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天国の母からの贈り物

「この家に私の居場所はない」
そう感じ始めたのはいつ頃だったのか。兄が一人暮らしを始めてからは両親と私の3人で暮らしていた我が家。仕事で忙しく帰りがどんなに遅くなっても、母は私の帰りを待っていてくれた。
「夕飯まだでしょ。すぐ温めるから」
いつも甘えてばかり。何不自由ない生活。
兄が結婚した。時々兄夫婦も一緒に5人で夕食をする。母の手作り料理で。そのうち兄夫婦に子供が産まれた。両親にとっても私にとってもうれしい出来事。週末、赤ちゃんに会えるのが楽しみでしかたなかった。

いつからだったのだろう、私はこの家にいていいのかな、と思い出したのは。
両親には兄夫婦がいる。私はわがままでいくつになっても手がかかる厄介者ではないだろうか。

私は一人暮らしを始めた。寡黙な父が言った「なにも出ていくことはないだろう、ここにいればいいだろう」と。
母は言った「どうして出ていくの? うちにいればいいでしょう」と。
甘えてはいけない、意地でもこの家を出ようと強がった。

毎週末、我が家に行き家族と夕食をした。兄家族が来ない時は両親と私の3人。それがうれしかった。両親は私の話を喜んで聞き、私は親の愛を独占して甘える子供のようだった。

元日はみんな揃ってお正月を迎え、1月2日はみんな揃って初詣して、夕食にすきやきを食べる、それが我が家の習慣。母は毎年2日のすき焼きのためにA5ランクの最高級の牛肉を年末に届くように注文していた。

数年後、母は予告もなく突然他界した。
父と母はいつも一緒で、二人で旅行するのが好きだった。しばらくして父は病に倒れ、逝ってしまった。母の旅先へ後を追っていったのだろう。

兄とは兄妹仲がいいとはいえない。私はとうとうひとりになってしまった。涙が乾く日はなかった。もう私には家族がいない、お正月もひとりでおせち、1月2日のすき焼き行事はもうない、そう思った。

年末に兄嫁から電話があった
「お母さんから荷物が届いてびっくりしてね、開けてみたら牛肉だったのよ」
母は10月に亡くなった。かなり早めに牛肉を注文していたようだ。
兄嫁が続けて言った
「明日(元日)は何時に集まる? 2日はいつも通り初詣してから、夜はすき焼きね」と。

母が贈ってくれたお肉、天国から注文したのかもしれない。私をひとりにさせないために。両親がいなくなっても家族がいるって教えるために。

それから毎年、兄家族と私、我が家のお正月の習慣はずっと続いている。

#習慣にしていること

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