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ツラさと悲しみが行きつく先

4月に入り、ここで文章を書き始めて1年以上が経ちました。

記事を数百書いて、毎日のように文章を読ませていただいています。

その中で思ったこと、感じているあることについて、今更ですがお話したいと思います。


傾向

私が書いている文章の傾向として、
ツラかったことや悲しかったことを書いた文章ほどよく読まれているのではないか
ということに、随分と前から薄々とは気づいていました。

“よく読まれる”とは、ページビュー数だけでは本当に読まれているのかどうか判断しにくいところがあるので、コメントをいただいたりDMをいただいたりした場合を、ここでは“よく読まれる”という表現にしたいと思います。

要はツラかったこと、悲しかったことについて書いた文章を読んで共感している、あなたは自分を責めるべきではないといったことを伝えようとして下さっている方が、noteにはたくさんいると感じるのです。


ではそれらをもっと出すべきか

では、ツラかったことや、悲しかった出来事をここでもっと出すべきなのかどうかということについて長く考えてきました。

しかし“よく読まれる”のであれば、どんどん出せばいいのではないかというとそうではありません。

というのも、
ここには繊細な方もたくさんいるということもわかっているからです。

何気なく文章を読んだつもりが、過去の何かを思い出してしまい精神が不安定になってしまったり、長い間思い出さず来れていたことがここにきて思い出されてしまい、読んでいる方がツラい思いをされるのは嫌だなとも思うからです。

読み手のことはあまり気にせず書いていたつもりでしたが、私も同じようにnoteの読み手でもあります。

上記のようなことが私にも起こってしまうことがあるので、無意識のうちに自分に置き換えて考えてしまっていたのだと思います。


一方で

一方で、更に深いところへ話を掘り下げると
文章を読むことで悲しみを感じたい。ツラさを感じたい。

ハッピーエンドでは物足りない
普通じゃ読んだ意味がない
もっと危険で、他で手に入れられないものを見せてほしい

そう思っている自分もいませんか?

ツラさと悲しみが、気が付けば快楽に変わってしまっている。


正直私は単なる「繊細さ」だけではなく、それらに快楽を求めがちな人間側でもあると思うので、気持ちがとてもわかる分、これからここで何を書こうかなといつも考えてしまいます。

それでも次回からも、仕様もない内容を投稿したいと思います。






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