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《概念の分解》仏教ってなんだろう③


こんにちは😊
今回も、よろしくお願いいたします。

さて、前回は【精神的な豊かさ】とは、【何があっても苦しみに囚われず、日常生活を送る事が出来る精神状態を手に入れる事】すなわち【自身の心を壊さない事】だという内容でした。

気になる方は、一つ前の投稿をご覧ください。

今回は、【我々は何故、苦しいを苦しいと感じるのか】を入り口に、人間の【認識】に触ってみたいと思います。

前回に引き続き、私の主観は入ってしまいますが、仏教感を損なう事は無いと思いますので、ご理解くださいませ。

苦しいは、何故苦しいのか

我々は、毎日様々な感情や心の動きに振り回されながら、生きています。

楽しい、喜び、幸せなどのポジティブな感情であれば、特に気にする事はありませんが、苦しい、悲しい、辛いなどのネガティブな感情は、非常にストレスです。

消えてなくなりたい、死にたい訳ではないけれど全て投げ出して逃げたい、死にたい、と、苦しみとその苦しみから抜け出したいけれど抜け出せない事実が、また苦しみを増幅させ、日常生活を送る事さえ困難な時期は誰にでもあります。
私も、同じくです。

これを解決するのは、友達でも親でもましてや毒にも薬にもならない言葉でアドバイスをしてくる他人でも、ありません。
残念ながら、自分自身しかいません。

宇宙は広いから、こんなちっぽけな惑星のそのまた小さな国のそのまた小さな自分の悩みなんて、本当に取るに足らない事だ。もう悩むのはやめ!なんて事を言われた日には、迷う事なく綺麗な右ストレートを繰り出します。

宇宙が広かろうが、空がどこまでも広がろうが、海が雄大だろうが、私の悩みには一切関係ありませんし、なんの解決にもなりません。

大人になれば自己責任、自分の事は自分で解決しなさいとは言いますが、はてさて我々は悩みの解決の方法を学ぶ機会はあったのでしょうか。

毎度毎度去り行く彼女の背を見つめながら、咽び泣いているのは、何故でしょう。
(特に寒い時期は辛い)

日本だけなのかどうかは分かりませんが、【時間が解決してくれる】も、あまり好きな言葉ではありません。
時間が経てば風化するから少しは楽になるけれど、解決した訳ではないので、塞がったと思った傷から何かの拍子にまた血が滲むなんて事も、多々多々あります。

解決出来るタイプの悩みなら良いのですが、前回例に出した【大切な人を失う】の様な悩みは、なかなかどうにもなりません。

しかし、どうにもならないと放置したのでは、人間は曲がります。
表向き感情のコントロールが出来た様に見えても、心の何処かにダメージは残ったままで、その後の人生や恋愛観や物事の捉え方に影響し続けます。

それを踏まえると、『もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対』という言葉を生み出せるあの方は、やっぱり凄いなと思う訳です。

話を戻します。

この解決が難しい悩みに対して、我々はどう向き合うべきなのかを仏教的に見ていきますと、【そもそも苦しいと感じるのは何故?】という疑問を与えられます。

前回の【交通事故でパートナーを失う】を例にすると気持ちが沈んでしまいますので、今回は【大好きな彼女(彼氏)と別れた】を例に考えていきたいと思います。

別れた原因はなんでも良いのですが、仮に【彼女(彼氏)が新しい恋をした為】としましょう。

前回の投稿の通り、【固定化出来る物事はありません】ですので、彼女(彼氏)の気持ちが変化し、恋愛が終わってしまう事自体は、起こります。
これは恋愛関係でも婚姻関係でも、同じです。
(別れに至るプロセスは考慮せずにです)

起こってしまうのですが、何故別れが【苦しい】のでしょうか。
当然、いつも居てくれた人が居なくなるのは辛いですし、優しい言葉をかけてくれる自分を理解してくれる相手が居なくなるのは悲しいです。
確かに、苦しいですし、辛いですし、悲しいです。

大切な人を失った後の感情は理解しつつ、【何故そう感じるのか】と、仏教は問います。
別れたけれども、相手は存在しています。
幸せを願えば良いのではないでしょうか、今までの幸せな思い出を与えてくれた事に感謝すれば良いのではないのでしょうか、そして自分も新しい出会いに期待をしても良いのではないでしょうか。

どうして我々は、【別れ】をポジティブにではなく、ネガティブに捉えてしまうのでしょう。

『そんな事言われたって、悲しいものは悲しい』と言われてしまいそうですし、私も悲しく苦しく辛く感じます。現在進行形です。
今この瞬間も、辛いです。
(クリスマスも近いと言うのに)

ただ、仏教が問いかける『苦しいを苦しいと感じるのは、何故?』が、常に頭にあります。
私は、【別れ】の何に悲しんでいるのか?
もう話せない事なのか、同じ時間を過ごせない事なのか、一緒に人生を歩めない事なのか、【別れ】の本質、自分自身が捉えている【別れ】を少し掘っていきたいと思います。

別れた時に感じる苦しみの正体

私の別れの理由や何年付き合ったのか等の詳細は割愛しますが、当時を思い出しながら何を辛く悲しく苦しく感じていたのかを正直に挙げていきます。

•好きな人に会えない
•いつもの心休まる日常が無くなった
•話を聞いてくれる相手が居なくなった
•自分以外の男性と過ごしているかもしれない事に嫉妬している
•別れを私自身への否定と捉えてしまい、孤独を感じている
•相手のサインがあった筈なのに、キチンと読み取らず関係修復の機会を逃してしまった
•相手に我慢ばかりさせていたのだと気付き、後悔はするものの、謝ることすら出来ない
•自分の浅はかさが、相手を傷付けていた
•自分が優しさだと思っていた事は、自己満足に過ぎなかった
•ただただ、会いたい

恥も外聞も捨てて書き起こすと、上記が正直なところです。

書く前から予想はしていましたが、ほぼ【自分の事】だと言う事に、改めて愕然としました。
別れてなお、【相手】の事ではなく【自分】の事しか考えていないのです。

別れから2年余りの時が過ぎ、彼女が笑顔で過ごせています様にと心から願っていますし、たくさんの時間を使って幸せを与えてくれた事に『ごめんなさい』『ありがとう』と思っていますが、これもまた私が自分勝手に完結させようとしているだけで、彼女に何か良い影響がある筈も無い訳です。

唯一、当時の私自身を評価出来る部分があるとすれば、別れた後のロミオメールを送らなかった事でしょうか。

こうやって自身の心が感じている事を見てみると、醜いなと思うと同時に、この捉え方をする事に人間を理解する鍵がありそうだなとも感じます。

我々はとは言えませんが、少なくとも私は【自分自身】で【苦しみ】を生み出している様です。

他人を変える事は出来ませんが、自分自身なら変える事は出来るでしょう。
上記の様に、私は私の事を考えて苦しみを生んでいます。
次章は、それをもう少し掘り、その正体に迫りたいと思います。

今回もお読みくださり、ありがとうございました😊

次回も、よろしくお願いいたします。
それでは、また。


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