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生きるということについて

こんにちは

こんばんは


なんだか仰々しい標題がついていますが
最近自分の見捨てられ不安に真っ向から向き合ったのですが

向き合う前にとことん落ちまして

その時に考えたのが
「どうして生きなければならないのか」
ということだったんですね


私は自殺を否定はしません
だからと言って自殺を勧めるわけでは無いのでそこは誤解しないでいただきたいのですが。。。

生きていることが本当に辛い時ってあると思います
人が生きていくためには、衣食住が揃っていればいいというわけでは無いのが面倒だなあと思うところです
衣食住がないと生きていくのは大変ですが

男性は名誉とかプライドに、女性は恋愛関係かな
自殺の原因になりうるという話をどこかで見ましたが


私の場合は居場所がないこと

会社に勤めていて、友人もいます
たまに顔を出すコミュニティもある
それでも居場所が無いと思っている

恐らく、私が心を開いている場所がどこにも無いから

どうやら、私は本当の感情を周りからは理解されにくいらしく
多分明らかにわかってほしくて出しているようなものはもちろん伝わるというか伝えているのだけれど
怖がっているとか、喜んでいるとか、好きとか
あんまりそういう感情が伝わりにくいようで

それはやっぱり幼少期に負の感情とかを出さないようにしていたからだと思われ
(出すととても怒られてしまうか、鼻で笑われてしまう。
自分の大事な感情を軽く取られてしまうのはとても苦しいし、軽んじられているようで辛い)

さらに、何かが起こった時にはその感情を抑え込んだり自分で噛み砕いたり、何ならただ把握するだけで私には一杯いっぱいで
そうね、とてもじゃ無いけどそれを表現する余裕なんてないだけかもしれないのです

ここはもう少し考えて見る余地がありそうですね


これは訓練なのかな、とも思いつつ
(でも、仕事のキャラはよく作れていると思うんだけど
本当は多分心配だし甘えたいしの弱い感じになってしまうので
どう会話していいかわからない・・・)



話が逸れましたが

生きていることの意味って
何にも無いんですね

アインシュタインの話を最近読んで
原子、核物質、燃料エネルギー

生命が持つもの→エネルギー=熱

それって要は地球のごはんの元

私たちが血液の中の血小板と同じで

この地球上にうまくエネルギーを循環させるための存在でしかなくて

何かを成すとか成さぬとか

地球からしたら何も無いんじゃ無いの?ということを考えてしまったんですね


ただ生きているだけで役割を果たしているわけで
一人前に生きて行かねばとか、迷惑をかけるなとか
親を大事にとか全て、一部の人間が決めた何かで

それができないと生きている価値がないなんでそんなはずはなくて

でもエネルギーの代謝を上げるような行為には意味があるんじゃ無いかって

だから、ワクワクしたり、泣き出しそうな何かを見たり
何かと繋がるようが喜びを感じたりしてエネルギーを高めるのは
地球のごはんであるエネルギーとしては素晴らしんじゃないかな

でもそれは結果論で、すごいエネルギーだろうがもう生きるのをやめてしまったエネルギーも
結局は一緒
若干素材が違ったりするのかな
でも大差ない
大地に還るだけ


そう思うと、少し「何者かにならないといけない自分」から抜け出して
週末は自然の中でぼーっとして見ようかな、なんて
そんな気持ちになってくるのが不思議ね

いつか私が単なるエネルギーに戻った時に
どんな感じになるのか
きっとあっけない気はするけれども
少し楽しみに思えるのでした

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