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記憶はコーヒーの味に似ている


夏のエモい空気を感じながら、夏休み期間のこの数日で過去と向き合ってきました。
誰かに聞かせる事でもなければ、自慢になる話でもないのだけど、残しておく必要があると思ったので此処に書いておきたくって。

此処に書いて置いた事も時間が経って、後から見た時に、感じた時に、また違う風に見えて、感じて、「あぁ、この場所で感傷に浸りながらnoteに綴っていたんだよなぁ」そんな風に思っていたいのかもです。

2年後、3年後、もしくは5年後、
ちゃんと発酵した状態で、また会えるように此処にしっかりと置いておきます。

哀しかった記憶、目も当てられないほど辛かった記憶は時間をかけて形を変えていくのだと身をもって体験したお話です。


【お暇を頂き5年前に自分が住んでいた場所へ】

先に謝っておきます。
このご時世なのに、僅かながら移動してしまいました。
長期休みを取るタイミングが今しかなく、しかも偶々ぽっかりスケジュールが空いた為、今しかないと踏み切りました。と先にお詫び申し上げます。


5年ぶりに訪れたその場所は多少の街並みこそ変われど、景色や色合い、香りもあの頃と一緒でした。

よく訪れたコンビニ

河川敷

住んでいたアパート

懐かしい食堂屋さん

働いていた仕事場

古い喫茶店

集合場所だった銭湯

逃げ場だった映画館

二度と降りる筈がなかった駅

……。

向き合いたくない過去はありますか

僕にはあります。
思い出しただけで、悔しくて、哀しくて、忘れられなくて、あの時こうしていれば、そんな風に思ってしまうこびりついた記憶があります。

何がなんだか分からない毎日が積み重なり、手探りでもがいてみるけど、一向に好転しなかった日々。

そんな日々が続くと、こう思ってしまう。

『今まで積み重ねてきたことは全部嘘だったんだ』

続けざまに

『自分なんかに大した価値はなかった』

負の思考は堰をきった川のように流れる

『まだ努力が足りない』
『弱音を吐いてはいけない』

自分を追い込む言葉だけは饒舌に語り始まるから不思議なもの。

だからかな、最終的に

『もう、————-たい』

と思ってしまう。
今なら、その思考の短絡さに、泥濘のハマりどころに気づく。

だけど、当時は気づけなかったなぁ。

その思考の矛先はやがて一番大切な人に向かってしまう事にも気づけていなかったんだと思う。

自分に対して、強く責めてしまう事は、相手に対しても同義だと感じるから。
きっと無意識で、人の事を傷つけている恐れがあるんじゃないだろうか。そう無意識に。

当時は持っていただろう優しさとか、思いやりとか、自分を大切にする事とか全部かなぐり捨てて、生きようとしていた。

何のために?

そんな問いも浮かばないほどに目の前の事しか見てなかった。自分の事でいっぱいいっぱいだった。


今なら、ヤバいと気付けるけど、当時は全く気づかなかった。原因を環境に求めるばかりで、自分が悪いだなんて思ってもいなかった。
きっとこの場所が苦手と思っていた根本的な理由は此処にある。

1年も経つ頃には、顔も声も変わっていた。
それを知ったのは、久々に会う友人に言われてから。

もちろんその変化がいいものではない事は、相手の表情から読み取れた。

それから展開は早く、仕事を辞めて、引っ越す事に決めた。

その時の想いは、【逃げよう】だった。

ニュアンスは違えど、【進もう】と言えたら
少しは選択が違ったのかもしれないな。


持っていたプライドとか、気持ちとか全部ボロボロのバラバラにしたままその土地を去った。

お世話になった人にもお礼も言わずに去った。
自分は被害者だと思っていたから。

それが悪い事とも思ってなかった。

環境さえ変われば、もっと良くなる。

この思考が間違っている事に気づくのはもう少し先のお話。去年1年間使ってみっちりと向き合ってきたつもり。たまに顔を出すけど、当時の自分の思考に比べたらマシになっていると思うんだけど。


