見出し画像

創作大賞2024応募作品~「言葉とは何か?」〜亡き父より

「言葉を知りなさい」父から言われた言葉である。何だか余韻があり含みを帯びていて、父の言葉は私の中で欠片となっていた。心の海底の奥底にずっと眠っている。繰り返し言われたことに腹が立ち父のラインをブロックしてしまった。1年程父と会わずに連絡もとらない日が続いた。

父の訃報はまさに晴天の霹靂だった。通勤中の出来事であった。私は1週間後にある手術のことで頭がいっぱいだった。残酷な現実と向き合いながらも、大きな決断をした。自分の心と誠実に丁寧に向き合っていた矢先だった。母から訃報の知らせが届いた「パパが亡くなった」父は心臓死で急逝したのである。その文字を見た瞬間に血圧が上昇する一方で、全身の毛穴から冷や汗が出た。”悲しい”という言葉で片付けるのは薄っぺらかった。脳内が真っ白という状態を通り越して、頭の中が墨汁で一気に染められ、脳と心を抉られる感覚に陥った。身体が硬直した。それでもすぐに我に返った。目元が乾燥していて、涙が一粒も姿を見せなかった。変に冷静だった。

実家は自営業を営んでいた。顧客や従業員の対応があり、今後生活できるかの不安があった。壮絶な対応であることは検討はついていた。

父の悲しみを感じることができない己の薄情さに嫌気がさし、自分の心に向かって軽く舌打ちをした。その舌打ちの矛先が父への深い後悔に変わることをこの時は予期もしなかった。父の遺体と会うまでは・・・


中々父と会えなかった。何度も警察から「人から恨まれたりしてませんか?」との言葉を浴びた。何故か事件性がないか綿密に調べられていたのである。疑いをかけられ、「そんなことあるわけないじゃん」母と一緒に呆れかえった。

警察の取り知らべが終わり、ようやく父の遺体と対面できる準備が整い、父の単身先である千葉へ向かった。

父の遺体と対面した時、今度は全身の毛穴から大粒の涙が噴水のごとく溢れかえっていた。脳内が一気にホワイトノイズで埋め尽くされた。己の嗚咽を全身で感じつつ、父の遺体を見つめた。見つめたその矛先は、私の知らない父がいた。グレーみがかかって、痩せ切っていて、骨と皮だけだった。口が少しポカリと開いている。「助けて」そう叫んでいるように思えた。見つめてた矛先にそっと手を伸ばした。「冷たい・・」その冷たさに私の温もりはもう届かない。強い後悔を抱きながら私はこう思った。「パパ、沢山頑張らせてごめんね」


父の葬式の二日後に手術を受けた。生と死がパラドックスに繰り返されるような現実を直視出来なかった。重なる痛みという名の猛烈なパンチを浴びようが、私は悲しみを享受できなかった。「手術が早く終わって欲しい」と目の前の現実と視線を逸らしながら、心の中で自信の命を強く殴り潰していた。

麻酔をかけられた。麻酔液の一滴、一滴が細胞までに染み込んでいく感覚があった。意識が朦朧としながらも、悲しい現実から引き離されつつも安堵感を抱けたのを覚えている。生を切り刻んでいくメスを全身で身に纏う感覚に陥った。死から生まれるほんの僅かな優しさを感じとることができた。瞬間、生きる燃料に変わった。手術中は「パパごめんね」「私は生きるよ」と心臓から何度も声が漏れ、自身の言葉が脳内を支配させた。同時に父の声が聞こえた気がする。「ちゃんと自分と人と向き合いなさい」後悔と反省と淡い未来を一気に抱きかかえながら手術を終えた。


術後は私の心が一瞬で氷結し、目の前の現実に火傷をしたような感覚に陥っていた・・・

~      

壮絶な対応になると予想していた会社の対応は周りの協力も合って、何とか進めることが出来た。稲木さんという男性のお陰である。稲木さんは60歳位でとても穏やかで温厚な人だった。独身であることが不思議である。稲木さんは父の保険を担当していて、あくまで父はお客さんという立場であった。親友というわけでもないと思う。横柄な父は聴き上手な稲木さんのことが、とにかく好きだった。稲木さんは父と約束を交わしたそうだ。「もし俺に何かあった時、家族を助けて上げてほしい。女二人だから何もできない」稲木さんは父と交わした約束をいつもお守りかの如く大切にしていたように感じる。私は生前感じ取ることが出来なかった父の優しさを享受できた。


私は2人の関係を白い巨頭の財前と里見に重ねることがある。2人は相反した性格の中で、どこかいつも共鳴しあっていたかのように思える。里見は強がる財前をどこか見守っていたのであろう。

忘れられないシーンがある。財前が死に近づいて意識が朦朧としていき手を伸ばし、「里見・・・メスを・・」と言った瞬間に里見が熱く財前の拳を握ったシーンである。男の友情が熱く感じられる。財前は最後まで医師という職業を全うしようしていた。私は思い出すだけで目頭が熱くなっていた。同時に財前は度重なる裁判で、里見を憎んでいた気持ちより絶大な信頼と愛を寄せていたことがわかると、胸が熱くなる。

