映画『パラサイト』と愛

昨日、映画『パラサイト』を観ていて「愛こそ格差や差別を乗り越える手段である」ということを直感した。

この物語は超大雑把に言うと、貧乏家族4人が貧民とバレないように4人家族の富豪の召使いとなることに成功するというお話。

貧乏家族は絶えず身元がバレないように振る舞うため、ストーリーは絶えず緊張感を帯びている。そしてついに、富豪家族4人のうち3人は徐々に彼らから漂う貧乏人独特の臭いを感知してしまう。じゃあ残りの一人は・・・

そう、臭いを感知しないのだ。

なぜか?

その子(女の子)には貧乏家族の一人が家庭教師としてついていて勉強を教わっているのだが、次第に二人の間に恋心が芽生える。そのためなのか、劇中では彼女だけが臭いについて言及することがない。

恋は臭いなんか知るか、いや、気づいてたまるかと言わんばかりに、二人の間には澄み切った恋の糸が引かれている。この二人の間には臭いに象徴される歴然たる経済的な格差があるにも拘らず、恋がそれをフラットにしているのだ。

僕はこれを観た時、冒頭に言ったような「愛こそ格差や差別を乗り越える手段である」ことを理解した。(恋が愛の芽であるという前提に立てば)

たとえば、敵対する家柄同士のロミオとジュリエットが一つになりたいと願ったのも、貧乏人のシンデレラが王子と結ばれたのも、その原動力は愛だ。

恋愛的な愛でなくてもいい。突き詰めればフラットな社会には人類愛が必要なのではないか。イエス・キリストが説いたことが朧げに分かったような気がする。

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