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大好きな物価の優等生・玉子からヨガ哲学を振り返り、たまごかけご飯を美味しくいただく

たまたま最近、再び平飼いのタマゴを手に入れました。

買ったことありますか、平飼いタマゴ…べらぼうに高いんですよ。

タマゴ、『物価の優等生』とか言われてますけど…そのウラには色々あるわけですよ。気になる方は「バタリーケージ」でググッてみてください。

ここではそれには言及しない。
それぞれ主張はあるからね。

Anyway。
私は平飼いがあるたびに、自分の納得感のために、べらぼうに高いタマゴを買うことがあります。
貧しい一介のヨガ講師なのに…

今回はそんな話。

■学びの延長で、菜食主義に出会ったが

私はヨガを真剣に始めてすぐ、ヴィーガニズムを提唱している有名な流派に出会い、ソコソコ真剣に学んでいたので…

早いうちから「アヒムサ」とは何か? ということを真剣に考える機会があった。

アヒムサとは、ヨガの教科書のひとつ『ヨガスートラ』で、学ぶべき事柄として挙げられた「八支則」のウチのひとつの単語。

コレなのだが、日本語直訳としてあげられる言葉が「非暴力」なんだよね。つまり、生きとし生けるものに暴力を振るってはいけないということで…

その流派では主にこれが、肉食や殺傷、動物からの搾取をしないという、ヴィーガン生活の主張の元となっていた。

…………まぁ今は、この『ヨガスートラ』の八支則だけをやたらと強調して勉強する風潮も、サンスクリット語を日本語に置き換えるのも、これまた如何なものか…とも思うのだが、さておき。

その流派の中でベジタリアンの練習も実際にしていた…というよりノルマのようなモノだった。今思うと頭からそれを信じていて変な感じだが、当時は当たり前のように練習した。

まぁ正直…元来動物好きなので肉を食べることに軽い抵抗感を感じることがあるのと、そもそもあんまり肉が好きじゃないのもあって、自分的に取り組みやすかったんだと思う。

とにかく真面目にヴィーガニズムを勉強しようと思って、先生に聞いたり、自分でもせっせと学んだりした。

で…。
その結果どうなったかというと、その流派のヨガを学ぶことを辞め、今の流派に出逢った。

■なんか変だよ、口先ヴィーガン主張者

その流派をやめたのは、学ぶほどにアヒムサへの疑問が大きくなり、それに解答してくれる先生も、それを牽引してくれる先生もいなかったからだと思う。

私の目の前にいたその流派の先生は、ヴィーガンを提唱し人に推薦しながら、エビの入ったガーリックの効いたパスタを食べ、ワインくいくい飲んだ。

そしてヴィーガンだという別の先生は、革カバンから、ヴィーガンだからお弁当なのと笑って取り出すランチが…チョコレートとめかぶのパックと、ペットボトルのコーヒーだったりした。

要するに…なんか変なのだ。

聞けば、ラクトベジタリアンだから牛乳はいいの…とか、エビやカニといった甲殻類魚は食べても構わない…とか言われる。

アヒムサどこいった。

要するに、ラクトだペスコだ、オボだセミだ、ポーヨーだ…抜け穴だらけで、今ひとつ説得力がなく、ゴミや生態系の問題などにはどうやら無頓着らしかった。

そして肉が栄養あるなんて嘘よ、とにかく野菜を食べなくちゃね、健康にいいし!と主張するのだ。

さらにヴィーガンは飲酒も喫煙も、植物性のモノだから禁止していない。…植物の実とか葉っぱだもんな。

折しも日本はワインブーム、フランスでは水代わりよと、目の前の先生方はくいくいワインを飲みまくる…。

なんか…どうなの。

結論。
要するに、ヴィーガンの人たちは、健康的な生活を送りたくて、ヴィーガンやってるわけじゃない!

