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#10.イタリア語

 イタリア語ははたしてラテン語に最も近い言葉なのだろうか。
 イタリア人に同じ質問をすると大抵は「ああ、その通り!」と明るい返事が返ってくることが多いのだが、本当にそうなのかとかなり疑っている。人を信じなさいと我ながらに思うのだが、生来疑り深い性格なのだからしょうがない。
 例えば、イタリア語を聞くと、語末からテンポの良いアクセントが明るく、陽気に響く。しかし、ラテン語といえばどうしても、キリスト教の教会で使われている典礼言語のイメージが強く、念仏の類にしか感じない。私にとって、イタリア語とラテン語の響きは全く逆に響いているのである。
 しかしながら、その真逆の音を持つ言語が互いに親と子のような関係であるというのは全く不思議ではなかろうか。

ロマンス諸語について

 ラテン語もイタリア語もロマンス諸語と呼ばれる語派に属している。印欧語族と呼ばれる最大級の大きな語族の中の一角を形成し、ここで紹介するイタリア語やスペイン語、フランス語が属するヨーロッパでも有数の大言語である。

 ヨーロッパの言語はほとんど親戚関係である。例外は少なく、マルタ語やバスク語、ウラル系のフィンランド語、エストニア語、ハンガリー語などである。ロマンス系の言語は今まで紹介してきたアルメニア語やアルバニア語とは遠い親戚だ。また、アイスランド語や英語とも親戚のような言語である。興味があれば、その3つの言葉についての記事もすでに書いている。参照にしてほしい。


 ロマンス語の特徴は何かと言えば、現在ヨーロッパでしゃべられているロマンス系の言語がほぼ全て、ラテン語から派生した言語と考えられているということではないだろうか。そのため、遠かれ近かれロマンス語に属している言語は同じような文法的な特徴を有しているし、語彙も大きく似通っている。時には言語間の距離が近すぎて、独立した言語というよりも一種の方言の連続であると考えることもできるだろう。

 ただし、ロマンス系言語を同時に2つ以上学ぶと、文法や語彙が類似していることが多いので、混ざってしまい、混乱の元になることがある。また、学習者の観点からいえば、1つのロマンス系の言語をある程度学べば、他のロマンス系の言語が学びやすくなるため、ヨーロッパの言葉に広く興味を持つ人にはおすすめだ。

 特にイタリア語はスペイン語とも同様に母音が多く、子音や曖昧な音に聞こえる母音を駆使するフランス語やルーマニア語と比べ発音もしやすいと思う。

ラテン語との距離

 いくつかの資料を参考に動詞の現在形の活用のリストをまとめてみた。

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  上記の図を見ると、ルーマニア語を除き、全ての言語の語形が似通っていることと、動詞の語尾の変化が似通っていることにお気づきだろうか。この中で、この比較をみると、イタリア語は特に次のような特徴があるのではないかと考えることができる。

1.ラテン語に比べ、語末の子音が脱落する傾向にある
2.ラテン語が持っていた子音を比較的保持していると思われる。

 この比較だけでズバリ、イタリア語の特徴を全て言い当てられたとは思えないが、このようにして比べて見るのも面白いだろう。実際にはラテン語では別々の子音から構成されていた二重子音がイタリア語では同化してしまっていたりして、必ずしも上記の特徴が全体的には適応できない例がある。例えばラテン語の" activitas"が現代ではイタリア語で"attività"になってしまったように、語末の子音は消えたが、語中の"-ct-"が"-tt-"に変化してしまった例もある。

 ところで、どのくらいイタリア語がラテン語に近いかというのは見方によって変わってしまう。例えば現在形の動詞の語末だけを見るだけなら、スペイン語の方が古い形をよく保存しているように思えるし、ロマンス系の語彙の多さでいうとイタリア語が勝るかもしれない。逆に、格変化を保持しているという点ではルーマニア語が他のロマンス諸語と比べてより古風であるとも言えるだろう。

 イタリア人はもしかすると「イタリア語はラテン語の直径の子孫」と言うかもしれないかもしれないが、ラテン語やそのローマの言葉が土着の言葉と混ざって変化したり、歴史的に音韻変化を起こしたヨーロッパ各地の俗ラテン語からロマンス諸語は派生している。そのため、様々な点からどのロマンス系の言葉もラテン語の直系言語と言える素養を持っていることは否定できない。

いくつもの「イタリア語」

 ところで、イタリアほど、その長靴型の半島の中に細かいたくさんのイタリア語が存在している国はヨーロッパにそうそうないだろう。

 イタリアは今では一つの国家だが、かつては日本の戦国時代のようにいくつもの小国家や公国に別れて群雄割拠していた(1)。1000年頃は下記の図のように大小の公国や領地でイタリア半島は分割されていた。

