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過去の自分に教えてもらう from2012

市川望美です。
今は人前でお話する機会や、こんな風に言葉をつづる機会がとても多いけど、会社員だった頃は、人前で話すことだとか、ブログやSNSで発信することなんて全然していなかった。でも、2002年に第1子を出産した頃から楽天ブログのようなサービスが一般的に使われ始め、私の周囲にも子育て記録的にブログを書いている人が多かったので、2003年10月から書き始めました。

今よりももっと、プライベートなことだとか、新しい世界で出会ったことへの興奮だとか、言語化できないぐらぐらとか満載で、初々しい自分の様子が照れ臭くもあるのだけど、過ぎ去った時間は、色々なことを教えてくれるので、折に触れて読み返したりしています。

今日は、2012年の私のブログから。

2012-11-13 Tue 22:33

29歳の終わりに長男を産んで始まった「母」としての人生。

この10年間の経験ってホントにまったく予想だにしていなかった
結果をもたらしてくれているんだけど、
最近高校や大学時代の友達に会って、
私がやっていることを知ってもらうと、
「のんちゃんらしいね」と言われたりするから、
内容はどうあれ、
私はそんな風な選択をしそうな人だったんだろうなと、
彼らの反応から気付かせてもらったりしています。

Polarisが開催している「はたらきかたデザイン」という
連続講座の中では「過去の私に出会う」というプログラムがあります。

これは、ついつい「役割」とか「目の前の暮らし」に
とらわれやすい母たちが、
もともと私ってどんな人だったんだっけ?ってことを思い出し、
過去自分が一番輝いていたころは、
どんな人たちと、どんな暮らしをしていたのか、
どんな環境で、どんな仕事をしていたのかを思い出し、
改めて自分をどう活かしていくのか考えるためのステップなのです。
(毎回とっても盛り上がるし、とっても参考になるワーク!)

子どもを産んだ時はまだ私は会社員で、
会社の中でのキャリアに悩んでいた時期でした。

ご縁があってたまたま入った会社はIT系の企業。
これからITが来る!と思っていた訳ではないけれど、
オーストラリアに短期留学をしていた時、
寂しさを紛らわせてくれていたのは国際電話だったし、
そういった「距離を超える」テクノロジーみたいな
ものに対する好意的な印象が出発点だったのだと思う。

就職活動は、中学生の頃からの夢だった航空関係を本命に、
通信関係の会社を幾つか受けました。

「女性のはたらきやすさ」といった視点で、
大企業も受けたけれど、どうもピンと来なくて、
やっぱり内定をもらう事ができなかった。
向こうもだろうけど、私自身が、いいと思えなかった。

内定をくれたのは、入社した会社の他、
今はもうなくなってしまった国際通信の会社のふたつ。

私の就職活動のモットーは「丸腰で行く」ということ。
皆がきている紺色のスーツは着ない。
ノウハウ本的な無難な受け答えはしない。

正直に、航空会社が第一志望だという。
だって、私はそこに向かって生きてきたから
自分を語るうえで外せないエピソード。

企業の歴史や大きさとかにはこだわらず。
丸腰で行って、そんな私を必要だと言ってくれる所に行こう。

そこだけ決めてたら、シューカツはあっという間に終わった。


入社してからの配属希望も、実績とかでなく、
人に会ってみて、「いいな」と思える所に。

私が希望した事業部は、入社当時は「お荷物」と
されていたのだけど、
研修期間中にすべての事業部の方の話を聞いたり、
飲んだり話したりしたのですが、
その事業部の人たちがとても好きになり、
この人たちがいる現場に行きたいなと思って無事に配属された。


お荷物だった事業部だけど、時代の波もあって
成長株の事業部となり、事業部全体活気があって、
毎日たくさん残業をしたけど本当に仕事が好きだった。

大したビジョンもなく、
ただ根拠のない自信で飛び込んで行った私を、
いろんな人たちが引っ張り上げてくれ、育ててくれ、
本当にありがたいなあと、今振り返っても強く思う。

子どもを産んでから飛び込んだ、子育て支援の現場もそう。
別に、地域とか子育て支援がやりたかったわけでなく、
ここはちょっと面白そう。この人たちと一緒に何かやりたい。

そう思って飛び込んだ世界が、また私に新しい世界を見せてくれ、
信頼している人たちの背中を追っかけていくうちに、
新しい世界にまた飛び込んで、
気がつけば沢山の「新しい扉」をあけてきたなあと思います。


「これをやって何になるんだろう」とか思っていたら、
何もできなかったのではなかろうか。

もちろん、明確な意図を持ってコトに向き合うのは大事だけど、
「紺色のスーツは着ない」的な、
自分なりのガイドラインを持つことが必要なんだろうなってことを、
過去の私から教えてもらいました。

