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10代の私に、30代の私がインタビューをしてみたら。

33歳の私「こんにちは。今日は来てくれてありがとう」

15歳(中3)の私「……こんにちは(とてもいぶかしげな表情)」

今「うん。まあムリもないと思うんだけど、今noteで『悩める10代に向けた投稿』を募集しててさ。ちょっと話、聞かせてくれないかなと思って」

中「はぁ、意味がわからないんですけど。だいたい、“悩める10代”とか、おとながそうやってひとくくりにすること自体がなんか嫌いです……。“悩める10代に向けた投稿”とかって言い方も、おとなだってだけでなんか上から目線なのがイヤです」

今「いや、そうだよね……。知ってるんだけど、ちょっと私だけじゃリアリティにかけるっていうか。それこそ押し付けがましい文章しか書けないのよ。なのでそこをなんとか、協力してもらえたらうれしいんですが。お願いできないでしょうか」

中「はぁ。わかりました。対等に頼んでもらえたし、ちょっとくらい付き合いますよ。よくわかんないですけど」

* * *

中学生のころのわたしは、別にとりたてて学校嫌いというわけではなかった。以前、別のnoteでも書いたのだけれど、

"よい友だちもいて部活動にも打ち込み、それなりに充実した日々を送っていた。基本的には、いい思い出たちが多い。

でも、とくに中学生のころは閉塞感を感じることが多々あった。理不尽な校則、教師の常識を押し付けられる息苦しさ、女子の「グループ」意識にとうていついていけない自分。ああ、めんどくさいなぁ、って。”

その程度だから、学校が嫌いで嫌いでもう行きたくなくて、という方の気持ちによりそうことはわたしにはむずかしいと思う。「自分が経験していないことを、さもわかったように語られること」は、10代のわたしがもっとも嫌っていたものだから。

わたしにできることは、ただ、自分が経験したことを思い出して、リアルに思い出して、いまのわたしからどう見えるかを考えてみることだけだ。それだけなら嘘はないだろう。

* * *

今「さっそくなんですけどね。なんかいま思い出しても、中学生のころってなんかつねにいろんなことが気に食わなかったなあと思うのですよ。なんか、とくにおとなに対する反感がすごくて。教師にも、親にも」

中「……ああ」

今「あ、やっぱりそこ心当たりあるよね。ちょっと聞かせてくれる?」

中「たとえばわたし、窓際の席だったんですけど。国語の授業中に、日差しがまぶしくて黒板が見えにくいから、無言でさっと席立って、カーテンを引いたんです。それってむしろ、授業に積極的な姿勢だと思うんですけど。カーテンを『シャッッ』て音を立てて引いたことが先生の気にさわったらしくて、『ぽこねん、先生が話しているときは、席を立たない』みたいに皆の前で注意されて。先生様がしゃべっているときに、勝手なことをするな、みたいな感じで。あー、ばからし、って」

ああ、そうだ、そんなこともあった。なんかいま考えればほんとうにちいさいことなんだけど、当時はものすごくプライドを傷つけられたように感じたなあ。カーテンの横に佇むわたしと、それを見つめる教師の視線、その構図をいまでも思い出せる。

中「あと、たとえば、スカートの丈とかどうでもいいじゃないですか。全校集会の後に、女性教師が出口のところで目を光らせてて、定規片手に、スカートの丈が膝より短いひとをピックアップして、とかやってたときがあって、もうほんとバカじゃないの、そんなことやってるひまがあるならもっと別のことに労力使いなよ、って思いましたね。

だって、そりゃスカート丈がワカメちゃんくらい短くてパンツ丸見えなら、他のひともさすがに気になるし、男性も目のやり場に困るからどうにかしてってのはわかるけど、膝上何センチとか定規ではかって指導することに何の意味があるんだって思って。

タバコ吸うとかは、受動喫煙で他のひとの健康にも害が及ぶから禁止するのもわかるんですけど。スカート数センチあげたところで、そんなの誰にも迷惑をかけてないでしょ!って思って、ほんとうにバカバカしいなあって」

