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瓜食めば、イヤイヤ期の息子を思う。〜万葉集からつづく親心〜

こんにちは、詩のソムリエです。
新緑がいきいきと輝く季節。3歳くらいまでの嬰児を「みどりご」とよんだ昔の人の気持ちがようやくわかりかけてきた今日このごろです。

子育て×詩のはなし「こどもと詩」シリーズ。今日は、きっとみなさんも習ったTHE・親ばかの詩歌を改めて読みたいと思います。

イヤイヤ期てふもの

わが息子は2歳2ヶ月、イヤイヤ期であります。
イヤイヤ期のはじまりについて書きましたが、振り返ると、あんなもの(涙のソーセージ事件)はほんの序の口だったなぁ。笑

最近の息子は、ありとあらゆるものがイヤなご様子。
「おむつ替えようか〜」「おむちゅ、かえらーん」
「お風呂いこうか〜」「ダーメーよ」
「そろそろ寝ようか〜」「まだあちょぶの!」
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ…

手を替え品を替え、なだめすかして日々を過ごしております。

そんな息子、実はこのたびお兄ちゃんになることになり。
出産予定日2週間前〜を私の実家で過ごし、1週間前〜産後は夫と義母にみてもらうことに。

庭の薔薇が満開

それでもやっぱり、子は宝

というわけで、息子との1週間。限られた期間とはいえ、2歳さんと毎日過ごすのはそれなりに大変で。

朝、食事用エプロンをつけたくない息子と1時間半格闘。
夕方、帰宅後に「て、あららない(手を洗わない)」と大泣きしたかと思えば「てをあらる(手を洗う)」と大騒ぎし、洗面所に行ったらまた「あららない」…
お気に入りのアンパンマンTシャツを脱ぎたくなくて号泣、お風呂に入らないと騒いで転んでさらに大泣き…感情のジェットコースター!

たいがいのことを「まぁ、いっか」で済ませるわたしですが、さすがに「いい加減にして」という言葉が喉元まで湧き上がってきました。いい加減に…って、幼児に通じる言葉じゃないってわかってるけど。

ぐっと我慢して、共感、言語化、待つ、選択肢を与える、気をそらす、待つ、待つ、盛大にほめる…。子育ては一種の修行だなぁ。

※息子の名誉のために書き加えておくと…
頭では「片付けないといけない」等がわかっているらしく、「そうだね〜イヤだよね〜。気が向いたら、ブロックさんをおうち(箱)に連れて行ってあげられるかな〜」など30分ほど言い続けていると、ひとりで片づけはじめます。えらいぞ。わかっていても気持ちが追いつかないこと、大人でもあるよねと思ってなるべく見守っています。なるべく…。

お手伝いしたり小さい子に優しくしたり、成長も見られる息子

さて、イヤイヤが特にひどかった日の夜。それでも、ふとんの上で転がりながら、こちょこちょするとキャッキャうれしそうに笑う息子の顔を見ていると、その日イラッとしちゃったことも、ぜーーーーんぶ消えてしまい、ただただ、かわいいなぁと思うのです。

息子と二人で過ごす日々が終わりかけた頃になって、ふと。「イヤイヤ」への対処に目が向いてばかりで、普段の息子にしっかり愛情を注げていただろうか?と思い至りました。

思い返せば、階段で抱っこしてほしがっていたのを「ママはお腹が大きいから、あと一歩がんばろうね」と言ったこともあるし、赤ちゃんがもうすぐ生まれることも感じ取っているだろうし、小さな体と心は不安でいっぱいなのかもしれない。

「まま、どーじょ」と摘んできてくれたお花、うれしくて泣く

よーし、愛情で心のタンクをいっぱいにするぞ!と決めて、「◯◯ちゃんは、ママの宝物だよ」「大好きだよ」としつこいくらいに伝えたところ、次の日は別人のように素直でニコニコの息子に。

わたしも口に出してハッキリと思い出しました。イヤイヤ期だろうがなんだろうが、息子はかけがえのない宝だ、と。

トマト食めば子ども思ほゆ

そんな大事なことに気づいた矢先の、しばしお別れの朝。
号泣息子がいなくなってシーンとした部屋で、母と「◯◯ちゃんはよくトマトを食べていたねぇ」「このヨーグルト、食べさせたかったねぇ」などと言いながら、しんみり。何を食べても、息子を思ってしまいます。

