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アメリカの小学校で働いて、学生時代に容姿について言われた言葉を思い出した話  【日本とアメリカ 比較①】

カリフォルニアから、こんにちは!

東京都公立小学校→シンガポール日本人学校を経て、現在はアメリカの私立小学校で、英語と日本語のバイリンガル教員として働くMeiです。

今回は「アメリカの小学校で働いて、日本で言われたことを思い出した」ので、それについて書きたいと思います。


1、日本の中学校で言われたこと

私は幼い頃、髪の毛が明るい茶色でした。

小学生になったころに、目の色や髪の毛が茶色いことを友達に時々指摘されましたが、それでいじめられることもなく、自分の姿は鏡がないと見えないので「そんな気になるもんかな?」くらいに思っていました。


それから公立中学校へ進学して、初めての日直で日直日誌(懐かしい!)を職員室に持って行った時、近くにいた先生から呼び止められました。

「おまえ、髪の毛染めているだろう?ちゃんと、黒くしてきなさい。」


びっくりしました。何より自分の耳を疑ったのです。中学校は、小学校よりも先生や先輩が厳しいと聞いていたから、スカートの長さも靴下の色も、髪の毛の長さも、全て校則に従って、朝から細心の注意を払って登校しているのに。ショックのあまり、その日は、小さな声で

「染めていません。地毛です。」

としか言えませんでした。

その後、他の先生からも指摘されることがあり、親にも相談しました。私の両親は、もともと色素が薄い家系ということもあって理解をしてくれ、

「そんなことを言うなんて信じられない。絶対に黒に染めなくていい。」

と言って、守ってくれました。

今だったら、

「私の地毛が茶色いことで、誰かに何か迷惑をかけていますか?」

と言いたいけれど、そんなこともし当時言っていたら、さらに問題児扱いされたかなとも思います。


2、アメリカの小学校での教え

アメリカでは、そのような容姿について言及するのはどんな場面でも大変失礼とされています。もし褒めているつもりでも、

「顔が小さい」 「鼻が高い」 「肌が白い」

などと容姿のことを言うのは、その人にとって当たり前なので褒め言葉にはならないし、相手に失礼なので、多民族国家では人種差別者だとも捉えられかねません。

アメリカの小学校では、子どもたちが自分のこと

「私の肌はブラウンだからね…。」「お母さんに似て髪がくるくるなの。」

と教えてくれることはありますが、「それは変わっているね。」と指摘する子は一人もいません。みんな、うんうんと頷いて聞いています。なぜなら、小さい頃から人それぞれ、容姿や考え方が違って当たり前ということを理解しているから。そして、それを自分のものと比較したり1つの価値観に合わせようという考え自体がありません。店頭に並ぶマネキンのサイズや広告のモデルの体型や肌の色も、もちろん多種多様です。

「I like your smile!」「I love your hair!」

と人の容姿について、自分はどう思うかという意見を伝えることはありますが、肌や髪の色や体型で人をジャッジすることは絶対にしてはいけないと教えています。教員も、もちろんそんな容姿のことを気にしている人は皆無ですし、子どもたちには「もって生まれた容姿を大切にすること」を伝えています。


3、多様性を受け入れて

どちらの国でも働き・暮らしてみて、やはり日本にいる時の方が人への容姿に対する関心が高いなと感じます。特に公立学校では、中学校くらいから校則が厳しくなって、人との見た目の違いに目を向けるようになる気がします。

「服装の乱れは心の乱れ」

という言葉を、学生時代に聞いたことがあります。(今もあるのでしょうか…?)

今、子どもと関わる仕事をする中で、本気で子どもたちのことを考えている人なら、服装なんかで見なくても、その子の表情や言動、声色で「今日は元気がないな。」「何かあったかな。」と気付けると思っています。むしろプロならば気付けるように関わるべきだと思います。


仲良しのハーフ(ダブル・ミックス)の友達は、大学生になってからも髪の毛が明るい茶色だったので、就職活動の時に教授から言われて、髪の毛を黒く染めたと言っていました。私は彼女の栗色のウェーブヘアーが大好きだったので、それを聞いてすごく悲しかったですし、そんなことをしてリクルートスーツを着て、みんな同じに見せないと仕事をもらえないことに、もはや恐怖を感じました。

※ちなみに、アメリカでも一応就職活動でよいとされる服装はあります。

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決まりはありませんが、基本的に清潔感のある服装です。日本よりも多様・カラフルですし、個性が出ますよね。アメリカは、地域にもよると思いますが周りの目を気にせずに自分の好きな服を着る人がほとんどです。日本では、教員がジャージを着ているイメージでしたが、アメリカでは(体育担当でなければ)ミニスカートを履いても、アクセサリーをしていても、もちろんOKです。(ちなみに、私は左から2番目の服装に近いノースリーブのワンピースでアメリカの小学校の面接試験を受けました。)


4、これから大切だと思うこと

生まれもった容姿=表面 < その人の内面=努力する姿勢や態度・性格


というふうに、日本の教育現場でも多様性を大切にし、「○○だから××の恰好をしなければならない」などと人の容姿や、見た目のルール(校則・規則)にばかりに気を配っていないで、もっと内面・本質を見ていくべきだと思います。


これから社会に出ていく時に、服装がみんなと同じかどうかよりも、自分で考える力、周りの意見を聞く力、自分の意見を伝える力の方がよっぽど大事なはずです。島国とはいえ、これから色々な国で活躍する子どもたちを育てるためにも、もっと人との違いや多様性を受け入れる重要性を伝えていく必要があると感じています。

今は、もしかしたら、私が中学校の頃よりもずいぶんと理解が広まっているかもしれません。国際結婚や移民が昔よりも増えているでしょうし、むしろいい方向に変わっていてほしいと強く願います。日本人の私でも、周りとちょっと違うだけで苦しい思いをしたので、どんな人でも自分の一部(しかも変えられない)容姿のことで判断されるのは、たまったもんじゃないと思うのです。


「みんな一緒」なのは安心かもしれませんが「その子の個性や良さ」をどんどん曇らせて、ストレスになることもあるのではないかと心配になることがあります。アメリカの小学校で容姿を気にせず、のびのびと成長する子どもを見て、自分が学生時代に感じたことを思い出していました。もちろん、日本やアメリカに限らず、世界中で見た目や生まれもった性別で判断・差別される場面はあると思いますが、

「この色は女の子らしいね。」「男の子に人気の遊びだね。」

という言葉も、使わないように気を付けています。誰がどんな色や遊びが好きでもいいと思うから、そしてこれからも「自分の生まれもったものや自分が好きなことを大切にすること」を子どもたちに伝えていきたいと思っています。


最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。今日も素敵な一日になりますように!

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