私はこう感じた。言葉にできない言葉こそがその人の輪郭をなぞり、人柄や本音を浮き出たせるのかもしれない。財前はもがき苦しみながら死に近づいていく狭間の中で、生を懸命に彷徨った。財前が放った透明な言葉は最高に美しかった。大きなオペをこなしたり、教授という名の脚光を浴びて偉くなる財前の姿は確かにかっこいい。だけど、その表面的な魅力さには人としての温かみが何だか感じられなくて寂しいものを感じる。人は名誉やテンプレート化された客観的指標を獲得したその先には、人間らしさがどこか失われ苦しくなるのかもしれない。偉くなったその先に、血の通った交流ができなくなり人はどこか孤独を感じてしまうのだろう。だからこそ、人間は弱さで愛されるのかもしれない。里見は財前の奥底にある弱さを愛していたいたのだろう。

稲木さんも父の弱さを愛していたのだと思う。それ故、生前父と交わした熱い約束を何としてしてでも果たしたかったのかもしれない。私は2人が交わした熱い約束をいつも胸元で温めている。


父の死はあまりにも突然すぎて本当に悲しかった。けどそれ以上の恩恵を受けていると思っている。主に金銭的な事情が重なり、私が父の会社を閉鎖する決断をした。人生には幾度か大きな決断に迫られる時がある。私はこんなに胸が引き裂かれる思いがしたのは初めてだった。・・・

辛い選択の先には、温もりがあることを知った。その温もりは弾力のあるスポンジのようで、繊細な糸に丁寧に巻かれている。その網目はとても細かい。そのスポンジは人肌如く三層になっているのかもしれない。表皮にはエゴと裏切り。真皮には人の温かみや優しさ。皮下組織には哲学者であるエネルゲイアの考え方だ。簡単に言えば、「過程そのものを結果とみなし、その瞬間瞬間が結果である」ということだ。

私が下したエゴで残酷な決断は、会社の人を苦しめた。けど従業員の方は、一緒に会社を創り上げた瞬間瞬間の思い出があった。同時に私と亡き父の魂を一緒に守りぬこうとした、瞬間の思い出がある。『閉鎖』という静的結果だけを見たのではない。動的瞬間の過程を見てくれていた。だからこそ、人間関係は今ココの瞬間を大切にしていくことが大切だと従業員の方から教えてもらった。その小さな積み重ねで、人はいざという時に守ってもらえるし、温かみがもらえるのかもしれない。


夏が乾燥し、秋の湿り気が帯びていた、2022年9月21日。父は真っ青な空に旅立った。私は父が眠っている神奈川県の三浦海岸にいる。雲一つない真っ青な空だ。父の骨は砂になったのだ。その砂はとても緻密で温かかった。父の心のように繊細だった。父の砂が真っ青な空に反射して、波が美しかった。その波は二重になっていて、まるで父の瞳の様だった。波に真っすぐ見つめられて、父の優しさを感じた。私は父と目元が似ていると言われる。これからは父のような優しい眼差しで、真っすぐに人を見ていき、純粋な気持ちで人と接したいと思った。

繊細な糸で巻かれているスポンジを、空に向かって思いっきり投げた。生前、父に言えなかったことを伝えた。「パパ、よく頑張ったね。ゆっくり休んでね」


繊細な糸で解かれたスポンジが花火のごとく弾けて、パズルがでてきた。『継続プログラム』というパズルだった。組み立てていくと、不要なピースがいくつかあった。それは客観的指標・コントロール・ジャッジという邪悪なピースだった。私はそのピースに「もう現れませんように」と祈りを込めながら箱にしまい、繊細な糸できつく巻いた。新しいピースがあった。それは、承認欲求・自己開示・自己陶酔感・自己受容感という”自分を知る”ピースであった。私はミシルさんから教わったピースを丁寧にはめていった。最後のピースがあった。それはピースというより、欠片だった。その欠片に文字が書き込まれていた。「言葉を知りなさい」そう、生前父が私に伝えた言葉であった。

この夏に見知らぬミシルさんのプログラムを受けて気付いたのだ。私は大きな勘違いをしていたのかもしれない。父は私の言葉や文章力が悪いから、「言葉を知りなさい」と言ったのではない。言葉は時に救いになるから「言葉を知りなさい」と私に伝えたかったのだ。私は父に読書感想文をお願いしていた。他、文章の添削や新聞にも投稿したり、短歌会に入会していたそうだ。父は自身の生きづらさを文に委ねていたのかもしれない。

プログラムを通して、私は言葉の豊かさを知った。言葉は人格を形成する繊細なものだ。丁寧に扱いたいと思った。自身の感性を磨きたいと思えて、新しい自分に出逢えた。「置かれた場所で咲く」より「咲ける場所を選ぶ」という生き方を知れた。最後の欠片をはめて、完成した。それは私だけのオリジナルの『継続プログラム』という名のパズルだ。

心が軽くなった瞬間、安心して大粒の涙が零れた。その涙が父の好きな花であるカスミソウのように透明感があって白かった。花言葉は『清らかな心』である。父の清らかな心を通して、私はこう思った

 「言葉を知って、生きる意味を知った」


見知らぬミシルさん→



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?