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《概念の分解》仏教ってなんだろう②

こんにちは😊
今回も、よろしくお願いいたします。

前回からの続きです。
前回は、仏教の成り立ちと日本における仏教の立ち位置等を少しだけ覗いてみました。

今回は、【精神的な豊かさ】を入り口に、仏教の考え方を見ていきたいと思います。

出来るだけ客観的に書くつもりですが、哲学的な要素も含みますので、今回は私の主観がどうしても入ってしまいます。

ただし、仏教そのものの教えや考え方に影響する事はありませんので、気軽にお読み頂ければ幸いです。

それでは、見ていきましょう。

精神的な豊かさ

この5年ほどでしょうか、【精神的な豊かさ】という言葉を耳にする事が増えた様に思います。

先行きの見えない経済状況のせいか、はたまたコロナ禍を経たせいか、日本人全体に【お金は大切だけれども】【それだけでは幸せにはなれないよね】というある種の疑問が広がっている様に感じます。

人生において、【物質的な豊かさ】と【精神的な豊かさ】は、それぞれに必要だと思います。

しかし、【物質的な豊かさ】は【精神的な豊かさ】をカバー出来ませんし、逆も然りで【精神的な豊かさ】は【物質的な豊かさ】をカバー出来ません。

【物質的な豊かさ】とは、【食べていける】と同義で、その昔は【食べ物】【衣服】【家】といった生きていく為に必要な物そのものを指していたと思いますが、現代ではそれら全てに交換可能な【お金】が【物質的な豊かさ】の象徴でしょう。

この【物質的な豊かさ=お金】を生み出す方法は、ほとんどの人にとって【仕事】となります。
その事は誰しもが理解しており、幼い頃から教育を受け受験に挑み、少しでも安定した企業に就職しようとする道は、この【物質的な豊かさ】を得る為と言って構わないと思います。

結婚出産子育て老後と、生きていくだけでお金はかかります。

もちろん、必要なお金の額は個人によって違いますが、お金さえあればしなくてもよい苦労というものもありますから、お金はやっぱり大切です。

私も、大好きです。

上記の通り、【物質的な豊かさ】を求める理由も方法も、現代でははっきりしています。
では、【精神的な豊かさ】はどうでしょう。

【精神的な豊かさ】とは、どの様な状態を指し、どの様な方法で手に入るのでしょうか。

例えば、今の仕事が順調で食べていくのに問題が無いとします。
加えて、パートナーと子供さんがおり、自身も含めた家族は全員健康で、関係も良好だとします。

その状態で、誰かに『あなたは幸せですか?』と聞かれれば、おそらくほとんどの人が『幸せです』と答えるのではないでしょうか。

つまり、【物質的な豊かさ】と【健康】と【人間関係】、これが揃った時には【幸せ】な状態であると言えます。

では、【幸せ】=【精神的な豊かさ】なのでしょうか。
実は仏教においては、これが間違いの元になると説きます。

え???
と、感じられた方も多いのではないでしょうか。

幸せだから精神も豊かになると、生活や自身家族の安定こそ精神の安定ではないのかと、思われたかもしれません。

そこが、落とし穴だと私は考えます。
高度経済成長期を経て、日本人が宗教や思想を手放してしまった原因は、【幸せ】を【精神的な豊かさ】だと勘違いしてしまった事にあるのではないかと思うのです。

では何故、【幸せ】=【精神的な豊かさ】ではないのか。
その理由は、【全ての物事は変化し、固定化が出来ないから】です。

嫌な例え話をします。
仕事は順調で、パートナーと子供との関係も良好、健康面も問題なく、細かな課題はあるものの【幸せ】だと言える状況にあったとします。

仕事上の人間関係も概ね良好で、パートナーに感謝し、子供の成長を楽しみに毎日を過ごしていました。

ところがある日、パートナーが交通事故で亡くなってしまった。

昨日まで【幸せ】と言えた毎日は、一変します。

とても【幸せ】だとは、言えないでしょう。
【不幸】どころか、【絶望】です。

とても嫌な話ですが、人生には【これ】が起こるのです。
起こる年齢、起こる対象は、個人によって違いますが、必ず経験します。
パートナーなのか親なのか、友人なのか親戚なのかは分かりません。
それら全ての場合もあるでしょうし、一番考えたくはありませんが、自分の子供である人も居ます。