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話がそれちゃった。


そんなエグミの強い記憶が残ったままだったから
再び訪れるのに、勇気が必要だった。


もう一度訪れるのに5年も時が経っていた。

懐かしい駅を降りて、目的地まではを進める度に、目が潤んできた。
こぼれはしないけど、変な気分になる。

途中、元職場の先輩の顔を偶然にも見た。

『この人は変わらずにちゃんと続けているんだ』

不思議と当時感じたいたその人への怒りや失望はなかった。
代わりに尊敬の思いになったと思う。
自分には出来なかった事をこの人はやってのけているんだ。腕や顔の日焼け、電話する仕草を見ればどれだけ真摯に働いているかが分かる。

本来、会える筈がないのに、偶々見ることができたのは、今がちゃんと向き合うタイミングだったから?

そんな都合のいい解釈をしてながら、歩いていく。

歩いて

歩いて

歩いて

歩いて…

そんなに

だよな

そんなに、この街が嫌いじゃない

て事に気づく。

仕方ない事は、確かにいっぱいあったと思う。
理不尽な事がないと言えば嘘になる。

けど

けど

どうしてあそこで、折れ曲がってしまったんだろう…?

一生懸命だった

慣れないながらも

想いながら日々を過ごしていた

ふとした時間にずっと想っていた

楽しい瞬間もあった

笑いあった同僚との時間もあったよ

お金がないなりに頑張った

少しでも電車賃を浮かせたくて自転車をよく漕いだね


こんなにも、ありがたい記憶もあるのに、
どうして嫌な記憶として保存していたのだろう。


ふと、そんな考えが浮かんで
すぐに答えは出た。


向き合える強さがなかったんだ


それがこの5年という歳月な気がする。
長いのかな、短いのかな。

よく分からないけど、大学生だったら入学して卒業を終えてしまうほどの年数だって事は分かる。


嫌じゃない、嫌なんかじゃないんだ


大切な日々だった。

必要な日々だった。


自分にとって、これからの自分にとって。


この考えるに至るまでの5年間だったんだ。

『当たり前だろ?今頃気づいたのかよ』

そんな言葉いまは聞きたくもない。
本当に辛かったんだからな。
よくある結論に思うけど、ここに辿りつくのって本当に大変なんだから。

漫画や小説の主人公は高校生とかで見事に人として成長していくけど、リアルはこんなにも大変なんだ。

もしかしたら、自分が人として至らないだけなのかもだけど。同じ事を言える人と出会ったら、その人の原体験を聞いてみたいと思う。たぶん、その人も沢山抱えて乗り越えてきたのだろうから。

柄にもなく、暑苦しくエモい文書になってしまって、穴があったら潜りたい気分だし、何をいい年こいて書いているだと思われそうで、とてもとても恥ずかしい…。


でも、これはそんな話。
せっかくリスタートしたnoteには真ん中の事を書いていたいし。書かなきゃ、自分も進めない気がしていたから。

これは、それだけの物語。
自分の弱さを知る為の話。

思考が発酵するまでのお話。

色々言いたい事があってこんなに長くなってしまった。


今回の旅を通して伝えたい方があるとすれば

時間はかかるよ。かかったっていい。その人が抱えているものとか、葛藤とかて分かるのはやっぱりその人だけだよ。たまに、『なんでそんな事で悩んでんの?』とか言われる事もあるけど、無視ですよ。そんなの。

苦い記憶もコーヒーみたいなもので、いつかこの味もありかもって思える日がくるかもしれない。やっぱり苦くて無理ってなるかもしれない。どっちだっていい。どっちだっていいんだよ。そんなの。

みんなそれぞれ抱えて生きているんだから。
それだけで、とても美しいものなんだから。


いっぱい書かせてくれてありがとう。
独白になってしまいましたが、よかったらまた読みに来てください。



最後まで読んでくださりありがとうございます。この記事を見つけてくれてたこと嬉しく思います♪