見出し画像

【創作大賞】ナナシノ魔物退治屋 -ノアと冬に愛された子- 第三話 精霊と少年

   第三話 精霊と少年

 ノアの視線は真っ先に少年の角に向いた。これはアマテラス人の特徴だ。彼らには精霊族の血が多少混じっているため、身体的特徴として頭に角が生えることがある。ただ、ノアたちの前にいる少年については、左の角がどうやら氷でできているようだった。
「どうしちゃったんだよ……」
 少年はぽろぽろと涙を流し始めた。それを見た精霊は明らかに慌てふためいている。あの苛烈さはどこへやら。着物の裾で涙をぬぐってやるのがやっとの様子であった。
「お前、最近おかしいよ……話を聞かないし、やたら過保護だし……アマテラスを出たときには、お前、こんなんじゃなかった」
「…………」
 精霊は無言を貫き、少年は鼻をすすった。
 ノアは氷壁に触れた、ラスターが慌てて飛び込んでくるがそれどころではなかった。濃密な魔力が凝縮されているが、驚くべきはここに使われている術式である。いや、この表現は厳密には誤りだ。なぜならこの魔力で作り出された氷には、なんの術式も使われていなかったのだから!
 ノアの心臓は跳ね上がった。そして腹の底から高揚が立ち上っていくのが分かった。少年がこの氷を作り出したとき、彼は術式を展開しなかった。魔術に造詣の深いノアには分かる。
 精霊との契約があるとはいえ、彼の魔力量は天才のそれだ!
 ノアは氷のドームから一歩踏み出した。おそらくあの少年と精霊は契約を結んでいる。少年は魔術を扱えない――つまり、魔力と魔術、総じて「魔法」と呼ばれる学問を彼は一切履修していない。これが原因で、契約により増加した魔力を扱いきれなくなったのだろう。
 だからこの場所が冬に閉ざされた。すべての辻褄がぴたりと合った。
 ノアは熱のこもった息を吐いた。初めての経験だった。今まで数々の依頼をこなし、隠された事情を見抜いたことは少なくはない。だが、こんなことは初めてだ。
 才能の塊に対して、えらい興奮を覚えるなんて!
 そうとなれば……すべきことはただ一つ。
「あの……」
 泣きじゃくる少年は、ノアの声に顔を上げた。精霊が警戒を示すが、今ならば大丈夫だ。
「俺はノア。こちらはラスターとフロル。君たちからお話を聞きたいんだ」
 ノアは感情を極力抑えながら、怪しまれないようにして平静を装った。ラスターがちょっと不安げな視線をこちらに向けていたので、彼には筒抜けだったようだが。
 精霊の威嚇を尻目に、少年は頷いた。そして、再度氷のドームを出現させた。精霊はそっぽをむいてどこかへと飛んで行ったが、気配から察するにドームの頂点に座り込んでいるようだ。
「ここで風はしのげると思う……」
「ありがとう。えーっと……」
 ノアは氷のドームに指を添えて、軽く魔術を追加展開させた。氷が不思議な熱を持つ。ドームの中が少しだけ暖かくなった。ラスターがランプに火をともした。外は薄暗いが、おかげでドームの中は明るくなった。
「オレはヒョウガ。……さっきは、ごめん。最近、あいつ気が立ってて……」
 少年が口を開いた。青い目にはやや怯えが見える。どこか幼い雰囲気があるが、体格を見る限りではフロルとそこまで年が離れているわけではなさそうだ。
「見たところ、君はアマテラス人だよね? いったいどうしてソリトス王国まで?」
 ヒョウガは黙り込んでしまった。ノアとラスターは辛抱強く答えを待った。しかし、待てど暮らせど彼が口を開く様子はない。
「ココア!」
 代わりに口を開いたのはフロルだった。彼女は荷物袋の中から簡易魔術ポットを取り出して、さっとお湯を沸かす。水の沸騰する音に、ノアは妙にほっとした。
「こういうときはね、あったかい飲み物がいいんですよ」
 そう言って携帯用のコップに粉末ココアとお湯を入れて、あっという間にホットココアを作ってしまった。ウキウキで中身を飲んでいるのはラスターとフロルだけで、ノアは少し緊張していた。寒さですっかりしびれてしまった口元が、ありがたい熱でほどけていく。ココアの甘味が緊張をほぐすのが分かった。ノアはとてもほっとした。少し泣きたくなっていた。
