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【創作大賞】ナナシノ魔物退治屋 -ノアと冬に愛された子- 第十一話 雪曇りの下

   第十一話 雪曇りの下

「いやぁ、ごめんねぇ。魔法の練習中に」
 にやにやと笑う肥満体の男は、立派な禿げ頭を撫でながら笑った。対してヒョウガは答えない。男はわざわざヒョウガにだけ気づくようにして雪玉を投げて、一人でこちらに来るよう告げたのだ。
 ヒョウガはこの男を知っている。この場所に留まって冬を続けてほしいと懇願してきた、村長を名乗る男だ。
「それで、なんの用だ? 村に立ち入ったことを怒ってるのか……?」
「あのねぇ、お願いがあるんだ」
 男はヒョウガの肩をぽんと叩いた。ヒョウガはびくりと体を震わせた。
「どうか、冬を止めないでほしいんだ」
「…………」
 ヒョウガは黙した。
 つい先日までなら、この頼みごとを素直に聞き入れていたことだろう。冬の止め方が分からず、精霊は意図せず暴走。そんな状況下でも受け入れてくれるのであれば願ったり叶ったりでしかない。しかし今は状況が違う。プレメ村の人々は冬からの解放を望んでいる。ノアもその手段を教えてくれている。精霊だって徐々に調子が戻ってきた。この冬を制御できさえすれば、各地を自由に歩くことだって夢ではない。
「私としても冬が続いてくれた方がいいんだ」
「……何で?」
 ヒョウガは自然にその疑問を口にした。男は目をぱちくりさせた。
「この村で冬を望んでいるのは、村長おまえだけだろ」
 男は内心ほくそ笑んだ。――この子供ガキはまだ自分のことを村長であると思い込んでいるらしい。
「だって、君にとってもその方が都合がよかったんじゃないのか?」
 男はヒョウガの肩を掴む。体格は相手の方が上だが、力はヒョウガの方が上だ。
 だが、この男は知っている。各地を歩き、様々な情報を手に入れる中で――こういった、臆病で自分に自信のない輩の支配の仕方を知っている。
「話が変わったんだ、オレは……」
 ヒョウガは逃げるようにして視線を地面に移した。体が震えるのは寒さが理由ではない。
「君が冬を終わらせてしまったら、近くに住む怖い魔物がプレメ村を焼き尽くしちゃうね」
 その言葉に、ヒョウガは顔を上げた。
「なん、だって……?」
「プレメ村が魔物に襲われていないのは、君の冬が村を守っているからなんだよ? たとえミツバチが飛ばなくても、野菜が取れなくても、お家を丸ごと焼き尽くす魔物が暴れまわるよりはマシだろう?」
「それなら、魔物を倒せばいいじゃないか!」
「倒せる魔物ならそうしているさ。うちの優秀な五人の護衛ですら手に余る魔物を、たった二人の魔物退治屋が退治できると思うか? それなら、どんな形であれ村が存続するほうがいい」
「で、でも……オレは……」
「君が旅に出たら、村は丸焦げ。あのコも無事じゃないかもね」 
 足元が震える。男はヒョウガの顔を覗き込む。ヒョウガが小さく悲鳴を上げた。
「いいんだよ? 君がこの村を廃墟にしてでも旅をしたいならそうしても。でもねぇ、今までまともに魔力を扱えなかった子供が急にそれをできるようになるとは限らないし……現に今、君は練習に詰まっている」
「そんなことない! 実際、ッ……精霊だって、調子を取り戻しつつあるし、魔力だって前よりは上手く――!」
「……私には、そう見えないけどねぇ」
 男は笑った。笑いながら防寒着の胸元を閉めて、いつの間にか展開していた障壁魔術を解除した。
 頬に風が当たる。自分と同じ魔力で展開された冬において、ヒョウガは寒さを感じない。男の顔で遮られていた視界は、猛烈な雪で真っ白に塗りつぶされた空間を捕らえていた。
「ほら、魔力を扱えると言ったってすぐにこの有様だ」
「…………」
「君と村にとって最善の手は、この村を永遠に冬に閉ざすことだよ」
 ほほほ、と男は笑った。これでしばらくは交易で儲けられる。ちょっとやりすぎかもしれない、と思わなくもないが折角の金の気配をみすみす逃すほど愚かではないのだ。
「村人が冬を終わらせたがるのは当然だ。彼らは魔物がいることを知らないのだから。仮に魔物が住み着いているなんて言い出したら、村を去る人も出てくるだろうね。そうなったら、君のせいでプレメ村は崩壊だ」
 ――私、プレメ村が大好きです。
 フロルの言葉を、思い出す。
 どんな形であれ、村を存続させるためには冬が必要なのか? 村が焦土と化したり過疎で衰退してしまえば彼女はきっと……いや、確実に悲しんでしまう。自分にその魔物を退治できるだけの力があれば話は変わるが、残念ながらそんな実力はない。精霊と共にアマテラスを脱出するのにも難儀し、軽率な選択をした自分には……。
「ということで、これからも――」
 男の言葉が途切れる。ヒョウガは顔を上げた。どん、と重い音がした。
「言え!」
 その声は普段、ヒョウガが聞くものよりもずっとずっと恐ろしく、すさまじい怒りを秘めていた。ノアが男の胸ぐらを掴み、近くの木に体を押し付けている。
