1/15(日)なまず兄弟@Jirokichi スペシャルゲスト八木のぶおさん しとしとと冷たい雨が降りそぼる日曜日でしたのに たくさんのお運び本当にありがとうございました! じわじわとコロナ感染者が増えてゆき 世の中も暗いニュースばかりで辟易していた日々の中 やっぱりJirokichiは暖かい場所でそれがとても嬉しかった私でした 昨年3月に再結成したなまず兄弟 いくつかのリハやLIVEを重ねまして 今回は満を持して 八木のぶおさん(harp)をスペシャルゲストにお招きし
『なまず兄弟』 ふるたはんの音源の中でも桁違いにドはまりしたバンド。 でも10年以上前に活動停止したバンド。 でも私は好きで好きで仕方がなくて、いつもずっと聴いてたバンド。 ふるたはんがとてもふるたはんらしくマインドが開放されているテンションが伝わってきたから。 まだ若いヤスをはじめ、メンバー全員がイケイケでキレッキレでとてつもなくグイグイと、物凄い粘っこいGrooveとバイブスを醸し出している。 まさに大人のサウンドで、聴いていたら自分も元気になれたし自分らしくいられる
『死』にまつわる話です。(苦手な方はそっ閉じ推奨重くて長いです) 最近、人生初の喪主ってものを経験しました。 親でも親戚でもない方の葬儀を私が執り行いました。 葬儀といってもごくごく小さなもので参列者は私一人というものでしたから、喪主というのはちょっと大袈裟かも知れません。 記録として残すために経緯を書いていこうと思う。 亡くなったのは私の仕事のクライアントである85歳の男性(以下、先生とします)。先生はある研究をしており、私はその助手としてここ数年雇用関係にありました。
単純な私。 断捨離をして、どうしても無くてはならないものなんて、たいした数ではないと気が付いた。 非常にソリッドになると、結局音楽さえあればいいんじゃないのかなと思う。 人は去っていく。仕事もさして大切ではない。 いつも傍にいてくれるのは音楽なんじゃないのかなとか最近割と本気で思っている。 古田の兄貴、Live行脚してこれで通算いくつめだろう。笑 もう数えるのもめんどくさい。笑 年内あと二本。今回は京都丸太町。 SLOWHAND。 少し早く着き過ぎて、外で兄貴の出番の
この日は、いつもより早く和歌山に帰っていた。 買い物がしたかったので、駅から、部屋とは反対側のホームセンターに寄り 猫砂やらフードなどを買い、思ったより重いなぁ。。と辟易しながらとぼとぼな帰り道。 駅前の大通りを渡る時、中央分離帯から にゃあああおーう!! と子猫の声がした。 実はぼーっとしていて 一旦通り過ぎたんだ。 けど、渡り切ったところで 「!!」 ってなって、荷物を置いてまた信号待ちをし 中央分離帯のところに戻った。 にゃあああおーう!! やっぱり、
昨日まで幸せだったからといって 今日も幸せだとは限らないのだな。 今朝AM5時。いつもとおりに起床した。 隣ではききのお腹に顔を突っ込んで、ららが眠っていた。 ように見えた。 いつものように。 私が目を覚ますと、すぐに後ろをついてきて ごはんをせかす、ららが起きてこない。 ききにくっついて幸せそうに眠っているとばかり。 いつものように、お湯を沸かす間 顔を洗い歯を磨き、コーヒーをいれて やっと異変に気が付いた。ららが呼吸をしていない。 見た目は、すやすやと眠っているよ
あぁ、もう一週間、経ってしまった。。 わちゃわちゃと慌ただしい毎日を過ごすあまり。。このブログの存在すら忘れかけてました。笑 高円寺Jirokichi。 あまりにも尊過ぎる場所。 若い頃、通い詰めた店。 思い出のたくさんある店。 Bluesの、Jazzの聖地。 最後に来たのは5年前だったか。 懐かしいこの店で 兄貴と盟友たちとのLIVEが観れるとは。 そしてまた 足が遠のいていたこの店に私を 呼んでくれた、そんな不思議な縁には感謝しかない。 気合いを入れて前日に荻窪の