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なぜか特別視される読書

読書は偉いらしい

私の大きな趣味の一つとして読書があるのだが、自分は全くそれが特別なことだと思っていないが、もの珍しい印象を持たれることが多い。「読書して偉い!」と言われることさえある。

では、なぜ私は読書するようになったのか?

読書を始めたきっかけ

もともと私は読書をする人間ではなかったが、ヨーロッパを放浪旅していた時に自分は政治・経済・歴史・文学など何もかも知らないことに気がついた。それが歯痒くて生涯かけて森羅万象の欠片でも知りたいと思うようになった。当時はその知的好奇心を早く満たしたいがために早く帰国したいとすら思った。今までずっと眠っていた知的好奇心が芽吹いたことを実感した。

放浪旅みたいな経験をせずとも、本来この好奇心は誰もが生まれた頃から持つ。

子供は生まれてから周りのことは何も知らないから何事も常に知ろうとする。ただいつの日からか、所謂社会の”常識”を知るようになると、何事も”そのようなもの”として認識し、知的好奇心を失う。

知的好奇心を満たしてくれるツール

少し話が逸れたが、本は元来みんな持っていたはずの知的好奇心を満たしてくれる最高のツールである。だから知的好奇心がある限り、本を読むことは避けられない。読書は手段に過ぎない。

眠いから寝る、腹が減ったから食べるのと全く同じ。知りたいから読む。何も特別なことではない。

読書するには?

ではどうしたら読書しようと思うのか?何度も言うように、それは何かを知ろうとすることだ。植物について知りたかったら植物の本を読めばいいし、世界の食文化について知りたかったら世界の食文化の本を読めばいい。あまりにも単純かも知れないが、こんなもんだ。そして世界の食文化の本を読んでいたら世界史に興味を持つかも知れないし、そうなったら世界史の本を読めばいい。そうやって知的好奇心の宇宙は広がっていく。いつの間にか読みたい本で溢れかえるようになる。

ところで、私の母親は全く本を読まないが、たまたま私がソファに置いていたフェルメールの本を読んでいた。その理由を聞くと、「以前にフェルメール展に行って彼のことを知りたかったから」と答えた。

読書する理由はこの小話に集約されていると思う。知りたいから読む。それだけ。

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