早くに寿命を迎えた方は経験せずに済むかもしれませんが、その親御さんは経験してしまいます。

釈迦の『人生は苦しいもの』という言葉は、こういった逃れようのない事柄を起因とします。

パートナーを失うまで【幸せ】だと感じていた日常、これはその時だけの【現象】であり、【現象】である限り【変化】してしまう。
今まで日向であった場所が、太陽の動きによって日陰になる様に、【変化】は当たり前の事なのです。

つまり、【幸せである状態】は【固定化出来ない】と言う事が、この世の中の絶対的なルールであると仏教は説きます。

これを仏教では、【諸々の事は常では無い】と言う意味で【諸行無常】と言います。

パートナーと子供が居て仕事も順調、と言うのはあくまで例えです。
学生で恋人が居る状況も、親の脛を齧りながら引きこもりをしている状況も、同じく【現象】です。

絶対に、【固定化】出来ません。
何故なら、いつまでも学生ではいられませんし、いつまでも親が元気な筈はないからです。
全て【変化】します。
【固定化】出来る事柄は何一つないのです。

仏教は、この【全ての物事は変化し、固定化出来ない】故に【幸せもひと時の現象に過ぎず】【必ず苦しみはやってくる】をベースとして、理論を展開します。

そして、パートナーを失うなどの【人生に必ずやってくる苦しみ】を、【四苦八苦】と表現します。

四苦八苦とは、人生における苦しみを八つに分類したものです。
私が例としたのは、そのうちの一つ【愛別離苦】です。
【大切な人を失う苦しみ】で、これは死別だけではなく、恋愛などの別れも含みます。

検索すれば直ぐにヒットしますので、残りの七つにご興味がある方は、是非。

話を戻します。
では、【精神的な豊かさ】とは、いったい何でしょう。
結論から言いますと、【日常生活を送る精神状態】です。

愛別離苦に代表される、【人生で必ず起きる苦しみ】は防ぎようがありません。

人は必ず生まれ、老い、病み、死にます。
このルールは絶対的なものですから、それらに関わる苦しみは防ぐ事が出来ません。

もしこれらを防ぐ事が出来ると言う人が居るのであれば、耳を貸す必要はないでしょう。
仮にこういった不幸が短期間に立て続けに起こったとしても、あなたが呪われているとか何か原因があるなどと言った事は、ありません。

たまたまです。
全ての物事は変化しますので、【悪い状態】も勿論【固定化】出来ません。
今その時だけの【現象】です。

とは言え、苦しみに直面した人、今現在苦しんでいる人は、一刻も早くその苦しみから逃れたい筈です。

仏教では、最初の苦しみ(パートナーを失う)を【第一の矢】、その苦しみによって【自分の心を壊す事】を【第二の矢】と言います。

前述の通り、【第一の矢】は防ぐ事が出来ません。
生きていれば、必ず起こります。

しかし、【自分の心が壊れる事は防ごう】
そうです。
仏教とは、【第二の矢】を防ぐ事を目的の一つとしているのです。

そして、【精神的な豊かさ】とは、【何があっても壊れない心】つまり【苦しみに囚われず、日常生活を送る精神状態】、これを手にする事なのです。

これは【物質的な豊かさ】では、解決出来ない事柄です。
【壊れそうな心】を、お金で守る事は、残念ながら出来ないのです。

【豊かさ】と聞くと、溢れる程の量を想像してしまいますが、仏教は大金持ちになる事もハイテンションを維持する事も目的とはしていません。
【食べていける量】【日常生活を送れる精神】、この二つを過不足なく身に付ける事を、我々に説きます。

贅沢をするのではなく、足るを知り地球や宇宙、自然といった本質的なものに意識を向ける余裕を持とう、これが現代に必要な仏教感覚であろうと、私は考えます。

しかし…
そうです。おっしゃる通りです。
言うは易し行うは難し。

そうは言っても、苦しみに囚われず心を楽にする事は、簡単な事ではありません。
そして、鈍感になれとも期待をするなとも、仏教は言いません。

次回は、【我々は何故、苦しいを苦しいと感じるのか】を入り口に、【人間の認識】を触ってみたいと思います。

今回も、お読みいただきありがとうございました😊

また次回、よろしくお願いいたします。



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