最高裁判決の評価点・問題点~女性の権利・女性スペースの視点から
2023年7月11日
「令和3年(行ヒ)第285号 行政措置要求判定取消、国家賠償請求事件」の最高裁判決
いわゆる「経産省における女性自認男性の女性トイレ使用に関する最高裁判決」がなされました。
判決文の全文は以下より読むことができます。
<PDFダウンロード>
https://www.courts.go.jp/app/files/harei_jp/191/092191_hanrei.pdf
<ハフポスト記事>
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_64ad02a3e4b0b641763940e3
※ちなみに、判決文の後半には
各裁判官からの補足意見が付されていますが、
本記事ではそれらも含めて「判決文」として解説しています。
この結果について
主に過激なトランス当事者・支援者界隈では歓喜の声
女性たちからは落胆と絶望の声が広がっています。
この最高裁判決によって、
女性を自認する男性が
職場で自由に女性用トイレを使えるようになるのではないか
というような懸念の声が上がっています。
しかし、結論から言うと
良識ある職場であれば、すぐにそのようなことになる心配はなさそうです。
(逆に、そうなってしまう職場は良識がないということ)
女性の権利・女性スペースの視点から判決文全文を細かく見ると、
女性の立場から、このことについて
異論の声をあげていくための助けになると思われる
そんな文言もありました。
本記事では、判決文について、
女性の権利・女性スペースの立場に立って、
評価できると感じた点と
問題であると思われる点について
解説していきます。
● 今回の争点と判決の概要
評価・問題点の解説の前に、
今回の裁判の争点と、判決の概要について解説します。
判決・主文
わかりにくい表現ですが
要は「原判決」=最高裁判決の1つ前の「東京高裁判決」(第2審)を棄却、
つまりは、その前の「東京地裁判決」(第1審)が確定したということです。
本件の争点・判決の概要
本件の争点は
経産省で働く女性を自認する男性が、
職場において女性トイレを希望し、
それに対して人事から「2つ離れた階の女性トイレを使用するように」という措置(以下「措置」)がなされた、
この「措置」に違法性があったかどうかということです。
判決では、
当該の「措置」には違法性があった
というのが結論でした。
誤解の無いように
今回の最高裁判決を受けて
「男性でも女性を自認するならば
職場の女性トイレを自由に利用できようになる」
というのは全くの間違いです。
今回の判決では、「措置」についての評価がなされただけです。
決して、性自認による女性トイレ使用の可否が判断されたわけではありません。
● 評価できる点
「生物学的な性別・区別」についての言及
判決文において、評価できると思う点の1つ目は、
以下のように
「生物学的な性別・区別」という文言がきちんと使われ、
そのことに対する配慮は不可欠であるという記述があることです。
「生物学的な性別・区別」の存在や重要性は
あたりまえのことではあるのですが、
これらがきちんと記述されていることは、
過激なトランス当事者や活動家らによる
「生物学的な性別は無い」というような発言を
真っ向から否定するものであり、評価することができます。
「調査」を行うことが示されていること
評価できると思う点の2つ目は、
結論として、当該の「措置」の違法性を述べつつ、
改善点として、「措置」にあたって
きちんとした「調査」を行うことが奨められていることです。
「措置」の違法性の理由・根拠について、
以下のような記述があります。
これらは、
「本件では、具体的な理由もないのに
女性を自認する男性が不当な扱いを受けた」
という立場で書かれていると思います。
しかし、逆を言えば
きちんとした「調査」を行い、
「具体的な理由」が存在するならば、
それに応じた合法的な「措置」も可能であるということです。
説明会という場においては声を挙げられなかったかもしれない
そのような女性の声も、きちんと聞き取ることができる
そのような「調査」を行う必要性、
そのような「調査」を求めることの正当性が
述べられている部分として、大切に覚えておきたいと思います。
限定的・個別的であるとしていること
評価できると思う点の3つ目は、
判決が今回の件を限定的・個別的なことであるとしている点です。
判決文の最後には次のような一文がありました。
あたりまえのことですが、
昨今話題・問題になっている
公衆浴場や公衆トイレについては、
今回の問題とは別の問題として、
議論されるべきであるということです。
またもうひとつ、今回と同様の
職場におけるトイレ問題であったとしても、
以下のように、個別具体的に考えるべきだと述べられています。
要するに、本件のような場合には、
女性を自認する男性個人の状況や要望だけではなく、
その個人に係る事情(そこには「調査」等に基づく周囲からの意見も含まれるでしょう)や、
職場の環境なども含めて判断されるべきであり、
決して性自認によって自動的に、一律に判断されるべきではない
ということです。
● 問題点
評価できると思われる点があった一方で、
非常に問題であると感じる部分もありました。
以下に述べていきます。
女性の意見を「感覚的・抽象的」としていること
まず、問題として指摘したいことは、
「措置」の違法性の根拠として
「具体的」(な理由がない)という言葉が繰り返される一方で、
そこに確かに存在するであろう、女性の意見については
「感覚的・抽象的」であるとしていることです。
判決文の中に、以下のような記述があります。
女性の「性的羞恥心や性的不安」を
