見出し画像

涙の処方箋

涙の数だけ強くなれるという言葉があるが、はたしてそれは本当なのだろうか。泣き腫らした目を保冷剤で冷やしていると、ふとそんなことが頭をよぎった。

生まれてから今日までに、数え切れないほど涙を流したけれど、その度に強くなってきた実感はない。第一、弱いから泣き虫なのだ。

でも、人間にとって笑うことよりも泣くことのほうがストレス解消効果が高いと聞いて驚いた。科学的にも根拠があるようで、過剰に分泌されたストレスホルモンの排出を促す効果を持っているらしい。

確かに、「涙活」とかなんとかいう活動もあるみたいだし、分からなくもない。ただ、寝る前にその日あった嫌なことを思い出すだけで泣けてくる私にとって、泣くためだけに観る映画や本に価値があるとは思えなかった。


昔から不器用で要領が悪い私は、何のために頑張っているのだろう、誰のためにこんなにもつらく苦しい思いをしているのだろうと、答えがあるかも分からない問題に頭を悩ませては、度々落ち込んだ。

ひたすらに強くなろうと、「もう泣かないから」なんて、誰に言うわけでもなく、1人繰り返した。

泣かないなんてよく言うよ、と今の私は当時の私を揶揄するのだろうか。「もう泣かない」なんて子どもだから言えたんだよ、とも。

そもそも、泣かない人は強いと思っていたのが間違いだったんだ。あの頃はぐっと泣くのを堪えて、なんて自分は大人なんだろうと空っぽの優越感に浸ってみたりもしたけれど、今よりもきっとずっと子どもだった。


俗に、涙は女の武器とされているけれど、武器と言うからには、使いこなせないと意味が無い。女の子を泣かせてはいけないと教わってきた男性も多いはずだし、幼稚園児や小学生であっても、女の子を泣かせてしまった男の子は理由も関係なく責められていた。それも、滅多に泣かない子を泣かせてしまった時ほど余計に。

だから、もしも涙に処方箋があったら、用法・用量はお守りくださいと書かれている気がする。


人間、生きていればつらいこと、苦しいことは数え切れないほどある(人間だけじゃなく、動物や植物にもあるかもしれない)。

そんな時、明けない夜はないんだよって楽観的に生きていけるあの子が羨ましくなって、自分のことがほんの少し嫌になる。

確かに、明けない夜はないけれど、訪れない夜もないのだから、暗く泣きたくなるような夜に、そっと明かりを灯してくれる人がいてくれたら、どんなにいいだろうか。

そんなことを考えて、どうか涙の数だけ強くしてくださいと願いながら、今日も私は1人で泣く。

あ、そっか。涙は女の武器になるんだったら、とんでもない隠し玉を持っている私は案外強いのかもしれない。今のところ見せつける相手はいないのだけど。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます! 「スキ」や「フォロー」をしてもらえると励みになります。