まぁ、残念ながらその当時、ヴィーガンを主張する私の目の前に居た人達は、そういう人だったのだ。

出会いとは不思議なもんだ。

■健康とヴィーガニズ厶の無関係さ

結局私はその流派を離れた。

色々時期とタイミングもあったとは思うが、今思うとそもそも流派の大切にしているモノの思考が合わなかったんだろう。

肉体的にバックベンドの多いアサナスタイルだったのも合わなかった。

私は骨の奇形からくる不治のヘルニアをアチコチ持っていて、そのひとつの腰痛を解消したくてヨガを始めていた。

だからバックベンドをすることは、筋力もなかったその当時、単に痛いばかりだった。

そしてその頃は特にメンタル面でもバランスが悪い時期で、具合が悪くなるのがわかっていたのに、かなり濃い形で喫煙も飲酒もしていた。

偶然ヨガに出会ったように見えるがその実、現状の自分を変えるキッカケに出会いたいと願っていたんだと思う。

心身ともに健康的な、自然な自分の状態に戻りたいという願いが。

だから腰が痛いのにバックベンドばかりして、かつ喫煙や飲酒を良しとしている流派では…

今の意志の弱い自分には、喫煙や飲酒という暴力までもを、自分自身に振るい続けるイイ容認材料になってしまう…

と、ウスウス感じたのかもしれない。

要するに、自分に暴力をふるうことをやめずに、何がアヒムサだ…と思ったのだ。

その後も、健康的と言われるマクロビやフルタリアンといった様々な食事方法や、カフェイン断ち、砂糖断ち、断食など…

自分の身体を使って健康とは何なのかを試行錯誤してみて…自分の健康とヨガに対する学びとして向き合ってきた。

その都度、お腹が痛くなったり便秘になったりと、ハイテンションになったりと…自分自身へのアヒムサを考えさせれた。

結局、ヴィーガンやベジタリアンに関しては、ずっと後になって、栄養バランスも思考も行動もオカシクない、ヴィーガンの友達ができた。

他にも、栄養士として考えながら子育てしているベジタリアンに出会ったり、私にはまったく合わなかったマクロビで元気な人もみた。

そうして必ずしも不健康なヴィーガンやベジタリアンばかりではないと知った。

だが同時に…
「ヨガだから」とヴィーガンやベジタリアンにトライして、すっかりエネルギーをなくし不健康に痩せ細っていくヨガをする人を、何人も見た。

私はベジタリアンなのに、選ぶものがないじゃない! とレストランでキィキィなじる人にも出会った。

コレもソレも、何もかも経験。

■結局、自然に生きるとは、玉子を美味しくいただくこと

今の私はアーユルヴェーダを中心軸のひとつとしたヨガを学んでいるので、それなりに安定した食生活を送っている。
ちなみにアーユルヴェーダは菜食ではない。

アーユルヴェーダでは、個々の自然な状態を非常に重んじる。

それは勝手な基準ではなく指標がハッキリしていて、なぜそのように行動すべきなのか、なぜ今それを食べるべきなのか、ひとつひとつ理由が説明される。

なのでひとり学んでいても、あまり迷子になることがない。

もちろんアーユルヴェーダの様々な主張の中にも、色々グレーに感じる部分がまったく無いわけではないが、概ね納得感がある。

そもそも食生活は前述したように、元来肉好きじゃないので、黙っていてもオボラクトやポーヨーに近い生活になっている。だから肉は自然に食べる。

もうひとつは金銭的に楽だってこと。
フルタリアンを経験して思ったが、エンゲル係数がスゴイことになる。

これは自分のメンタルバランス的にもあまり良くなかった。金が無いのに何してるのかと考えて凹むからだ。

でも実はフルタリアンの時が、体調は物凄く良かった。

そして玉子もやっぱり食べる。

だって何より安くて素敵なタンパク源だから。そしてベジタリアンやフルタリアンしてたとき、何が食べたかったって…

TKGですよ!!
たまご かけ ごはん!

食べたいんですよ、これがー。
日本にある素晴らしい食事方法のうちのひとつ!なまたまご!!

でもやっぱりアヒムサも考える。

自分の健康と自然さ…そして金銭的楽さを引き換えに、他の動物たちに不健康と不自然さを押し付けがちなのが、肉食なのだ。

そこを考えたとき、自分の中に罪悪感と不自然さによる、一抹の澱のようなものが出来るのを感じる。

そこから自分への暴力を感じる。

だから少しでも自分へのアヒムサとなるように、たまに平飼いの玉子を買う。

ニワトリへのアヒムサじゃない。
自分へのアヒムサのために。

とはいえ毎日買うと今度は金銭的に罪悪感が来て、また自分への暴力になりそうだから、ヒッソリと。

そして今日も感謝して、元気よくたまごかけご飯を、美味しくいただくのだ。

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