見出し画像

自分を見つけて、自分を見失った1年8ヶ月の記録

韓国に来て1年8ヶ月。日本一時帰国まで、D-47。

前回の投稿に続いて、今回は韓国に来てから今日までの日々を振り返ろうと思う。

9月に韓国行きを決断した時の“期待70:不安30“は、いつの間にか“期待10:不安90“に変わっていた。コロナに感染したらどうしよう、入国できなかったらどうしよう、隔離先が許可降りなかったらどうしよう、家見つけられなかったらどうしよう、仕事見つからなかったらどうしよう、知り合いも誰もいないのに本当にやっていけるのかな、ありとあらゆる不安が波のように押し寄せる日々(笑)

正直今だから笑ってるけど、自分が決めたことだから誰にもこの不安を打ち明けることはできなくて、出国日が近づくにつれて、やっぱりやめようかな。無理だわ。と情緒不安定な日々が続くも、着々と準備は進めていった(笑)

そして、ついに12月3日。
コロナの影響で名古屋からの直行便がなくて関空へ。
スーツケース2つを手に出国。今考えたら、大学卒業前にスーツケース2つだけ持って家もないのに1人で海外移住しようと思った自分の度胸やばすぎ。しかもコロナ禍での出国だったから、飛行機代、2週間の隔離で費用はほぼ2,3倍。死ぬ気で稼いだ生活費諸々、一瞬で消えた。悲しすぎる。

無事、問題なく入国しPCR検査も陰性で2週間の隔離生活スタート。正直、お家大好き人間なので2週間余裕だった。でも、流石に誕生日を隔離中に迎えるのは寂しすぎたからおすすめしない() そして、隔離も折り返し地点に突入し、前半にいくつか履歴書出していた会社のうちの1社から面接の案内が。ついに韓国での初めての面接。オンライン面接だったけどめちゃめちゃに緊張した。韓国語でする初めての面接だったから、前日からスピーチコンテスト並みに一人で練習。めっちゃ必死だった。

そして次の日、結果は“合格“。

え?何か思い描いていた図と違いすぎて困惑。こんなにすぐ仕事先見つかっちゃってもいいの?自分の思い描いてた図は、隔離終わって1ヶ月くらいは見つからなくて当たり前だろうな。焦らず頑張ろうだったのに隔離終わって1ヶ月どころか、隔離終わって3日後から出勤(笑)フルタイマーで応募したけど枠埋まってて週16時間のアルバイトだったけど、受かっただけで満足。そうこうしているうちに、2週間の隔離も無事終了。

Twitterで繋がった韓国在住仲間たちに助けられ、とりあえず2ヶ月間住む家も確保。(今考えたらTwitterで繋がった人に知り合い紹介してもらって、その知り合いの家借りるという、相当な度胸がないとできないことを普通にしていた)

そして、初出勤。関心のある分野での仕事だったので仕事は自分ととても合う!でも、問題は週16時間のアルバイトでは食べていけない!3ヶ月後には家なき子になってしまう。。。それだけは避けなければ。ということで、上司にフルタイマーへ契約を変更していただけないかと提案。(自分の性格上こういうの本当に苦手できれば避けたい派。)返ってきた返事は、今は無理。枠が埋まってるからってことを理由にされたけど、今思うのは韓国語がまだ当時は、今みたいに流暢じゃなかったのも大きな理由だったと思う。普通に落ち込んだし、え、もう無理じゃんって感じだった。悔しい。でも、ここで諦めるわけにはいかない。未熟な部分もたくさんあるけど、任されたことは最後まで責任持ってやりますと猛アピール。結果、1週間やってみて問題なければ契約更新してくれるということに。そして次の日から、上司がずっと私を見ている。これはもう監視レベル(笑)でも、あまりの必死さにその視線すらその当時は感じなかった。ただただ必死だった。そして次の日、出勤したら他の社員から、よかったね。おめでとう。と言われ、1人ハテナ状態でいたら、上司に呼ばれて来週から40時間のフルタイマー契約に更新しようと。

????????

1週間はどこへ????

上司曰く、私がここまで話せるとも思っていなかったみたいだし、ここまで問題なく仕事こなせると思ってなかったみたいだったけど、私が普通にこなしてしまって1週間見守る必要もないのでそのままフルタイマー更新OKとのこと。困惑を隠せいなかったけど、内心ガッツポーズした。これで韓国での一人暮らしがやっと実現すると思うと嬉しすぎて泣いた。

しかし、次の問題はまたすぐにやってきた。終わりのない海外移住生活の壁。
次は家探し、友達に借りていた家ももう時期退出しないといけない。日本でも一人暮らししたことない人間が、海外にきて一人で家探し。でもやるしかないんです。というわけで、1人で不動産を巡り予算内のワンルーム探しスタート。

ここで、まず韓国の賃貸の仕組みから。
日本では、敷金・礼金があるように、韓国は保証金という制度がある。日本の敷金礼金は家主に支払えば返ってこないが、韓国の保証金は退出時に全額戻ってくる。

え、めちゃいいじゃん。家賃だけ払えばいいんでしょ?

