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呪いを解かせて

文章を書くのは久しぶりだ。
いつも思うのは、私は定期的に心に溜まった澱を文章として昇華させなければならない人間なのだということ。でないと頭に靄がかかって思考が歪んでいくのだ。だから私は久々にパソコンを前に文字を紡ごうとしている。
頭の靄が消えれば良いと思いながら。

最後に文章を書いたのは10月。退院する前夜に堰を切りそうな思いを吐き出した。本当にたくさんの思い出が詰まった3ヶ月間だった。
退院してからのしばらくは病院が恋しかった。あの守られた空間、優しい雰囲気、自由はなかったがあの場所に心から戻りたいと退院して半年近く経った今でも思う。でも戻れないのだ。私には学校があってバイトもある。心を休めたくてもなかなか休められないのが現実なのだ。

退院してからの私は忙しかった。私はお金が全てだと思っていた。だから味のない日々となんだか寂しい懐を仕事で埋めるべく夜の世界へと飛び込んだ。
周りは美しい先輩ばかり、辟易することばかりだった。私は元から劣等感が強い。だから余計に心が苦しい日々が続いた。新人だからお客さんを掴むことができず肩身が狭かった。どんな世界でも同じだが実力主義の社会。実績が無ければ大切にされない。それが辛くて仕方なかった。それでも無理にでも頑張ろうと心をすり減らして努力した。少しでもチャンスを掴もうと毎日のように出勤した。しかしなかなか上手くいかない。朝日と共に眠り月と共に起きる日々。
そんな毎日を続けているうちに心に限界が訪れた。まずはお金をたくさん使った。自分が身を削って稼いだお金を際限なく使った。お金が減って周りに物が増えても私の心の空虚は満たされることはなかった。
次に処方された薬を際限なくかき込み、安焼酎をストレートで飲み、心の輪郭がぼやけたところで腕を切った。切る場所が無くなるまで切った。床には大量の血液が滴っていた。それを見て、腕の痛みを感じて私は幸せだった。緋色が美しかった。ようやく心が軽くなった。私の心を満たすのは物ではなく酩酊と痛みなのだ、薄ぼんやりとした頭で思ったのを覚えている。

心ここにあらずになった私はふらふらとリビングへと向かった。そして母親に普段からの心の燻りをぶつけた。腕を乱暴に振った。周囲に鮮血が散る。この時の私には際限というものがなかった。頭に浮かぶがままに暴言を吐き母親に憎しみの言葉をぶつけた。今まで苦しめてきた分、倍返し、いや百倍返ししてやろうと思った。それでも憎しみの言葉は尽きることはない。ついに手が出た。私を今まで殴って蹴ってきた分懲らしめてやろうと思った。自分は正義だと思った。母親も抵抗してくる。だから私も負けじとやり返す。乱闘だ。
響き渡る叫び声と怒号と泣き声に姉が恐怖を覚えたのか電話を手に取る。『これは110番される』と思った私は次は姉につかみかかる。それを母親が押さえる。側から見たら地獄絵図のような光景だっただろう。私は『二度と病院は御免だ、手にした自由を逃したくない』その一心で姉から電話を奪おうとする。
しかし抵抗虚しく姉の手は110番を押していた。

間もなく家の前に車が止まる音がした。
ズカズカと無遠慮に家に踏み込んでくる白と紺色の塊たち。思考が止まった。もう私は鍵のかかった分厚い扉の保護室に入れられるのだという運命を悟った。
警官に何を問われたのだろう、分からない、思い出せない。ただ、最期の一服という思いで煙草を吸っていたのは覚えている。あと腕の傷を見て警察が救急隊を呼んだことも(『こんな傷でいちいち救急隊が出動してたら救急車が足りなくなるだろ』と思ったのが印象的)。

なされるがままにパトカーに乗せられた。両サイドを警官に挟まれて乗った。やけに乗り心地のいいクラウンがうざったかった。

病院に着いてからはいつも通りだった。救急外来の部屋で知らない医者から
「あなたは自分や他人を傷つけようという気持ちはありますか?」
と腕の傷を見れば答えは一通りしかない問いをされ
「いいえ、全くありません」
と答える茶番。こんな返答をしても処遇は決まっている。
「これより〇〇さんを第29条に則り措置入院とします」
死刑宣告が下される。
するとどこからかゾロゾロと屈強な看護師たちがやってきて私をはがいじめにして病棟行きのエレベーターに乗せる。必死に抵抗するが無駄なだけ。
引きずられるように保護室に押し込まれる。着ている服をすべて脱がされて囚人服のような黄色いパジャマを着せられる。そして看護師たちは出て行く。

私は憎かった。私を病院に押し込める家族が。私をこんなところに連れてきた警察が。この世界の全てが。
だから永遠と怒鳴っていた。意味もなくナースコールを押した。初めのうちは看護師さんも相手をしてくれていたが段々と相手にされなくなった。それが許せなくて更に怒鳴った。叫んだ。声が枯れるまで。
同時に絶対に寝ないし何も飲まない食べないと心に誓った。
だが人間は脆いものだ。何時間も立ちっぱなしで叫び続けた私は疲れ果ててしまった。何も分からないまま直置きのマットレスの上に倒れ込んだ。

気付いたら朝が来てご飯を渡された。到底食べる気になどならなかった。
「早く主治医を呼べ」
「早く退院させろ」
こんなことを言っているうちはこの牢獄から出ることなどできないのに再び叫んだ。
時間の経過がやけに遅かった。たった数時間が1日のように感じた頃ようやく部屋のノックがされた。医者が来たのだ。
「何があったの?」
いつもの調子で聞いてくる。『事の顛末など知っているくせになぜ聞くのか』と怒りで沸き立つ心を抑えて出来るだけ平静を装い答える。
「家族が帰ってきていいよ、と言ったら退院していいと思うよ」
無責任なことを医者は言った。家族はこんな私とは関わりたくないだろうことは分かっていた。しかし仕事に行かなければいけない。その使命感だけが私の頭にチラついていた。だから慌てて父親に連絡をかける。返事はもちろんNOだった。
私の頭は再び怒りと憎しみに支配された。
医者が去った部屋の中で永遠と叫び続けた。この叫びが家族のもとに届けばいいという届かぬ祈りをしながら。


1週間ほど経っただろうか。私は叫ぶのを諦め全てに絶望していた。虫の息になりながらもう一度父親に連絡をかけた。
「何でもするから家に帰してくれ」
疲れ果てた声でそう伝えた。
すると次は母親から連絡がきた。”家に帰りたいなら誓約書を書け”と。誓約書の内容はあまりに理不尽なものだった。


実際の誓約書

一分一秒でも早く自由を手に入れたかった私は涙を飲んでこれを書いた。(ここには書かれていないが保険証も親保管となった)

数時間後私は保護室から出て診察室で母親と医者と対峙していた。
母親は私の部屋を漁ったのだろう、私が大切にしていた薬を全て袋に入れ、コンサータカードも持っていた。
「じゃあこれ先生の前で捨てて」
と母親は残酷な言葉を突きつけた。しかし逆らっては私に自由はない。私は心を殺した。何も考えないようにした。考えなければ苦しくないから。
そしてゴミ箱へ薬を捨てコンサータカードを切った。


私の心はこの時から固まったままだ。

あの誓約書は今も家の冷蔵庫から私を見て離さない。

私の文章、朗読、なにか響くものがございましたらよろしくお願いします。