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青のゲーム

「ずっと青を選び続ければ勝ちです。でも、絶対に相手チームに勝って下さい。」

ルール説明はそれだけだった。

心理の学生だった頃、エンカウンター合宿なるものに半強制的に参加させらていた頃のお話。

数人のグループ編成でチーム分けをさせられて、対戦するチームと将棋をさすように交代でパネルのマスの色を選んでいく。

正方形で、16マスくらいあったと思う。ただし、次のマスの色を決める際にはチーム全員で話し合いをして決めてから発表する。

私らのチームは「はい、次、Ohzaさんチーム。ここは何色にしますか?」という問いに毎回「青。」と答えていた。

ほんとんど即答に近かったのは、話し合いというよりは、ほとんど毎回頷き合いだけで意思表示をしていたから。チーム編成の方法が自由で、普段から好んで交流している人ばかりが集まったからこそ可能なことだった。

しかし、対戦相手のチームが次の色を選ぶまでは長い。かなりもめている。それは何故かというと、青が3点だとすると、赤は4点、黄色は4.5点と定められているから。

勝つのは全てのマスの合計点数が多い方ということにもなっているので、そりゃあ、点数が高い色を選びたくなる。だから、もめる。「青を選び続ければ勝つって言われたじゃない!」「いや、いや、そんなのおかしいだろ。どう考えても点数が1番多い色を選ぶべきだろう。」

だから、物凄く単純なゲームが終了するまで数時間を要することになるという仕組み。それでも、私たちのチームは待ちに待って順番が来ても毎回「青」と即答して、またもや相手チームの番を数十分待ち続けるということの繰り返し。

そして、また「青。」いかなる時も「青。」。

予想外だったのは途中で私たちのチームのそんな態度にファシリテーターである講師がブチ切れたこと。

通常、ワークがスタートしたらファシリテーターは無言に徹するルールになっている。参加者が質問をした時ですら答えないことになっている。そのルールを破るほど我慢ができなくなったということなのだろう。

「あなた方は何で話し合いを持たないんですか?それじゃあ、まるでワークの意味がないじゃないですか!」

それでも、”どのワーク中も講師とは会話できません”というルール説明が先にあったので、それに対しても私たちは無言でいた。

しーん・・・。(心中、だってそういうお約束ですから。)

それに対しても驚愕の表情を見せた講師だったが、真っ赤な顔で怒ったままゲームが続行された。通常は不安になった参加者が質問をして無視されるという光景ばかりだったので、とても異例のことだった。

私たちの勝利でゲームは終わった。

終わった後はフリートークなので、無言のゲームの最中、心の中で起こっていたことを皆でシェアして盛り上がった。本当は皆喋りたかったわけだからね。

でも、無言で行うということで”感じること”に徹することができるというのがワークの仕組みでもあるのだ。

何故頷き合いのみで毎回すぐに決め続けられたのか?というと、それは「青を選ぶ」というのが、普段の私たちの価値観そのものだったから。そのことを互いに知っていたから。

青を選ぶという約束。でも、人間は欲があるし不安な生き物だから裏をかいて赤や黄色で儲けたくなる。青という約束だけれど、恐怖を感じて赤や黄色をつきつけたくなる。どうだ、まいったか、ざまーみろとか。あるは、「ほら、観て。私、こんな良いもの持ってるよ。」とか。

それで持ち札がなくなって嘆く。

青を売りますと言っては「ほら、私が売っている商品の方がお得ですよ。」と別のものを売りつける。

当然のことなのに信用を失っては「何故だろう?」と嘆く。

講師は、その葛藤を起こさせたかったのだろう。迷い苦しむ姿を見たかった。そしてゲーム終了後にそういったことを”自分が立派に”諭したかった。

それが叶わない不安を目の当たりにして、無言で行うというルールを自分から破った。受け入れる、見守るということが出来なくて、青以外の色の行動を取った。ブチ切れた。

プライベートならそれもOKで楽しい個性のひとつかも知れないが、給料を貰っている仕事中にそれをやることはNGだ。ましてや「青を選ぶ」という約束を教えている最中なのだから。

当時、自分の事務所を持っていなかった私は、そのスクールにある部屋を時間借りしてネットやプライベートで申し込んで来られたクラインとさんとのセッションを行っていた。

すると、順番待ちしているクライアントさんたちの列に他のカウンセラーたちがたかっていた。

「あのですね。私、アダルトチルドレンの交流会をやっているこういうものです。」とか「箱庭療法やコラージュ療法はいかがですか?」と、その他様々な口上を述べて名刺を突き付ける。

教育分析に来ている生徒さんには「私は弟子を募集しているの。こんな順番待ちしなければならない人のところじゃなくて、こっちに来てみない?」とか。

真剣に悩んで、カウンセリングや教育分析のために私のところへ来て下さっている人たちにそういうこと止めて欲しいなあと思ったものの、当時は借り物の事務所だったので強くは言えなかった。ギラギラ、テカテカしているその人たちに。

しばらくしてその協会とはさよならしたのだが「後ろ立てなしにどうやってやっていくの?」と口々に言われた。でも、後ろ立てどころか、もたれかかり合い一人で立つことを教えない場所には魅力がなかった。何百人で何十年集合していても延々と同じことの繰り返しだから。

もちろん全員がそんな人ばかりだったわけでなく、あの時のチームの皆はかけがえのない青い宝石群のようなものだった。権威を隠れ蓑にした不安な共依存にお金を出すのではなく、自分自身と仲間、相互成長に投資することの大切さを教えてくれた。

あれから何十年もの月日が流れて、この日常の中、今でもよく、あの青のゲームを思い出す。

近所で気軽にエステに行けるところはないかな?というニーズを持って探したサロン。

不必要な化粧品を売りつけようとしたり「そうだ!お友達!お友達を紹介して!あ、レビューをネットに書いて!そしたら、このおまけ商品が貰えますよ!」とギラギラ&けたたましい。そして何より美しくない。

エステサロンなんだから、おそらくあなたが求められ売るべきものは美です。

ああ、それさえ止めてくれれば、のんびりコンスタンスに通って、私は結構沢山のお金をここに落としただろうに。

また、ある時は「色んなアイディアがあるようだから、車椅子を開発して高く売ってくれないかな?!売れるよ。凄く売れるよ。そうすると給料あがるよ?」

いや、私の今のニーズは看護をすることで、特養に来る人とその家族も車椅子を買いに来るわけじゃないと思うんだよね。

この世のあらゆるところで狂ったように叫んでいる、集客、集客、集客。もちろんそれら全てがダメなわけではないけれど、中身がないのに集客してその後どうする。

宣伝、宣伝、宣伝。そう、宣伝って必要かも知れない。でも宣伝では青だったのに他の色を星の数出して見せても「青は?」とガッカリされるよ。無意識でも嘘は嘘だからね。

どんな生き方ですら自由なのだけど、それを続けていると、いくら無いものを出し尽くしても、相手に「・・・・。からの?」と言われて続け、鬱になる。そして「どうして?どうして自分ばかり?あいつはうまいことやってんのに。」と人ばかり見て嘆く人生になる。

あなたの魂との約束はなんですか?

その答えはちょっと自分の内側と向き合えば断片的に思い出せ、やがてその断片の1ピース1ピースが見事な映像を完成させる。

あなたが今していることはどんなことですか?

それは今この時、周辺を見渡せば容易に分かることが出来る。まるでうつし鏡のように。

鏡に映すものは自分で選べる。

青の流星群に息をのむ。そんな日常の奇跡に胸がいっぱいになる瞬間もある。

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