ライフチャートから教えてもらった一番元気だったころの私は、
いつも仲間がいて、ワイワイやってた。

高校時代の友達。
小さいころからずっと、なんとなく人と距離を置いていた私が、
ホントに心から気を許せる友だちたちに出会って、
ああ、こうやってみんなで過ごすのってなんて楽しいんだろうって
人とつながることの楽しさを知ったのは、たぶん17歳の頃。

仕事が楽しくて仕方なかった頃。
いろんな立場の仲間とチームで仕事をしていた。
派遣社員、総合職の先輩と後輩。一般職の後輩。

会社や時代の新しいうねりを感じながら、はたらいていた。
覚えることが沢山あって、
だんだんできるようになることが増えて、
自分で考え、判断し、行動することの面白さを知ったのは、
たぶん24歳くらいの頃。

頑張って、一般職から総合職になって、異動した。
願いがかなったのに、なぜか仕事に前ほど情熱を注げなく
なってしまった。なんで何だろう、ステップアップしたのに、と。

思えばあのころは、ちょっとさみしかった。
同じように悩んだり笑ったりする仲間がいなかった。


そうか、仕事内容じゃないんだ。
私が望む成長って、そういう軸じゃないんだ、って思ったのは
27歳の頃。

でもそんな時に結婚して、新しい環境になって、
初めて仕事と少し距離を置いて、夫婦二人の生活を考えた。

子どもを産んで、思うように過ごせない時間を過ごし、
しんどい思いもしたけど、
今まで感じたことが無いような開放感も感じていた。


毎日、何をしてもいいんだ。
誰にも期待されないさみしさはあったかもしれないけど、
誰かの期待にこたえないでいい気楽さを感じた。

それから、圧倒的に私を必要としてくれる子どもたちの存在。
私が何をするからというより、
母という存在そのものを求めてくる2人の子どもたちには、
言葉にはならない安心感を教えてもらった。

『不自由だけど、自由。』

そんな新しい自由を得られたのは、子どもを持ったから。

そして、わたしの「今」につながっている沢山の人たち。
amigoやせたがや子育てネットで得た経験。
今までは「私と誰か」だったり「役割と誰か」という線でしか
繋がっていなかった関係性が「コミュニティ」という「場」に
繋がるってことを経験した。

人と人がつながりきれなくても、場がつないでくれる。
1人1人に力が無くても、場が支えてくれる。

当事者 という言葉の意味を実感したのは、母になってから。
自分ごととして関わる、ということの面白さを知ってしまうと、
もう与えられるだけの生活には戻れないね。

もっともっと、自由になりたい。

そして、母になった女性たちが、もっともっと
自由になれたらいいな、と思う。

知らない世界がまだまだたくさんあって、
私たちは知らない事が沢山あっていいんだって
ことを理解して、

新しい経験をするチャンスがまだまだあるんだって思ったら、
自分の人生、もっともっとやれることがあるんじゃないかって思う。


子どもに自分の人生をおっかぶせないで、
自分の人生で実現しようよ。

母となった人生は、なお楽しい。

過去の私は、どれも今の私とちょっと違うようで、でも全部やっぱり私につながっていた。

初めて友達とつながる喜びを知った17歳の私。
「つながる」ということは、お互いに影響を与え合う中で紡がれていく、ということを初めて実感する。何かをする、されるという関係でなく、関係しあうということ。持続的なもの。その感激、感動が、いまの私に力を与えている。今の私も、とっても大切にしている。喜びを得られるもの。

就活中の私にとって、「紺色のスーツ」はきっと、自分でものを考えない事への警鐘であり、「お前はものを考えなくていいのだ」という人への反発。これを着ておけばとりあえずOK みたいな感覚は、当時の私にとって、到底受け入れがたいことだった。

それも今でも変わらない。
「そのくらいのことやってあげればいいじゃない」と言われようと、実際そのほうが速かろうと、私が行きたい場所はそこじゃない。


母になって感じた、『誰にも期待されないさみしさと、誰かの期待にこたえないでいい気楽さ』は、Polarisの代表を交代したときの気持ちにもつながる。創業から抱えてきたPolarisの代表という役割を手放し、組織が新しい推進力を得ること、私自身も新しい何かを獲得するために大学院へ進んだ。

その時のある種の喪失感と爽快感は、産後の私の気持ちに似ていた。
大切なことは、形を変えて何度でも現れる。
その時見えていなくても、何かを感じ取って動いていけば徐々に表れる。

暗闇の中で見えなかったとしても、存在していないわけじゃない。

過去の自分に見えていたことは、私に今もう一度見るべきことを教えてくれるなあ。

200511_子育てメッセにて

2005年頃の私。小さな子どもたちを膝にのせていた頃に感じた、上手く言葉にできないことを見過ごさずに追いかけてみた道がここにつながってるなあ。

#就活 #会社員 #結婚 #出産 #子育て #市川望美

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