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スラップレッスンから考えるベースの基礎練習と価値の向上。

【基礎が大事!じゃあその大事な基礎って何の事だろう?】


3時間ベースレッスンを自宅でやってる、わたくしポング。

3時間みっちりでもあるし、緩々とベースを楽しむ空間でもあるし、すぐに音が強く太くなっていくぐらい濃密でもあるし、なかなか素晴らしい時間を過ごさせてもらってます。


で、先日、その中で印象に残ったのはこれ。

【スラップ】

ベースと言えばもはやこれってぐらい、浸透してる感もある弾き方。そのコツについて教えていき、非常に興味深く感じるところがありました。


スラップについて多くの方がぶつかっている壁。

「音が出ない….」

これが非常に厄介・・・

かと思いきや、ポイントを伝えていくと本当、あっさり変わったりするんですね。

目の前で「た~のしい~!」って変化を見ていると、成長速度の嬉しさと複雑さ、両方味わえてアメイジングです。


「じゃあそのコツをここで解説!」

って、申し訳ないんですが、その話を今しようとなったのではなく、

「基礎練習って何の事なんだろう?」

自分的に凄く気になった、改めて考えたくなった、話してみたくなったのが、この記事な次第です。


例えばその、

【音が出ない出せない状態】

これを放置したまま、

「うおぉ!基礎やるぞ~!」

って燃えても、成果は限りなく微妙なんじゃないかと思うわけですね。

そもそも音が出てない。出せない。手応えが無い。どういう仕組みかよく分からない。実は本音はあんまり楽しくない。

そういうところを無視して取り組むのは、順番的にちょっとおかしい感じするなと。


でも不思議なもので、

【基礎練習】

この概念は存在するし、方法も無数にある。

それをやった方が良い、それがなければこの先詰まってしまう、だから基礎をしっかりやろうって意識が芽生えたり、真面目になったり、そこに労力を注ぎ込んだり、練習は人一倍やる!みたいなのも珍しくない。

でもやっぱり不思議。

【音が出ない】

その状態のまま頑張る基礎練習って何の事だろう?


そこをもうちょい具体的に言うと、

【弦が鳴ってない】

さらに詰めて、

【弦をどう鳴らすか?】

その基礎が無視、軽視されてないか、その基礎こそがまずあるべきなんじゃないか、それがあってこそ取り組みが活きてくるんじゃないか、そんな事を思いました。

身長、体重、体格、骨格、柔軟性、人それぞれ皆違うからこそ、ベース本体、楽器に如何に向き合うか、どうやって弦を振動させるか、何が起きてそうなってるのか、音が生み出されるのか、そこを考えるのが大事なんじゃないかって。


実際、スラップについての音の出し方とその逆、何で音が出ないか、詰まってしまうのか、その辺りについて触れていったら、マジも~、ビックリですよ。

「ガス…. ボス….」って感じだった音が

「ゴーン!バキィ!」

堂々響くようになったり、動きに詰まってたプルがどんどんスムーズになったり、サムピングのアップダウンも出来るようになったり、開放弦とハンマリングを使った6連のコンビネーションまで様になってきたり、恐ろしい速度で変わっていってお互いニッコニコでした。

スラップの才能ないとかそんな話じゃなくて、ほんとにちょっとしたポイント、感覚の違いで変わるんですね。

動かないんじゃなくて、動かすべき部分を意識、認識してないだけ。

血反吐の練習が必要なんじゃなくて、発想と観察が大事。

全然できない……じゃなくて、実は結構できちゃったりする。

良い音が出る、気持ちいい手応えがある、だから自然と弾いちゃう、上手くなれちゃうっていうね。


基本、まずは質より量と言ってる側の人間ですが、ああいう場に至っては、

「量より質」

これが当てはまる気がしました。

言葉変えるなら、

「量より質より発想・観察・分析」

になりそうかな?

まぁ、それが質を高めるって事なのかもしれませんが、「質を高める!」って何かこう「集中する!」みたいな『意識だけ』で終わる場合が多い気がするので、そこをもうちょい具体的にしていくと、そんな感じになるのかなと。

音が出ない原因を調べよう、体のどこを使うべきか考えよう、やりたい事をやる為に動こう、やるべき事を実践してみよう、それが有ると無いではやっぱり違います。


自分の方針として、退屈なスケール練習をいきなりやるとか、生真面目に律儀に宿題をこなすみたいな、そういうのはあまりおすすめしていません。

まずは曲を弾く、曲を覚える、一曲通せるようにする、それを楽しめるようにする、その中で取り組むべき事、必要な事、高めたい事、好きな事を見つけていく、それを大事にしたいと考えています。

綺麗なフィンガリングとかまずは考えなくてもいい。「基礎が出来てないから….」って曲を全然やらないんじゃ意味が無い。理想もイメージも何も無いんじゃ基礎を高めるもクソもない。

「まずは曲を弾こう!」

「もっとベースを好きになろう!」

「もっともっと音楽を好きになろう!」

やっぱりこれがあってこそ伸びるものがある、その為の練習方法も作れれば、高める為の取り組みも生まれると実感します。

それに加え、

「もっと良い音で!」

これが加わると本当にベースが楽しくなる!


だからこそ「基礎をやるぞ!」ってなった際、

「テクニカルでメカニカルな事をやろう!」

「辛い事も何のその!ストイックになるぞ!」

「大変だからこそ得るものが大きいんだ!」

みたいに飛んじゃうのは、ちょっと変だよなって思うわけですね。

『楽しい!』のベクトルが何となくズレてしまう気がするなと。


今回のスラップレッスンにしても、

「ひたすらサムピングあるのみ!今日はこれを3時間だ!甘えるな!そのうち音が出るようになるんだよ!」

ってやってたんじゃ潰れちゃいますよね。

「自分!根性あるから大丈夫っす!」

いや、そういう問題じゃないよな、ってか、こっちがそれに甘えちゃいかんよなとも思います。


スタミナを付ける為のトレーニング、独立して指を動かす為のフレーズ、正確に弾きこなす集中力を得る為の修練、この世に無数ある多くの課題、テーマのそれや効果が分かるだけに、今一度考えたい。

苦行みたいな特訓も散々やってきた身なだけに、練習しない方がマシってなる不毛な練習、音楽的な豊かさとは真逆にあるような演奏にならないよう、本当に気を付けたいと痛感してます。

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