「感覚的かつ抽象的な懸念」としています。
どうしてそのように言ってしまうことができるのでしょうか。
その「性的羞恥心や性的不安」の背景には、
当然のことながら「具体的な経験」があることは
言うまでもないでしょう。
実際には、女性の「具体的な経験」が
否定されていると言えるのではないでしょうか。
むしろ、「性自認」という概念についてはどうなのでしょうか。
女性を自認する当該の男性について
「女性として認識される度合いが高いものであったということができた」
と述べられていました。
その「女性として認識される度合い」などというものこそ、
社会的な性(ジェンダー)規範に基づくものであり、
生物学的な性別と比較して、あまりにも根拠に乏しい
「感覚的かつ抽象的な」ものではないでしょうか。
「受け入れる」前提の議論・公平性に欠けること
そもそも、裁判官によって著された
判決文全体が、女性を自認する男性(の要望)を
女性トイレに「受け入れる」前提で書かれているということを
以下のような記述からうかがい知ることができます。
女性を自認する男性について、
「自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、
本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ない」
「本人の性自認を尊重する対応をとるべき」
とされています。
なぜ、女性トイレを使用する前提であって、
男性トイレを使用する可能性(場合によっては表記等を変えて)は
検討されないのでしょうか。
「可能な限り」「できる限り」という言葉が使われているのですが、
なぜ「男性が女性トイレを使うことはできない」ということが
あたりまえの「限界」となる可能性が、初めから排除されているのでしょうか。
また、見落とされがちですが、当該の職場においては、
複数の階に男女兼用の多目的トイレも設置されています。
「執務室がある階には設置されていない」ということですが、
それを言うならば、多目的トイレでなければ使用できない他の職員は
当然のようにその階まで移動してトイレを使用している現状があるわけです。
そのような中、
どうしてこの女性を自認する男性のためにだけ、
近隣階の、しかも女性トイレを使用できるようにするということが
前提とされているのか、正直疑問です。
また、以下のような記述もありました。
「不利益を被ったのは上告人のみ」としていますが、
これは明らかに事実誤認と言わざるを得ません。
なぜならば、生物学的な男性が女性トイレを利用することは、
そのトイレを生物学的な女性限定で利用したいと希望する女性に対して、
明らかに不利益を与えているからです。
「利益の調整」という文言を使って、
一見「公平」な立場に立っているようで、
まったく公平ではない前提に立っている
裁判官の問題ある姿勢が見て取れるでしょう。
「(性)加害の機会」を容認していること
そして、もうひとつ、
繰り返し出てきた文言が
「(具体的な)トラブルはない」
という言葉です。
具体的なトラブルというのは
要するに具体的な「(性)暴力・(性)加害」のことでしょう。
それらが起きていないから問題ないというのです。
あたりまえのことですが、
具体的な「(性)暴力・(性)加害」が起きてからでは遅いのです。
男性によって、そのような具体的な「(性)暴力・(性)加害」が
繰り返されてきた過去、未だに繰り返されている現在があるからこそ、
そのような歴史から学び、現在と未来の女性たちを守るため、
そのような「機会」を生まないため、作らないために
女性スペースが設けられているわけです。
医師による「性衝動に基づく性暴力の可能性」の診断についても、
非常に疑問です。
例えば依存症などの抑えられない衝動を抱えている人について、
その衝動性が「ある」と診断することはあっても、
「ない」もしくは「低い」と診断し、
それを根拠に「問題ない」と判断することがあるでしょうか。
そうではなく、むしろ
わずかでも存在する可能性のあるその衝動性が刺激されないように、
その衝動性が不適切な行動に繋がる可能性や
そのような「機会」を避けるようにするというのが、
常識的な考え方・対処の仕方ではないでしょうか。
※参考:「犯罪機会論」
※ちなみに、当該の男性について、依存性や衝動性、
それらによる犯罪歴・加害歴等があるのではないかと
決めつけるつもりはまったくありません。
あくまで、そのような診断の懐疑性について述べています。
その意味で、本判決文に見られる裁判官の姿勢は、
具体的な「(性)暴力・(性)加害」の「機会」を容認する姿勢であると
言うことができるのではないでしょうか。
● まとめ
今回は、「経産省における女性自認男性の女性トイレ使用に関する最高裁判決」について、
その概要や争点について解説し、
判決文の中で評価できると思われる点と、
問題性を感じる点とを解説してきました。
特に、評価できる点として、
・「生物学的な性別・区分」の重要性
・女性の声を含めた「調査」の必要性
・個別具体的に検討していくという前提
が確認できました。
これらは今後、同じような問題が
社会の様々な場面で起こっていくであろうその時に、
大切に覚えておくべきポイントでしょう。
「生物学的な性別・区分は確かに存在し、重要である」ということ
「女性の声を無いことにせず、きちんと聞いていく機会を作る」ということ
「一律に、一括りにして早急に議論を終わらせるのではなく、個別具体的に議論する」ということ
これらをもって、女性の権利・女性スペースを守るために声をあげ、取り組んでいきましょう。
関連する記事
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?