まさに、「瓜食めば子ども思ほゆ、栗食めばまして偲はゆ」(山上憶良)だなぁ。中学で習うこの和歌を、久しぶりに読んでみました。

子等を思へる歌

めば子どもおもほゆ、栗食めばまして偲はゆ 
いづくよりきたりしものそ目交まなかひにもとなかかりて安眠しなさぬ
【反歌】銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも

※もとな…やたら、無性に

(訳)
瓜を食べれば、子どもたちのことが思われる。栗を食べれば、いっそうその気持は強くなる。子どもたちは一体どこから(どのような縁があって、わたしのもとに)来たものなのだろうか。目の前にやたらと子の姿がちらついて、安眠させてくれないことよ。
金銀も宝玉も、子どもたちにかなうわけがないことだなぁ。

『万葉集』巻五-802

わたしも昨晩は息子の姿が目の前にちらついて、なかなか眠れなかったので、時を超えて憶良パパにたいへん共感。

素朴な親心をすくいとった歌ですが、世界中を見渡してみると、こんなふうに日常の中で子を思う心をうたったものって類を見ない(気がする)(ご存じの方がいたらぜひ教えてください)。

似たような詩歌がないのも、もう「瓜食めば…」だけで言いたいことがすべて伝わるからではなかろうか。
きっとたくさんの親たちが連綿と「わかるー!」と共感して、この歌は残っているんだろうと思うとジーンとします。

親心は歌になってつづく


山上憶良の前掲歌は『万葉集』に載っていますが、もし『万葉集』がなかったら…と詩人・茨木のり子さんは書いています。

いくら国分寺跡などがくわしく発掘されたとしても、『万葉集』がなかったら、わたしたちは奈良時代の人々の心がさっぱりわからなくて、むなしく柱の跡などを眺めるしかありません。『万葉集』が残っていたからこそ、七、八世紀の日本人の心の、照りかげりが、手にとるようにいきいきと、わかってくるのです。

茨木のり子『うたの心に生きた人々』

トマトを食んでは息子を思う今、昔の人の気持ちとぴったりシンクロできているのは、こういう歌が残っているからですね。

さらに茨木のり子さんは言います。

わたしたちは毎日の暮らしのなかで、まったく気づいていませんが、わたしたちがなにを美しいと思い、なににみにくさを感じるか、なにによろこび、なににかなしむか―つまりわたしたちの日々の感受性のなかには、柿本人麻呂も、山上憶良も、小野小町も、源実朝も、芭蕉も、蕪村も、みんな流れこんでいるのです。たとえ、それらの作品を一度も読んだことがなくったって…。

同上

たしかに、親として感じる心の機微は、詩歌が根っこにあるのかもしれません。

瓜食めば…もそうだけど、子育てをする中で、はるか昔に教室で習った詩歌が頭をかすめることがあります。「万緑の中や吾子の歯生え初むる」(中村草田男)とか。

当たり前だけど、子育てを、昔っからしてきたんだなぁ。そう思うだけで、昔の人とつながって、「みんな通ってきた道だよ」と背中を押してもらっているような気がします。

さぁ今日も今日とて。万葉集から続く心を大事に抱えて、親ばかロードを歩こう。

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今日もすてきな一日になりますように。
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おまけ:イヤイヤ期を理解するために勉強になった本

あまり育児書を読んでこなかったのですが、2歳児に求めていいこと、まだ早いことがわからないなーと思って最近読んだ本の紹介。

▼『子どもの気持ちがわかる本』イザベル・フィリオザ著 土居佳代子訳

よくあるシーンでの子どもの心に起こっていることがわかり、勉強になりました。
ついつい、大人の思考をそのまま子どもに当てはめていたかも…と気づき、子どもの混乱をほぐしてあげたいなと思うように。「愛情で心のタンクをいっぱいにする」というフレーズも印象的で、子どもに優しくなれる本。

▼『0歳児から5歳児 行動の意味とその対応』今井和子 著

心理学的な掘り下げはあまりないものの、2歳児の対応が多めに書いてあって助かりました。

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