話しながら彼女は、突然「ふふふ」と低く笑った。

今「え、なに?」

中「いや、相手自分なのに、敬語つかうのっておかしいなあ、と思って」

ああ、突然頭のなかがどこかへジャンプしてしまうのは、いまに始まったことじゃないらしい。そうだよね。覚えあるもん。

* * *

今「人間関係とかは、中学生のころがいちばんめんどうくさかったなあ、と今のわたしは思ってるわけだけど、どんなことあったっけ?」

中「ああ、よかった……。こういうの、ずうっと続くのかと思ってたんですよ。こういうめんどうくさいのって、ずうっとあるのかなって。そうじゃないみたいなんで、なんかよかったです。

最近だと、仲良しの友だちがなんか突然、無視しだしたことがあった。ぽこねんちゃんの声がムカつく、とか言って。教室移動するときとかも、いっしょに行動することが多かったのに、なくなったりして。

自分じゃなくても、だれかがいきなりグループの子を無視しだしたり、とかそういうのよく見かけて、なんか、いやで。疲れる……。

そうそう、そういうのあったなあ、中学時代は。

あとは、女子のグループ意識。クラス替えをしても、だいたいクラスの中には「キラキラ系目立つ女子」「おとなしく地味だけどゲームや漫画に詳しい女子」「その中間でまあ普通に生きてます女子」みたいな三階層があって、わたしはだいたいぼんやりと中間階層に属しつつ、修学旅行のグループ分けとかになるとわりと遊軍として、どこのグループにも行ったり来たりできるような、つまりどこにもきちんと属していないような中途半端な存在だった。

今「あー、ねえ……。」

中「だから高校は絶対、とりあえず自由なところに行きたいと思ってるんですよ。志望校選びの基準は、校風が第一。バカらしい校則がなくて、とにかく自由なことが第一」

今「うん。まあ自由には、責任もともなうけどね。でもその考え方はまちがっていないと思う。あんまりしゃべりすぎるとつまらないから、詳しくは言わないけど」

そうして自由な校風を求めて行った高校で、わたしは感動したものだ。そこでもクラスの女子はいくつかのグループになんとなくわかれていたけれど、中学時代のように閉鎖的ではなく、たとえばキラキラモテ女子も地味女子にふっつーに声をかけて一緒に笑い合ったりしていて、ああ、こんなひとたちもいるんだ、と感動した。

* * *

いちばん閉塞感を感じていたのは、いま考えれば中学校のときだった。そこから、自由な校風の高校で、世界がすこし広がった。ああ、同じ県内にもこんなひとたちが、こんなにたくさんいたのだなと思った。

さらにマンモス大学へ入って、また高校とは比較にならないほど、一気に世界が広がった。ばあっ、と目の前が開けた。まったく知らなかった世界、想像すらしていなかった世界が、いくつも目の前に広がっていることを知った。

でも大学のサークル活動をするなかで、サークル関係のひとたちとつるむようになると、楽しい半面、「井の中の蛙」になっていっている感覚も味わうようになった。また狭い世界に閉じこもっているのがなんだかもやもやしてつらくなって、広がりを求めて、それまでの活動とは全然違う業界に就職した。

中学時代とはまた違う、がっかり感と閉塞感をあじわったのは、新社会人時代だ。すべての企業がそうだとは決して言わない。わたしの入った会社は、古い体質だったのだと思う。

本人がいないところでの陰口や、陰湿な悪口。派遣さんのなかでの軽いいじめのようなこと。上司への不満を、陰で後輩にぐちる先輩。高校、大学時代にきれいさっぱりなくなったと思っていたそれらのネガティブエネルギーにまとわりつかれて、「え、暇なの?中学生かよ?!めんどくさーーっっ!」と本気で思った。

でもその先で、まったく違う文化圏へ飛び出して、世界はまだまだ広いことを思い知った。大学のときに感じていた「広いと思っていた世界」すら、ほんとうに、井戸くらい、小さい世界だったと知った。

