどそれがどういったものなのかが分からなかった。大人がこちらに手を伸ばすとき、それは決まってヒョウガの頬を叩く。
 愛が何なのかが分からない、愛の受け取り方を分からない。人の信じ方が分からない。いつだって些細な願いは踏み潰され、守りたいものは守れない。穴の空いたバケツに水を汲むなんてできやしない。
 いつだって打ちのめされて眠りについていた。重く沈む一日の終わり、勝手に溢れる涙を何度も無視してきた。折角自分を信じてくれた精霊だって、自分の力不足で苦しめた。自分の力不足のせいで望まぬ契約をさせてしまった。何をやっても上手くいかない。できない。でも……。
「ヒョウガくん! もっと引っ張った方がいいかもしれないです! グーンって! ググーンって!」
 だが、今なら分かる。ここに居る二人が自分を信じてくれていると。
「フロル! また魔力使いすぎだよぉ!」
 何より、この冬を終わらせたい。コガラシマルのためにも、プレメ村のためにも、そして、自分自身のためにも。なぜなら、そうしなければならないから。ここで諦めたら、本当に自分がダメになる気がする!
 ドームの氷が変な成長をしている。ヒョウガは思いっきり魔力を引っ張ったが、今度は反対側から変な形の氷が伸びる。右がダメなら左、左もダメなら上、上もダメなら……ともかくやるしかない。それ以外の道はない。
 澄んだ氷のような目が、冬の奥を捉える。ヒョウガはほんの少しだけ、奥歯を噛みしめた。そして、小さな決意をした。

 ――信じよう。

 まだ、自分のことは分からないけど。
 フロルとガーベラが信じてくれているのなら、頑張れる気がする。
 諦めるのは、もう少し後になってもできるだろうから。
「でも、せめて……また、きちんと名前を呼びたいなぁ」
 ヒョウガの意識が飛びかける。フロルが慌てて魔力回復薬を渡そうとするが、これは魔力が不足しているから生じるものではない。ガーベラが踏ん張る。フロルがヒョウガを抱きしめて、なんとか意識を保つよう働きかける。
「ヒョウガくん! 頑張ってくださいっ! もうすぐノアさんが来てくれますから、精霊さんだって……だから、目を閉じないで! もうすぐ、もうすぐ……」
 フロルは目一杯に空気を吸い込んで、ヒョウガの耳元で大声を出した。
「冬が終わるんですよ!」
 それと同時に、遠くで氷が砕ける音がした。
 村を囲う氷はヒョウガの魔力で作られている。つまり、もしもヒョウガと同じ魔力を持つ者がいればれを壊す程度のことならできる。普通であれば、自分と同じ魔力を持つ存在はない。性質は同じだとしても、細かいところで差異がでてくる。しかしヒョウガの場合は違う。
 精霊と契約した魔術師は、精霊と同じ魔力を持つ!
 氷の壁に穴が空き、ばらばらと欠片が崩れている。その向こう、崩れ落ちた壁の向こう。コガラシマルが鮮やかに納刀するのが見えた。そして、
「ヒョウガくん!」
 強い風を背にして、彼は約束を果たしに来た。願いは今目の前で現実となった。フロルとガーベラも「来た!」と叫ぶ。ヒョウガの耳がじんじんとした。
「お待たせ。今助けるから――」
 ノアの手がヒョウガに伸びた。フロルとガーベラ二人がかりで天候の悪化を防ぐのがやっとだった中、ノアは正しく魔力を導く。一瞬、風が強くなった。が、あたかも満足したかのようにして、雪も風もピタリと止まる。重く垂れ込めていた雲もゆっくりと姿を消し、太陽が姿を現した。積雪も、まるで最初からそのようなものはなかったかのようにして解けていく。
「ヒョウガくん、よく頑張ったね。本当によく頑張った」
 気温が一気に上がっていく。教会の方から歓声が聞こえた。プレメ村は、まるでにわか雨の後のような表情を見せていた。
「冬が、冬が終わった!」
「雪を降らせていた魔物を退治したからだ!」
 ……村人は何か勘違いをしているらしかったが、さすがにその声はノアたちには届いていない。
 ヒョウガは俯いた。プレメ村を助けようとしたのに、結局危険な目に追い込んでしまった。ノアが来なかったら冬に逆戻りだ。でも……。
 初めて、コガラシマル以外の誰かを正しく信じることができたような気がする。初めて、自分を信じることができたような気がする。心の中が暖かい。それでも、もっといい方法があったのではないかという後悔が――。
「ヒョウガくん、村を見て」
 ノアの一声で、消えることになる。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)