発達障害【ADHD】の長男の、特別児童扶養手当を申請したら通った話


長男の癇癪で、仕事が出来ないどころか日常もままならない

長男次男ともに不登校だったりそうでなかったり、学校への付き添いが必要だったり、送り迎えが必要だったり。

長男が小学校2年生の頃から癇癪の内容も激しくなり、徐々に対応の難しさに直面することが増えていきました。

夫とは、長男の発達障害に対する対応が嚙み合わず、長男へのやめてほしい対応を訴えるものの、なんでお前に指図されなきゃならないんだといわんばかりのしらけた視線。

分かっているような顔をして、しばらくすると『そんな話したっけ?』となる。

そんなことを何度も繰り返し、ある朝、長男が学校に行こうとせずに癇癪を起こしてしまい、自傷したりで危なかったので、私がつきっきりで対応していた時、長男の担任の先生から電話が来てしまい、出ないわけにもいかず、夫が電話に出たことがあったのですが、長男の状態について、夫は母子喧嘩で泣いてしまって行けないだけだとへらへらと担任の先生に説明していたのを聞いてしまい、長男のことを一緒に理解しようとしてくれると信頼したかった夫へのわずかな気持ちがすーっと消え去りました。

その頃、長男は他の子と同じように出来なかったり、失敗する恐怖心から前に進めずに固まってしまって、授業の流れを止めてしまったり、学校での支度が遅いことを気にして、登校時間をかなり早い時間にしようとしたり…

今思えば、皆の前で、先生に褒められたい一心の行動がかなりあったと思うのですが、当時は、【長男が不安になりすぎている】という認識で、こちらも動いてしまっていました。

担任の先生と相談し始めていた頃でもあったのですが、夫の電話口での外面からくる大人対応の表現であったとしても、母子の喧嘩とかそんな簡単な問題じゃないし!😱💦と。

少しイラついて見せたものの、長男の癇癪はお前のせいだと言わんばかりの落ち着き様で、お決まりの煙草を吸いにフェードアウト。

もともと私の話は聞いているようで聞き流していただけだったこともよく分かり、私に向けられる暴言や暴力だけでなく、癇癪を起す長男や次男への暴力もエスカレートしてしまっていたため、最終的には夫の『なんで俺が責められる?』への説明はあきらめ、夫から逃げるように子供たちと車に積めるだけの荷物とともに脱出🚛💨別居に至ったわけですが。

実家に一時避難後、賃貸を探して母子のみでの生活を始めてからも、長男次男の激しすぎる兄弟喧嘩は止むことなくほぼ毎日のように。油断すると長男が次男に噛みついて頭部に歯形がくっきりついてしまったこともあり、少し大きな物音がするたび、喧嘩か!と駆けつける日々。

次男もやり返すようになったものの、まだまだ怒りのパワーは長男優勢で、毎回傷だらけの次男が出来上がり…その次男は手当たり次第物に当たるので、高かろう👑が思い出があろうが、色んなものが粉々に破壊されるという悲しい事態に。

基本的に次男への攻撃をやめられない長男を抑え込むことになるものの、お互いに怒りはなかなか収まらず、長男も次男も暴言止まらず、おにばばの強烈な怒鳴り散らし発動となるのですが📢💥

どちらかがパニック状態で飛び出そうとしたり、暴れたり破壊行動が行き過ぎたときは、こちらも毎回落ち着いて対応出来る程、出来た人間でもないので、長男次男を静止する力加減をミスって、服の袖を引きちぎってしまったこともあります。

引き離したり、こちらに引き寄せた勢いが強すぎて、ひっくり返らせてしまい、狭い空間で壁や家具にぶつかってしまい、たんこぶや痣が出来てしまったことも…

一番困ったのが、パニック状態での発狂が収まらない上、噛みつきや暴力を静止しきれない時。

興奮状態だからなのか、平気で一時間くらい、金切り声で発狂し続けながら、暴れるのですが、抑え込みすぎて怪我させるのが怖くて、中途半端な対応になってしまい、自分も噛まれるし、ボッコボコ蹴られるし。

家を飛び出す気力も力も無くなり始めた頃にはそっと離れますが、自傷が始まってしまうときもあり、これまた見てられずに抑えるものの、『痛い!骨が折れる!殺される!』なんて言われてしまうと、怖くなって手を離してしまい、同じことを何度繰り返したのか😭

