「本当の親」って誰? (エッセイ)
日本語の表現で《違和感》を覚えるもののひとつが、「本当の親」あるいは「実の親」です。
かつては上の記事のように、➀受精に使われた卵子や精子の提供者を指す場合の他、➁誕生の後に養子などに出された子供にとっての生物学上の親を指す場合などに、最も普通に用いられていました。
稀にですが、➂産院で取り違えられた子供が、取り違えられなければ共に生活していたであろう親を指す場合にも使われます。
元原稿を確認していませんが、「英保健省」の発表の中では「本当の親」という表現は使われていないはずです。
英語では、➀➁➂いずれの場合も《biological parent(s)》つまり、生物学上の親、という表現が使われます。最近の日本の新聞も、この言葉を使おうという傾向にあり、「本当の親/実の親」と併記する傾向にあるようです。
「英辞郎」で「biological parents」の和訳を調べると、「実の親、実父母、生みの親、生物学上の親」と出てきます。つまり、やはり一般的には、「本当の親/実の親」が使われています。
例えば最近の下記記事(2021/11/5 日経電子版;記事中の実名はAさんと仮称しました)では、訴状で「生物学上の」を用いる一方、当事者は「実の」という表現を使っているようです。
「それぞれの人がどんな言葉を使おうと勝手じゃないか」
そのとおりです。
しかし、人は言葉で考える生き物です。使う言葉によって、考え方や物の見方、人間関係すらも、ある程度、影響を受けます。
「生物学上の親」に対して「本当の親」「実の親」という言葉を使うならば、「生物学上のつながりのない親」は「本当の親ではない」「実の親ではない」「not real parent(s)」「not true parent(s)」ということになってしまいます。
言葉って本当に大事です。
例えば、「いじめ」という言葉が、今、あまりに広い範囲で使われています。
ある段階から、たとえそれが学校の中であろうとも、事実認定により「人権侵害」「名誉棄損」「器物損壊」「窃盗」「暴行」「恐喝」という言葉を適切に使っていくべきだと思います。
脇道に逸れました。
私は最初に引用した、2000年12月の記事を見て強い《違和感》を覚え、この記事をワードファイルにコピペし、簡単なメモを添えておいたのですが、それから10年余りが経ち、2013年制作の是枝裕和監督の映画「そして父になる」を見た時、改めて、
「うーん」
と唸りました。
この「うーん」は言葉で説明しない方がいいですね、きっと。
他人の心の中に立ち入ることはできませんが、
➀➁➂のケースとも、言葉の《初期値》としては、
《本当の親》《実の親》より、《生物学上/遺伝学上の親》なのかなあ、と勝手に思っています。
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