人生を彩るアルバイト 第二話 『塾講師』
-あなたにとってアルバイトとはどういうものですか?
-これは同時期に最大8つのアルバイトをかけもちしていた貧困学生が綴る人生観のお話。
卒業
本日、約5年お世話になった塾を卒業します。
今まで沢山の生徒さんたちを見送ってきましたが自分が見送られる側になる日が来るとは思ってもみなかったので、いざこの日がきてみるととても寂しい気がします。
このバイトを始めたきっかけ
大学1年生の頃は教師になるつもりだったので、科学教育ボランティアとか科学館の解説員とか教育系にまつわる色んな活動を積極的に始めていたわけですが、その中のひとつとして塾講師を考えていました。
なのでまず、中学生の頃通っていた塾に電話をかけてみたのですが、求人がでていたにも関わらず、その後一切連絡はなく、テストさえ受けさせてもらえませんでした。
完全に門前払いでした。
思えば中学の頃は全国テストでも上位の成績をとるくらいで、それなりの進学塾に通っていたこともあり、そこで教えている大学生講師の方はほぼほぼK大生でした。
私は受験を失敗して浪人した上にそこそこの大学なので、ああこれが現実かとなって意気消沈してしまったのですが、ここで諦めたくないなと思って黄色い求人広告を漁っていると、とある個別指導塾をみつけました。
ずっと集団塾に通っていたので個別指導がどのようなものかわからず戸惑いもありましたがとりあえず応募してみました。
この塾が後に5年働くことになる塾でした。
個別指導塾
その後テストや面接を経て無事講師として働くことができました。
個別指導なので、学校の勉強についていけない生徒もいれば、中学生だけど高校の範囲をやってる生徒もいて、学習レベルは生徒によってまちまちでした。が、どちらかと言うと前者の生徒が多かった気がします。
片道40分くらいかけて通うという意味のわからないバイトの仕方をしていましたが、一度も辞めようと思ったことはありませんでした。
ひとりひとり課題が異なり、それぞれに寄り添った指導ができるので、そこにやりがいを感じていたからです。
反面教師な経験
それは私が塾に通っていた時とはまるで違いました。
集団だったこともあると思うのですが、宿題は一回一教科の授業で10ページ以上出て、最初の頃は宇宙語がとびかっているような感覚で、ひたすらに『わからない』で溢れていて、でもそれを聞けるような雰囲気はなくて、それこそ泣きながら問題を解いている時期もありました。ストレスで振戦(自分の意思とは関係なくからだの一部が震える病気)や肌荒れ、円形脱毛症を患ったこともありました。
個別指導なので生徒にあった授業ができる環境ということもあり、私はとにかく昔の私みたいな思いはしてほしくないと思いました。
子どもたちが質問しやすいような雰囲気づくりや何がわからないのか察して生徒自身で言語化するお手伝いをすることを心掛けました。
どんな時でも生徒に寄り添うように努めました。
その甲斐あってか、無口だった子も次第にわからないことや解法を自分から説明できるようになっていました。
それだけでなく、休み時間に学校での様子や友だちとの悩みを話してくれる生徒さんもたくさんいました。
みんな違うのは当たり前、それぞれにあった方法を模索する
こんな感じで色々ありましたが、それも今日で終わりです。
このバイトを通して沢山の子どもたちに関わってこれて本当に幸せでした。
ひとりひとり課題が異なり、それにあった方法を一緒に模索していく過程を何度も何度も経験させてもらったので、それまで私自身がこういなければないのに何でできないんだろうと悩むことが多かったですが、そういった凝り固まった考えが解れてきました。
みんな違うのは当たり前、それぞれにあった方法を見つければいい
そんな当たり前のことに気づかされたのがこのバイトだったのかなと思います。
今春よりITエンジニアとしてキャリアをスタートさせますが、塾講師をすることで身につけられたこと、学んだことは今後の糧になると信じていますし、この経験を生かしてこれから頑張っていきたいと思います。
(おわり)
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