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「資格社会」をどう賢く生きるのか

「『生徒よりも講師募集のほうが人が集まる』ヨガインストラクターの労働実態』#生活危機という以下の記事を見た。

2020年、オンラインで、その後2022年にインドのリシケシュでRYT200の資格取得をした身からしても、「そうだろうな」という印象。そもそも、ヨガ講師の資格って、資格を取得したからといって、すぐに仕事になるかというと、そもそも生徒がいないところで仕事は生み出せない。これだけオンラインでフリーのヨガが受けられる環境で、需要がないという単純なビジネスの仕組み。

「資格取得は趣味の延長だったが、せっかくなら学んだことを生かしたいと思ってインストラクター募集を探した。」

同じ女性の身からしても、この考え方は痛いほどわかるし共感もする。「資格取得は趣味の延長」「学んだことを生かしたい」。でも、同時に、「資格ビジネス」で成り立つスタジオの状況。

「ヨガのレッスンの受講料は1人1回3000円程度で、この20年間変わっていません。一方で、インストラクターを養成するティーチャートレーニング(TT)は、1人契約すれば数十万円(の受講料収入)が保証される。スタジオとしてはTTをやったほうが効率がいいので、資格対応トレーニングを行うスタジオがどんどん増えて、求人に対して先生が増えすぎてしまった。ヨガ業界そのものが“資格ビジネス”で成り立ってしまっているところがあります」

これは、実はインドのリシケシュでも同様のことが、既にずっと前から起こっていた。そもそも、ヨガという哲学は、西洋が「ビジネス化」するずっと前から、この地に根付いていたもので、スタジオという考え方も、無理やり暖房器具を使いホットヨガにする構想も、一切必要無かったものだ。

アシュラムで、とにかく自分と自然と向き合う。それが、体現化され、具現化され、教科書にされ、資格として確定された社会。

そもそも、この資格取得が、オンラインでのみでも完結できるようになっていること自体がおかしいと思う。私自身は、オンラインで一度取得したものの、リシケシュまで足を運んで実際現場で学んだ。

この、「現場主義」は、自分の中で徹底したくて、なぜなら、ヨガの資格取得ということが最終の、唯一のゴールではなくて、その過程で、実際にリシケシュという場所の街の人々との交流、カフェを経営する人々の想いや、寺院に宿る歴史や物語を肌で感じたかったから。そして、何よりも、世界中から集まった仲間たちとの何気ない会話、時に哲学、時に人生の物語やキャリアとのバランスに藻掻く姿が、とてつもない価値を生み出し、今の自分を形成している。

自然摂理に沿ったものであるはずなのに、女性インストラクターが生理中もインストラクターとしてヨガ講師勤務をし、健康リスクをかかえてまで働くというよくわからない構造になっている現状。当然、契約内容の見直しや環境整備も必要であるけれど、本当に向き合うべきなのは、対価を支払わない、または労働環境が悪いスタジオなのではなく、自分の役割(仕事)の需要があるところに、自分ができる役割で貢献すること。

単純に、今自分がいる場所は、自分の役割が生かせない環境にいるのでは?
自分の知識や経験は、需要に応じた対価を提供できているのか?

と、振り返るスキルも必要だと私は思う。

資格社会で簡単に手に入るスキルは、簡単に失うという現実と向き合う必要もある。

「例えば報酬にしてもこの20年下がり続けていて、バブル期には1レッスン1万円だったようですが、今は3000円から5000円くらい。専業で食べていくのは簡単ではありません。にもかかわらず、団結して問題を訴える文化がない」

この点も、「問題」というよりも、単に需要が無いところで藻掻いているだけだとも思う。こればかりは、例えば最低賃金を上げろと訴えたところで、自分か、環境を変えない限りは、根本的な問題は解決しないのと同様に。

私が知る限り、とても賢く生きていると感じたヨガ・インストラクターがいる。大手の学校やスタジオで働くのではなく、完全にコミュニティをつくることから始めた、静岡県の海辺沿いで、それも古民家の中でヨガを教えている先生。

自分が住む、半径100mの人々から始めて、今はむしろヨガ自体は、みんなが集まる手段になっている。それでも、無料体験から始めずに、初回の人にも500円なり1000円なり、お金をしっかり取っている。少人数に絞り、生徒の動きをよく洞察されて、良いタイミングでサポートの手を入れる。それは、ヨガをしているときだけじゃなくて、全てLineでコミュニケーションを取られていて、いつも身近に感じた。

それなのに、スタジオでよくありがちな、体験が終わったあとにしつこく「通った場合、どのくらいかかるか?交通手段は?住所は?仕事は?」と聞かれることもない。とても、居心地が良い環境であった。ニッチなところに手が届く、良いビジネスモデルでもあった。

正直、日本でも、ベトナムでも、あとインドでもヨガに通う身と簡単に教える身からすると、「体験」であれだけしつこく個人情報を求められるのは、日本の特徴だと思う。

ヨガ教室が溢れる日本社会で、正直、最初なんてどこも一緒なんですよー!

体験しないとわからないこともあるのに、最初っから「本気の通い度」を聞かれても、尻ごみするし、行くのが面倒になる。あと、むしろ設備が整いすぎて(変に女性客へのアピールがどこかズレていて、個室の化粧直しテーブルとか、シャワールームの設備の良さとか、発汗作用があるドリンクとか、化粧品グッズの豊富さで競っている印象)、気軽にヨガを学んで、気軽に帰りたいのに、その環境すら用意されていない。

「賢く生きる」

つまり、自分の知識、経験、技術のレベルを客観的に見て、社会の(変わり続ける)需要と照らし合わせ、どの環境、どのターゲット層であれば、自分が生かせるのか。ようは、稼げるのか。

特に「ヨガ」といった、哲学的、マインド的、ライフスタイル的要素をもったものに対しては、完全なる論理的、ビジネス的、数値的思考が必要だと思う。そして何よりも、環境と相手を知ること。相手の課題を知り、自分はどう貢献できるのか、そうすると、間違ったところで無駄な労力を使わずに済むんじゃないか、と、資本主義社会に埋もれたくない自分は、ふとそう思った。


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