 言葉の観点から行って、日本の戦国時代の藩と違うのは、それぞれの領地でそれぞれの独自の地方語を発展させたということだ。それが今日のイタリア国内の複雑な「方言」あるいは「地方言語」模様を形成する土台となった。現在でもイタリア国内や近隣諸国で現存しているそのような「ミクロ言語」はたくさんあり、ラディン語、ヴェネト語、フリウリ語、ロンバルディア語、シチリア語など名前を挙げきれない。

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 しかしながら、たくさんの言葉があるものの、14世紀ごろまでは書き言葉といえばラテン語で書くことが普通であった。しかし、ヨーロッパ文学で有名なダンテ・アリギエーリは自分の作品の『神曲』をラテン語ではなく、トスカーナの言葉を中心に書き始めた。ラテン語文学で満たされていた環境に、口語でしか存在していなかった俗の言葉で、しかも豊かな表現力を伴った、壮大なスケールの作品が登場したのだ。そのため、トスカーナの言葉で書かれた『神曲』はその後、イタリアの統一された言語は何の言葉が相応しいかという議論において、イタリア語の歴史におけるメルマールとなったのであった。

現代イタリア文学におけるソマリ人


 ところで、あまり知られていないかもしれないが、イタリアにも植民地があった。その一つが現代、無法地帯と悪名高いソマリアである。Brioni(2015)の"Somali Within(内なるソマリ)"によれば、1960年代でもソマリアではイタリア語の授業があった(2)。また植民地支配の結果、60年代、70年代のソマリアの政治家はイタリア語を話すことができたと言及されている(2)。そのため、より安心で自分たちの言葉が使える環境に身を置きたい、逃げたいと考えるのはごく自然なことだと思う。

 実際、60年代に生まれたソマリ系作家はソマリアの首都モガデシュの生まれがほとんどだ。現代イタリア文学において活躍するソマリ系イタリア語作家は複数おり、例えば著名どころでいうと、Shirin Ramzanali Fazel、Cristina Ali Farah、Igiaba Scego、Kaha Mohamed Adenがいる。Cristinaのみがイタリアのヴェローナで、少し例外かもしれない。例えばKaha Mohamed Adenはモガデシュに生まれたものの、20歳の頃、政治的迫害にあい、イタリアのパヴィーアに移住した。そこで経済学の学位を取り、執筆活動と劇場への情熱を育んだとされている(4)。60年代に生まれたとして20歳の頃、と考えると、1980年代にソマリア本土からイタリアに移住したと思われる。
 ※1988年以降から激化したソマリア内戦のビデオはyoutubeなどで容易に見られるのでご興味がある方は見てみるのもいいだろう。ただショッキングな映像もあるのでここでは貼らないこととした。

 ダンテによって示された模範は現在、ソマリ人のイタリア語文学の中で脈々と生き続けているのである。また、当然、ソマリ系以外のイタリアの外に文化的バックグラウンドを持つ人たちにも、ダンテが使ったトスカーナの方言をもとにしたイタリア語が使われているだろう。ラテン語からダンテのイタリア語までの歴史を考えると、非常に感慨深いものがある。

 ソマリ人のイタリア語の様に、日本語もすでに日本人だけのものでなくなっている。このような言語のあり方は日本語も含め、普遍的なものなのかもしれない。

参考

(1)"Storia d'Italia"より画像転載, https://it.wikipedia.org/wiki/Storia_d%27Italia 
(2)Brioni, Simone(2015) .The Somali Within Language, Race and Belonging in ‘Minor’ Italian Literature.Legenda. PP.4
(3)〃 PP.2
(4)Nottetempo, "Kaha Mohamed Aden"(2020/1/26閲覧), https://www.edizioninottetempo.it/it/autori/autore/i/kaha-mohamed_aden
 
#とは

オススメ

 イタリア語は日本語で学べる教科書が山のようにあるため、確定的なものを探すのが困難だ。そういう点で、個人的にあまり大言語が好きでない、ということもある。ただ、イタリア語は動詞の変化さえ気をつけてしまえば、日本語の「非過去/過去」という単純な形態に比べ、過去形が多いということがあるもののシンプルな言語といえよう。
 
 おそらく、私たち日本で学ぶ人が語学アレルギーになってしまうのは、ファーストコンタクトが綴りも例外だらけ、語彙も多い、発音も難しい英語だからだと思う。イタリア語は適度なレベルの教科書と辞書さえ揃えば、あとは経験でうまくなるような気がしてならない。

 辞書は私が学生の頃に、イタリア語の先生からお勧めされた(買わされた)ものを掲載する。ポケット辞書ながら、実際に初心者〜中級レベルで困ったことはほとんどない有能な辞書だと思う。

 自分にイタリア語が合いそうかどうかを判断したい方は講談社新書で出ていた軽い読み物ベースの『はじめて』シリーズを読んでから、勉強するかどうか考えるのもいいかもしれない。

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