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話すことは放すこと 分かち合うこと

先日、単発派遣に行ってみて思ったのだけど、つくづく高齢者施設の看護が好きだなあということ。

6年、7年とやって来て辛いことの方が多かったはずなのに、そう思うのが不思議。

療養型や一般病院の急募もあるし、とても近所のクリニックも募集をかけている。両方とも近いし、何せ病院もクリニックも仕事の現場にドクターがいるのだから非常に楽ではないか。
施設だとドクターはいないので往診を待つか救急搬送をしなければならない。指示受けもままならないし不便じゃないか。
そして何よりクリニックも療養型も今まで聞いたことがないほどの高い時給だった。もちろん給料は高い方が良い。じゃあ、こっちか?

先日、そんなことを考えつつバイトをしていたら、変わったお名前のおじいさんが目についた。○○六というふうに名前の最後に6という数字がついている。6番目に生まれた子供だったのだろうか?

それとなく訊いてみたところ、『この名前はなあ!日露戦争帰りの怖い祖父がつけてくれた名前なんだ!』と嬉しそうに話してくれた。『それはそれは、おっかねえ爺さんだったんだよ!』と。
しかし、6番目の子供かどうか?というのは、話が長すぎて、とうとう聞き出せなかった。それが質問だったんだけどな。

しかし、お風呂上りのお爺さんが、自分の御祖父様の話を嬉しそうに語るを聞いていて、つくづく思った。
みんな、話したいことがある。むしろ、それが一番なのだけど、職員は忙しい。

そんな貴重な自分史を話して下さった後の方々は、普段血圧が高いだの低いだの言っている人も正常値になっていたり、食欲不振だと聞いた人が全部平らげたりと、とても素敵な奇跡が起こる。

もちろんそれだけが理由ではないのだけど、多分私はその人の生活の場所に入らせていただいて笑って貰ったり、好きなことを喋っていただいたりするのが好きなんだろうなと思った。

数字と薬学は大切。でも、その外側にあるものはもっと大事。それが実感できるのが施設看護なのかも知れない。

明日はまた久々に単発派遣を入れてみた。一週間前くらいに予約を入れたのだが、なんと大雪警報が出ている。こういう時に限って朝の渋谷を通って行かなければならない場所を選んでいる。いい加減にしろよ、自分。(でも、行ってみたかったんだよね。)

引きこもりと冒険のアンビバレンツ。
こんな生活がもう少し続く。

あまりに自分がグズグズしているので不安になる瞬間もある。でも、大丈夫。前に進んでいる。

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