 ヒョウガもすぐにココアを口にした。そしてしばらく呆けていたが、思い出したかのようにして感想をこぼした。
「……おいしい」
 フロルは満面の笑みを浮かべた。
「でしょ! 私、村で一番ココアを作るのが上手いんですから!」
 なぜかヒョウガの顔は赤くなった。そして彼は黙々とココアを飲み始めた。こうしてみていると年相応の少年であり、あの精霊と組んで村を冬に閉ざすような人には見えない。フロルはドームの外に出て、「精霊さんも飲みませんか?」と声をかけたが返事はなかった。
「あ、ありがと……。でも、飲まないと思う。あいつ……最近ずっとおかしいから……」
「おかしいって、何かあったの?」
 フロルの問いに、ヒョウガは黙り込んでしまった。ラスターが「ココアおかわり!」と元気な声を上げた。この重苦しい空気をなんとかしようとしているのだと、ノアにはすぐに分かった。
「ねぇ、ヒョウガくん」
 フロルがラスターに二杯目のココアを作る間に、ノアはヒョウガに声をかけた。鮮やかなシアンの髪が揺れた。
「俺はノア。よろしくね」
「え? ……あ、……よろしく」
 戸惑いつつもヒョウガは挨拶を返す。とても素直な子なんだな、とノアは思った。
「いきなりなんだけど、魔術に興味はない?」
「え?」
 ヒョウガがノアを見た。信じられないといった様子であった。なんならラスターは軽くココアを噴き出していた。
「もしも君が魔術を学びたいのなら、俺が教えてあげる」
 ヒョウガの鮮やかな青の眼に困惑が混じる。ノアは自分の心臓を抑えたかった。壊れてしまったかのようにして早鐘を打つそれが、相手に伝わっていてほしくなかったのだ。
「でっ、でもオレ、お金持ってない……」
「いらないよ」ノアが即座に答えた。ラスターとフロルは顔を見合わせた。
「どちらかというと、俺が君に魔術を教えたい」
 ヒョウガは黙り込んだ。ノアはラスターの方を見た。ラスターはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ視線を逸らした。ノアは心の中でガッツポーズをする。何とかしてヒョウガをその気にしてくれという協力要請を感じ取ってくれてなによりだ。ヒョウガはまだ迷っているらしく、目がそわそわと動いていた。
「魔術を学ぶ利点って何かあるのか?」
 ご依頼通り、ラスターは説得に舵を切ってくれた。
「ヒョウガくん、手を触ってもいい?」
 ヒョウガは答えなかったが、おずおずとノアに手を差し出した。ノアは彼の手を優しく握る。この冬と同じ魔力を持っている彼も、この環境下では寒さを感じないらしい。随分と温かい手をしていた。ノアの手が冷えすぎていただけかもしれないが。
 他人の膨大な魔力を制御するのはノアはもちろんのこと、学術都市の賢者たちにも不可能だ。だが、不完全とはいえ多少、軌道や魔力量を調整する程度のことはできる。ノアは冬に干渉した。ほんの僅かに魔力を制御しただけである。真っ先に変化を感じ取った風が緩やかに下りていく。氷のドームにたたきつけられていた雪の粒がはらはらと地面に下りていく。淀んだ気配が霧散した。重苦しく垂れこめていた雲がゆっくりと姿を消す。夏の日差しが訪れた。
 この変化に一番驚いているのは他でもないヒョウガだった。目をぱちぱちとさせて、じっと外の天気を見つめている。
 そして変化は天気のみに留まらない。先ほどまで理不尽な殺意を向けてきた精霊が、憑き物が落ちたかのようにして姿を現した。フロルが口元を抑えた。先ほどの修羅場では彼の顔を見る余裕はなかったのだろう。改めてかの精霊の相貌に心臓を高鳴らせたようだった。
 ノアは確信した。
 この冬を終わらせることはできる、と。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)