末の娘が近くにいた時は、娘も怖くてパニック状態に陥ってしまっているのがわかったので、辛かったですが、警察に助けを求めることにしました。

片手で長男を静止し、片手で警察に事情説明。

普通の車で、私服ですぐに駆けつけてくれました。

警察官との色々は割愛しますが、警察官が帰った後に、長男と落ち着いて話をすることが出来、喧嘩と自傷と、私が押さえつけてしまったために出来てしまった痣も。母子でびーびー泣きました。

そこへ恐怖を耐えていた末の娘と、必死に妹の恐怖心を和らげようと守ってくれていた次男が恐る恐る近寄ってきて、やっと皆でほっとしてぎゅっーーーーっと。

発端は兄弟喧嘩ですがね。。

激しい兄弟喧嘩も、放って置いたら良かったのか、いまだに思い返して考えることがありますが、取り返しのつかない怪我が無くて良かったということにして、自分を責めないようにしています。

思うように仕事は出来ないし、長男も次男も末の娘のケアも出来ないモヤモヤ

夫と別居して、一時避難先の実家から賃貸へ引っ越し、母子での生活を始めたとき、それまでが壮絶過ぎて、皆で身も心もボロボロだったと思います。

なので、一年間は経済的には最低限の現状維持を目標に、長男次男が安定して学校に行けるようになるであろう一年後あたりから収入アップを本格的に考えて動くつもりでいました。

それまでに必死に培ってきた会社との信頼関係、母子での最低限の生活を維持するくらいは稼げる自信もありました。

頑張ればしばらくはなんとかなる!と。

夫からは養育費どころか別居前の家族カードの出費増について払えないとキレられ、持ち出した車を今すぐ査定して、査定額の半分をよこせという連絡が来るという…

もちろん、家族カードの利用は即刻止められました。

計画的に時期を選択出来なかったので、子供の転校手続きなど、それどころではなかったので、夫から飛んでくる暴言メールなどは全てスルーしましたが、陰ながら姉や実家の両親が夫を説得して落ち着かせてくれていたようで、その後、夫からの金銭の要求だけは無くなりました。

とりあえず、まずは稼がねばどうにも進めないので、会社には正直に事情を話し、どんな仕事でも貰えるだけもらって、時に寝ずに仕事をしながらでもやるようにしました。

子供たちのために料理をする余裕すらなく、洗濯掃除もギリギリまで後回し🧺『G』が出ないようにだけは最低限手を尽くしましたが。(笑)
実母が仕事帰りにたまった家事をこなしてくれたことでなんとかなった時期もありましたが、やはり、年齢的にも仕事をしながら娘の家の家事までこなし続けるのは負担が大きすぎたようで、ほどなく実母ダウン。

それでも家が回らないのはまずいわけで、ネグレクトに近い状況に何度もなりました。

身内以外でなんとか支援してくれる先を探してくれたのが、市役所の【人権男女共同参画課】というところの女性相談の担当の方々でした。

夫の暴力やモラハラも酷かったので、実家に一時避難した際に、相談に行ったのがきっかけで、学校のことや子供のこと、夫との金銭的なことなど、とにかく様々な相談にのってくださり、市役所の担当の課と繋いでくださったりもしました。

私自身の障害者手帳で、ヘルパーさんをお願いすることが出来るかもしれないといって、福祉課に繋いで下さり、そこからコーディネーターさんに繋いでいただき、ヘルパーさんを派遣していただけることになりました。


ヘルパーさんを週2回派遣していただいて、ようやく日常以外の動きが出来るまでに

ヘルパーさん、最初はとにかく誰かにやってもらうのが申し訳なくて、『すいません』『出来てなくてすいません』と言い続けていたようで、謝るの癖になっちゃってますね😂と。

