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ありがとうございました / 律すること

”福袋とパーカーと唐揚げと”に、スキをありがとうございました。とっても嬉しいです💖些細なことでも読んでいただけて本当に嬉しい💖

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休日に、信じられないくらい沢山眠った。せっかくKちゃんとお休みが被った日だったのに、二人とも一日中寝てた。

それなのに、時間になると『何か作らねば。何か食べねば。』と言うことで、二人ともきっちり三食食べた。そして、また寝る。

こんなに沢山寝れるのは、おかしい。もしかして、コロナでは?と恐怖する理由は、高齢者施設勤務だから。仮にかかっても、自分たちは恐るべし抵抗力で生き延びそうなのだが、いかんせん、高齢者の方々に脅威を与えたくない。

しかし、二人とも忘れている。前日、前々日の、ハプニング続きの激務のことを。

”どうして、こんなに眠いんだろう。”

疲れてるからだよ!

とは言うものの、いちいち現象に理由を求めてしまうのが人の常。

”ああ、なるほど。疲れているから眠いのか。”とか、そこまで納得して初めて安心して眠れるというこの不思議。

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焼き肉屋の立てこもり事件。『生きている意味が見いだせず、死にたいと思った』とか。

中には「このために生まれてきました!」とか「このために生きている!」と実感出来ている人もいるのだろうけど、それが正しいとは限らないし、しばらくすると、また分からなくなるかも知れない。

いったいこの世の中の人々の何%の人が「自分の生きる意味」を実感しているというのだろう。

この人は、何かしら人に迷惑をかける形で「自分はここにいるよ。凄く辛かったんだよ。死にたいんだよ。」ということを示そうとしたのかも知れない。「聴いて。聴いて。」と。

でも、自分が何のために生きているのか分からないとか、そういったことを思う時期とか瞬間ってのは、誰にでもあるんだよね。多分だけど。

その思いの強さってのは裏返してみると、「聴いて、聴いて。」を通り越して、「凄いと思って。誰か特別だと言って。褒めて、褒めて。」というような強烈な承認欲求かも知れない。それをそのまま言うと、何だか恰好悪いから「生きている意味が分からない」という表現で人を引っ張っる人もいる。

若い頃、そういったことで議論に巻き込んで来る人もいたけれど、その人が欲しかったのは生きる意味というよりは、それを、ああでもない、こうでもないと誰かと言っている時間そのものだった。本当に答えが欲しかったら、自分で探している。

カウンセリングの場面でも若い人が同様の台詞を言うことがあるのだけど、フロイト方式で「幼い頃に親に認めて貰って来なかったから」と言う人もいる。実際に若い頃の私もそうかも知れないと思っていた。

ところが、親御さんに否定ばかりされてきた人や、親御さんが居なかった境遇の方たちでも自己肯定感が高い人は山ほど居る。

どんなに愛情や承認を注がれても、その人が気が付いていなかったり、受け取っていなければ、それは「不足」と思われるという、ただ、それだけのこと。

ついつい、何かのせいにしたがるのだけど、疲れたら寝る!という理屈と同じくらいに、承認欲求が足りていない・・・いや、そんな難しい言葉じゃなくて「聴いて、聴いて」と人にストロークを求めたり、あるいは、自分が求めているものが不足していると思ったら、何が不足しているのか?自分は何を求めているのか?と普通に考えられたら健康だよなと思う。

それを自分で自分に与えられるくらいの気持ちでいたい。

さらには、普段自分のケアをしていると、人の優しさが大きな意味を持って染み入る。何たって、その言葉がけをしてくれる人もまた、今日を頑張っているのだから。

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