と考えた方もいるでしょう。しかし、そんな甘くはいかないんです。保証金は大体50万円〜(日本円)です。高いと何千万円まで。仮に、契約する家の保証金が50万円なら、入居日に家主に50万円を振り込まないといけない。(それに、韓国ではこの保証金をめぐった詐欺トラブルが本当に多い。)

私の場合、親から金銭面での支援は貰わないことにしたので、この保証金も全て大学4年生の時に死ぬ気でアルバイトして貯めたお金で全て支払いました。

何もかもが初めての中、何日も不動産巡りをし数十件の家を見て回りました。そして何とか契約に成功。ついに、自分名義で契約した(賃貸ですけど(笑))家での韓国一人暮らし生活が始まりました。

仕事も少しずつ慣れてきて、会社の人とも仲良くなりやっと少しずつ韓国生活に馴染めてきた。仕事→家→仕事→家の繰り返しだったけど、それすら楽しかった。もし日本でそのまま就職してたら多分すでに仕事辞めていたと思う。それほど日本から抜け出したかったし、韓国に住みたかった。毎日、同じ繰り返しの日々だったけど、毎日新しい発見のある日々だったから半年はあっという間に過ぎていった。毎日必死に働いてたら、その努力の甲斐もあってかフルタイマーになって半年も立たないうちに昇進が決まった。(7月時点)

こんなに、トントン拍子でいいのかってくらい上手いこと進んでいった。
ずっとこんな具合だったら本当に幸せなのに。

でもそんなはずもない。

振り返ってみれば、、、
大学2年 前期:韓国 語学留学、交換留学選抜
大学2年 後期:入院・手術、交換留学準備
大学3年 前期・後期:韓国 交換留学
大学4年:就活、卒論、週5でアルバイト
卒業と同時に韓国移住
と休む暇なく走ってきた。

それと、同時に職場でのストレスが積み重なって、自分も知らないうちに精神的にものすごいダメージを受けてた。(韓国語の発音でバカにするように笑われたり、真似されたり)でも、ここで負けたら日本に帰るしかない。でもそれだけは絶対に避けたい。何故なら日本に帰れば、今以上のストレス環境にまた自ら飛び込むことになるから。周りから休むことを勧められるも、今休んだら今までの努力が水の泡になると自分を奮い立たせて何とか乗り越えた。

そして、ある日。上司から話があると呼ばれた。昇進して2ヶ月、ありがたいことに2回目の昇進が決まった。正直めちゃめちゃ不安だった。年齢的にも経験値もまだまだ足りないと思っていたし、もともと誰かをまとめる役は苦手な人間だったから。それに、昇進したら自分より年上の人たちも自分がまとめないといけない。同じ職級の人たちも自分より何歳も年上の人たち。でも、やるしかない。こんなチャンス逃すわけにはいかないと思い。毎日何とか必死に生きた。

この頃から、少しずつ壊れていった。あまりにも休まず走り続けてしまった。職場でのストレスも異常じゃなかった。そして、退職を決断。だけど、周りから止められる日々。退勤して、上司と同僚に呼ばれ1%でも続ける気があるなら辞めないで、もう一度考えて欲しいとのこと。もうこの時点で限界だったのに、ここで考えずに辞めればよかったのに。家に帰り、過呼吸に。119を呼ぶもコロナの影響もあり家で収まるまで状況だけ見ることに。そして次の日、仕事も行けず病院へ。

ついに恐れていたことが現実に。

ここから全てがどん底に。2022年入ってすぐ、うつ病と不安障害と診断。
正直知ってる、今始まったことじゃないって。何年も前から、中学の頃から同じような症状が定期的に襲ってきたから。今まで放置してきただけ、どうせ言ったって誰も聞いてくれなかったし、信じてくれなかったから。結局これも一つの理由だった。韓国に来たら、周りに誰もいないから、周りの視線気にせず病院にも行けるし、韓国に来る前は、自分が本当に無理だと思ったその時は死のうと思ってたくらいだった。でも、韓国に来てからは、自分のこの努力が無駄で死にたくても死ねない。

病院で診断されてから、ジェットコースターのような日々。
夜まで大丈夫だったのに、朝起きたら何もできない無気力状態で出勤できなかったり。出勤途中に過呼吸になったり。この時から、若干のパニック障害も。それでも、周りの助けのおかげで何とか少しずつ回復して、少しずつ日常を取り戻して。でも、以前のような自分はいない。体がいうことを聞かなくなっていった。コンディションも良くない日がほとんど。毎日、大丈夫なふり。自分に大丈夫って言い聞かせる日々。

それでも自分のキャリアのためだと思って何とか続けた。うつ病と不安障害を診断されてから約7ヶ月。2度目の退職を決意。これが本当に最後。これ以上ここにいたら自分を見失うだけ。やっと退職すると伝えた。もう未練も何もない。1日も早くここから抜け出したい。だから正直、自分が崩れた後からの話はあまりしたくない。考えれば、またしんどくなるだけだから。

大学2年から、休む暇もなくただただ走り続けた。韓国生活もいつの間にか1年8ヶ月。1人で生活していける基盤は十分に築けた。少し休む時間を持とうと思う。うつ病、不安障害とも向き合いながら、やりたいこと、新しいことに少しずつチャレンジしてみようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?