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忘れ去られる朝の景色を

来訪した嵐にさらされて、吹き荒ぶ風の中に雷のとどろきの声を聞く時、掻き乱されてゆく静謐な部屋は水底へと沈む。かつてこの部屋の奥でまどろんでいたわたくしの足にもひれが生えて、長い髪を結うこともなく波間になびかせて、沈殿した書物を開き、そこに記された叡智と詩の響きとに耳を傾ける。もはや陸は崩れ去って久しく、この間に百年の時を経た。愛猫もまたその永いときを生きる魚(うお)となってわたくしの傍にある。沈黙と月光とを友として。やがて波間を照らす月影があなたの横顔に重なるとき、わたくしはふたたび水面へ出て、かつて文明が築かれた大陸の残骸を見守る。雪が吹き荒ぶ荒野は、この氷海へとつづく。そこから一枚の紙が風に舞い上がって降ってくる。記された日記の断片に、あなたのかつて愛した朝食の景色が綴られている。ジャムを塗ったパンは、もはやこの世から消え失せ、のどかな朝の風景は文字の上でのみ物語られる。失われてしまった一日に、かすかにとどまった焼き立てのパンの香りが匂い立つのを、未知なる調べとして海豹(あざらし)たちが聴く。やがて昇る朝日に、紙片は舞い上がって海の彼方へと運ばれ、その奥底に眠るあなたの元へと帰ってゆく。

Hommage:Anders Andersen-Lundby

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