HSPかもしれない人へ

画像1

 幼い頃から誰かが叱られていると私まで泣けてくる事が多々あった。工事の音で眠れなくなったり、友達の溜息一つで不安に駆られる事も。人の気持ちを過敏に読み取ってしまうせいで、物凄く気疲れしてしまう日々。集団行動も苦手、二人以上になると委縮してしまい極端に発言が減る。他人とは良い意味でも悪い意味でも、どこか自分は違うと思っていた。

 「HSP」という言葉が最近注目されている。これはうつ病や自閉症などといったハッキリとした症状ではなく、あくまでも人の性質の話だ。例えばADHDなどは薬物治療ができるが、「HSP」は治療法はないと考えられる。ではなぜ「HSP」という言葉が最近のSNSで使われるようになり、そのうえ私はHSPだと公言する人が出てきたのか。そして私もそのうちの一人である。

 私は「HSP」という言葉に出会うまでは、先述したように人とどこか違うと感じていた。具体的にどういった事態があったわけではないが、幼い頃から周囲の大人に言われることも多く、第三者からの意見も加わりそう思うようになった。社会人になった今、4年制大学を出ているにも関わらず、一般企業には就職せず、主にSNS活動を通して生計を立てている。それまではグループ活動を行っていたが、やはり集団行動は苦手。他人の一言一言を深読みをし、自らネガティブな思考回路へ導き、そのストレスに耐えられなかった。

 それまでは自分はちょっと神経質なだけだ、と思っていた。私を変えたのは躁うつ病の彼だった。元々、心の病気に対しての関心は薄かったが、躁うつ病について少し調べていくうちに、「HSP」についても自然と詳しくなっていった。私が今までどこか生きづらく思っていたのはこういった性質を持っていたからなのだと少し安心した。


 ここで一冊の本を紹介する。福西勇夫『HSP・心の病と"生きづらさ"「とても敏感な人たち」のために』(令和3年12月 株式会社法研)。この本は「HSP」という理解しにくい性質について、他の心の病気(自閉症、統合失調など)の説明を加えながら、詳しく教えてくれる。もしも、恋人や大切な人が繊細が故に生きづらさを感じていたらぜひ目を通してほしい。また、SNSでも簡単に調べられるので、より多くの人にこういった性質の人間がいる事を知ってもらいたい。


 ここからが私が最も伝えたい事。私が「HSP」を自覚し、何が変わったか。まずは、自分が何に対して敏感なのか。例えば対人関係、聴覚や視覚。そこをゆっくりと分析していくことが重要である。対象がわかったら、私生活からなるべく取り除くように努める。それは逃げではないということをここで強く主張したい。そして自分が生きづらい事を否定的にとらえない。今ここで何が自分を生きづらくしているのかを明確にする事で、今後の人生は大きく変わる。心の病は、多少のハンデを背負うことになる。いくら、家族や本に励まされても、急に治る事ではないし、他人に理解されないのは百も承知である。

 

 ハンデを背負っている事を認め、自分の好きな事、やりたい事に突き進んだ時に、そのハンデは誰にも真似できない武器へと変わる。そして自分の状態を理解したうえで、世の中に挑んでいく事で自己肯定感も上がるだろう。無理に自分の性質を変えようとしなくてもいいし、他人に理解してもらおうだなんて思う必要もない。


 私はかつて「不安障害」を抱え(心療内科で診断)無気力な時期があった。そして今は「HSP」という性質に自分で気づき、一個ずつ紐解きながら前進している。躁うつ病の彼とも向き合いながら。日々心の問題と向き合っているのは私だけじゃないし、あなただけでもないから。


#最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?