手紙を書く
手紙が好き。
いただくのも、書いてわたすのも。
でも、手紙を書くとき、いつも迷う。
「これって、ただ気持ちを押しつけてるだけでは?ただのエゴなのでは?」
って。
どれくらい伝えていいんだろう、
迷惑じゃないかな、
って。
本音って、ちょっと怖いから。
手紙って、何も隠せない気がするから。
手紙のやりとりは好きだけれど、手紙を書くということはすなわち裸の心を差し出すようで、どこか照れや恐れがある。
今、この4月末で職場をはなれる同僚に手紙を書こうと思っているのだけれど、例によって「書いていいものか」と葛藤している。
この同僚には本当に本当にお世話になった分、それだけ気持ちもでかくて、だからこそ重くなりそうで素直に書くことを躊躇している。
わたしは、自分の他人に対する思いや情や、それを伝えるための言葉が重めだということを自覚している。
だから押しつけたくない。
なのに、伝えたい。
云いたいって、思ってしまう。
わたしは手紙を、数日にわたってゆっくりと書いていく。
「書こう」と思い立ったら、
頭の中で思いを泳がせめぐらし、
そこから云いたいことを整理し、
それをスマホのメモに下書きし、
下書きを何日かにわたって推敲しつつ、
その人っぽい色・柄の便箋を選んで、
そしていざ清書するのだが、
まあミスって何回か書き直して、
それから何度か読み返して、
丁寧に封をして、
渡すか投函する。
このすべての瞬間、相手のことを思い浮かべ、これまで共有した時間や景色や、わたしがもらった素敵な思い出や、まあなんやかんやと脳裏をかけめぐって胸がいっぱいになる。
その間、自分の中には宇宙とも呼べそうなものすごく芳醇な世界が広がって、誰かと築いた関係の豊かさを思い知る。
……というのはわたしの都合であって、やっぱり、
「『云いたい』はただのエゴ」
と思って急に冷静になる自分もいるのだが。
手紙でしか伝えられないことって多い気がする。
直接言うには照れくさいこと、
どうしても伝えておきたいこと、
何日も胸の中であたためてきたこと。
そういう一対一のナイショ話みたいなのが、手紙には詰まっている。
だから手紙をいただくのはわたし自身はとてもうれしくて、便箋の手触りも、筆跡の息づかいも、その人だけの言葉えらびも、そこにつづられる思いや風景も、どの瞬間もだいすきだ。
でもいざ自分が書く側となると、なんでこんなにも臆病になるのだろうか。
今週の金曜日が、その同僚に会う最後の日。
きっと手紙を書くし、きっと渡す。
でも、勇気がいる。
心をひらいて手紙を書くのって、勇気がいる。
「『云いたい』はエゴ」。
それを肝に命じながら、わたしは同僚への手紙を大事に大事に書きながら、今週をすごしてみようと思う。
心をひらいて手紙を書く。
そうしたいと思えるほどの出会いと、同僚にもらった素敵な時間に、感謝をこめて。
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