毎回同じ方が来てくださることで、子供達が不登校で家にいるときも、子供達を巻き込んで家事をしてくださるくらい、頼もしい存在に。

私の愚痴まで聞いていただいたりすることもあって、ヘルパーさんてすごいなと…ただただ尊敬すべき人が増えてゆく人生。

そんな頼もしいヘルパーさんのお陰で、ぐちゃぐちゃにこんがらがっていた、子供達のことや学校のこと、自分の仕事のことや生活のことを整理する時間ができました。

そこで、発達障害の長男について、通級指導教室の手続きを進めている合間に、障害児支援のひとつとして【特別児童扶養手当】という項目を発見しました。

ちょうど市役所で長男について相談していたので、ついでに聞いてみると、丁寧に説明してくださり(詳細の説明は、説明下手…むしろ間違った認識もあると思うので割愛させてください💦)、申請するためには、医師に所定の診断書を書いてもらう必要があり、所得などの審査とあわせて、審査に通ると、手当が支給されるとのこと。

長男は障害者手帳の申請等はまだしておらず、医師の診断書での申請になるとのことで、所定の用紙(診断書)を貰い、かかりつけ医のところへ長男と一緒に行って、書いていただき、申請に至りました。


特別児童扶養手当の申請の結果は、約二か月後くらいと言われけど実際は3か月後

特別児童扶養手当について、発達障害の診断では審査に通らないとのネットでの情報を多く目にしました。

長男も診断は発達障害なので、通らない可能性も視野に入れつつ、各種診断書を書いてもらうのにそこそこの額を支払うので、審査に落ちたら完全に無駄な支払いに終わるわけですが。

それでも申請したのは、日常生活に多大な支障をきたしているから😭

長男の癇癪に始まり、周囲への暴力、止まらぬ暴言、パニック状態での発狂や破壊行動、自傷行為、飛び出しや逃亡…

毎日ではないものの、こんなことが続いていると、日々の夕食の買い物なんて考えている場合でもなければ、仕事すら、リモートワークの恩恵も感じられないほど、長男への対応に終始して日中が終わってしまうことも。

感覚過敏や聴覚過敏でパニックに陥らない為の工夫や空間は必要だし、食感などにもこだわりがあるので、突然手も添えずにマーライオンのごとく吐き出してしまうこともあり…衝撃のあまりうっかり責めてしまいますが、そんなことにも寄り添う必要があります。

こだわりや恐怖心で出先で身動き取れなくなることもあれば、家の中なのに怖いと言いだしてトイレにも行けなくなることがあったり。

普通の子育て生活が分かりませんが、我儘や甘えでは片付かず、日常が回らないのは確か。

そしてこの先、長男がどのようにすれば充実した生活を送れるようになるのか?環境を整えようにも、先立つものはお金なわけです。

なので、申請して通るなら、審査をする方が認めてくださったのだとありがたくいただけるものはいただいて、その分を有効に使って育てたい。通らなければ、違う方法で余裕を作りだすしか無い。

そんな気持ちで申請しました。

5月末頃に申請したと思いますが、弁護士さんを介して送ってもらった夫の所得証明の年度が間違っており、送ってもらい直しましたが、それも間違っていて、三度目の送付にてやっと申請完了。

結局、正しい年度の所得証明を提出し直せたのが7月後半という😭

そこから申請が通るかどうか、ひたすら待つ日々に突入。

結局、音沙汰なく暑すぎる夏が終わらずに秋となり、相変わらずしんどくて死にかけていた頃に、通帳に【コウセイロウドウダイシ】という入金の表示が!

表示名に『ん?』と思いつつ、金額的に特別児童扶養手当だ!と直感。

その後、通知も届き、それが10月半ばだったので、3ヶ月弱💦

発達障害だから審査に通る通らないというよりは、障害児を抱えて、日常生活がどの程度大変なことになっているか?ということを、かかりつけの医師がその程度理解して、診断書に書いてくれるか?そして審査をする側にどの程度伝わるか?なのかなと思っています。

市役所の障害福祉課でもかなり相談を繰り返してきたので、その辺も反映されるのかは分かりませんが、少なくとも、かかりつけ医とは私自身は5年以上、長男も3年くらい診てもらってきたこともあって、診断書としては実際の状況が上手く伝わるものになっていたのかもしれません。

確か有期認定だった知うので、その期間に支給していただいた分は、感謝の気持ちを忘れずに、長男のために大切に使い道を考えようと思います。🙇‍♀️🎀


まだ、アイデアは無いものの、いつか、発達障害でしんどい思いをしている人や、発達障害の子供を育てながら頑張る人の支えになれるような起業をしたいので、その資金にしたいと思います! まずは、沢山の人に助けられ、支えられた分、恩返しできるような人間になるために、コツコツと。