 男のうめき声が聞こえる。
「あの子に何を吹き込んだ!」
「おっ、おまえには……かんけ……」
 力のない、かすれた声だ。ヒョウガの背筋が凍る。ノアがうっかり男を絞め殺してしまうのではないか。そう思った矢先、吹雪の奥から黒い影が下りた。
「ノアくんノアくん、加減して」
 精霊を連れて調査に出たはずのラスターだった。ノアの肩をとんとんと叩いて「チェンジ!」と唇を動かしたラスターは、男の腹にあいさつ代わりの蹴りをねじ込んだ。やっていることがノアよりもえぐい。チンピラ同然である。
「怖かったね、もう心配ないよ」
 先ほどの般若の形相はどこへやら、ノアはいつも通りの柔らかい笑顔でヒョウガに歩み寄った。その変貌っぷりがまた恐ろしく、ヒョウガはちょっと怯えた。それに気づいているのかいないのか分からないが、ノアは平然とこんな問いを投げた。
「ちょっとだけ、触ってもいい?」
 ノアはふつうの大人たちとは違う。
 アマテラスに居た頃は、体に触れるというのは痛みを伴う行為だった。殴る蹴るといった暴力が主なものだった。相手がこちらの頭を撫でようと手を差し伸べたとしても、ヒョウガにはその判断ができない。急に勢いをつけて頬を叩かれるかもしれないし、手に注意を払った隙に腹を蹴られるかもしれない。
 接近は攻撃の意思表示だ。
 アマテラスに連れ去られた精霊たちを助けるときだって似たようなものだった。あんな非人道的な侵略戦争があったのだ。基本的に精霊たちはアマテラス人を信用しない。今、共に行動している精霊だけが例外で……。ともかく、精霊たちはヒョウガを利用するだけ利用はするが、その延長線上に暴力があった。しかし、ヒョウガだって似たようなものだ。家族からもらえなかった愛情を精霊たちに求めていたのだ。助ける見返りに愛を求めた。結局自分も精霊を利用している・・・・のだろう。今になってそんなことを思う。
 ソリトス王国に逃げ延びてから最初にしたことは、握手を求める灯台守の手を反射的にはねのけることだった。灯台守は「たはは」と照れ臭そうに笑ったが、あれは気まずさをごまかすためのものだった。
 そこでヒョウガは気づいた。
 自分は自分に向けられたものが愛なのかどうかの判断すらつかない。
 そして、ノアはそれを分かっている。だから基本的には最初に尋ねる。
 ――触ってもいい? と。
「…………」
 長い沈黙だった。ノアは辛抱強くヒョウガの答えを待っていた。
 ヒョウガは小さく頷いた。唇が冷えて上手く動かないふりをした。
「ありがとう」
 ノアはヒョウガの手を取った。吹雪がゆるりと勢いを弱めた。
「後ろから抱きしめてもいい?」
「……え?」
「その方が魔力を操作しやすいんだ」
「あ、魔力の操作……そっか、うん……」
 ノアは再び「ありがとう」と礼を述べて、ヒョウガの背後に回った。
「体の力を抜いて」
 耳元でノアの声がする。はっきりと聞こえる。
「俺に寄りかかって」
 ヒョウガは踵に重心を移した。
「上手上手」
 体の芯が暖かくなる。思わず瞼が下りてしまう。風がゆっくりとやんでいく。雪が柔らかく下りていく。
「そのまま……楽に、していて」
 ヒョウガはほとんど眠っていた。だから視界が揺れたことも、自分が雪の上に倒れたことも、理解するのが遅れた。何故そうなったのかを判断するのも遅れた。倒れ方がよかったのだろう。頭を打つようなことはなかった。
 太陽が空に輝いている。雪は解けそうにない。吐く息も白いまま空に消える。
「……ノア?」
 体が妙に重い。
 半ばやけっぱちで体を起こしたヒョウガが見たものは、雪上にぶっ倒れているノアだった。
 他者の魔力操作には相当な負荷がかかる。暴走状態の魔力を無理矢理正常に戻したのならその力はすさまじいものになるだろう。
 ヒョウガは震える手で、ノアの頬に触れた。わずかな熱を感じる。死んではいないらしい。そうとなればやることは決まっている。ヒョウガはノアを担ぐ。ノアの体を背中に預けて、そのまま雪道に踏み出した。自分の身を守るために体術を身に着けたので、成人男性一人を運ぶくらいならヒョウガはなんとかなる。だが、重い。ノアは重い。なんせ気を失っているので全体重がヒョウガにかかっている。バランスを崩しそうになるがすんでのところでこらえて、何とか教会に戻ろうとする。肺がつぶれそうになる。息が難しくなる。そのときだった。
「大丈夫か!」
 飛んできた(本当に宙を飛んでいた)ラスターがヒョウガの目の前に滑り込む。
「あ……あの、」
 事情を説明しようとしたヒョウガの唇に、ラスターは指を添えた。語るな、という意思表示だ。
「ヒョウガ、まずそいつを地面に降ろしてくれ」
「え……どうするんだ?」
 ラスターは笑顔で答えた。
「頭持ってくれる? 俺は足の方持つから」


 


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)