* * *

中:「……ねえ、ねえってば!」

今:「えっ! あ、はい」

中「もう、自分から呼び出しておいて、しっかりしてくださいよ」

今「ごめんごめん、ちょっとぼーっとしてた」

中「だから、30代の私から“悩める10代の私”に言いたいことはないの?って聞いてたんですけど」

今「ああ、ねえ……。まあべつに、ないかなあ」

中「ええーーー!!」

今「いや、だっておとなからなんか言われるのきらいでしょ」

中「え? まあ、それはそうですけど……」

今「……ごめん、でもね、ほんとはある。よくSFである、過去の自分に未来から操作をすると未来が変わってしまって云々カンヌン、っていう設定をまったく無視したら、ほんとはめっちゃあるんだよ、言っておきたいこと

中「じゃあ言ってくださいよ、これべつに、世の中にそんな影響ない記事だから。相手、“悩める10代”じゃなくて、“悩める過去の自分”だけだから。べつにえらそうに聞こえても今回は気にしませんから」

今「うん、それもそうか。あのね。『学校のなかだけが世界じゃないんだよ』って、これだけは言っておきたい。学校のなかって、地域のなかって、すっごい、狭いんだよ。中学くらいまではさ、自転車で行ける範囲が世界のすべてで、学校と家と習い事がすべての人間関係じゃん。でもそれって、ほんとうに、めちゃくちゃ、ちっぽけな世界なんだよ。

たとえばあなたがシャーペン握って勉強してたりする日常の時間に、別の国では道ばたでチェスしてるおじさんたちがいたり、マンゴーやパパイヤとってる人がいたり、どこかの山奥で鮭をつかまえてる野生のクマがいたりするわけなのよ。

突然何言い出してるか、って思うと思うんだけどね。とにかく、いまの日常だけが、すべてじゃないってことだけは、わかっててほしくて。

それでさ、わたしは中学時代とか、おとなになって働き始めたときに、「ああ、なんかしっくりこないなあ、つらいなあ」と思っていることも多々あったんだけど、違う世界へ飛び出したら、わたしの場合はたまたま、ものすごく呼吸するのが楽になったんだよね。その土地の文化や空気が、とても肌にあった。

『ああ!なんだ!こんなに自由に生きてよかったんだ!誰の目も気にせずに、自分のこころの赴くままに行動するって、こんなに気持ちよかったんだ』って、20代半ばになって初めて知ったの。場所が違うと、こんなにも生きるのが楽だったんだ、って。だからさ、べつにそれ自体は何も後悔していないんだけど、思うことは思うんだよ。

もし、10代のころから、中学生や高校生のころから、『他にも世界がある』ことを知っていたら、その後の自分はもっと楽しく生きられたんじゃないかなって。留学はわかりやすい選択肢だと思うし、実際10代で留学している子をみると今でもうらやましいなあと思うけど、それだけでもなくて。

いまならインターネットを通して自分の好きなことを発信したり、それをおもしろいねといってくれるひととつながったり、「学校以外の世界」を、どんどん知っていったら、生きやすくなるんじゃないかな、って、やっぱり、思っちゃうんだよね。

中「うーん……」

今「いや、ごめん、結局熱くなってるわ。ピンとこなくて当然だと思う。世界のちっぽけさなんて、そのなかにいる当時は『わからない』し『気づけない』んだよね。世界が広がって、はじめて、いかに自分がちっぽけな世界にいたのかわかる。

だから、『学校の中だけが世界じゃない』『広い世界のどこかに必ず、自分が呼吸するのがラクな世界がある』ってことだけ、ノートのどこかにでも書いといてほしい」

中「……わかったよ(なんかこのひと、必死だし)」

* * *

“悩める10代”を相手に、えらそうなことなんて何も言えないし、言いたくもない。状況が違うし、悩みも違うし、何をいっても「わかったようなこと言いやがって」ってなる。

でも相手が“悩める10代の自分”というひとりならば、わたし、言いたいこといっぱいあるなあ、と思ったのでした。言い換えれば、おとなになった自分が「もっと早く知っておきたかったなあ!」「本気で教えてほしかった」と思ったことたちが。

そしてもし、過去の私と同じような「バカバカしさ」みたいなものを抱えてくすぶっている10代のだれかが、これを読んでくれたなら。

どうか世界の広さを、自分で見つけにいってみてください。いまいる自分の環境は、すべてじゃないです。

(おわり)

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■↓2年以上前に書いた、関連note。このときは第1子の妊娠がわかる少し前だった。子育て中の今も、その気持ちは変わらないなあ。


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