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万人受けしないって苦しい、寂しい、でもそれが私

私は空気を読む達人です。
それと同時に空気を読みながらそれをぶち壊す達人でもあります。
(まあ主観なので間違ってることは多々ありそうですが)

空気を読んで、「あ、今私ここにいない方がいいな」と思ったら秒で消えるし、
逆に、明らかに私が失礼な扱いを受けている場では「今私にこういうこと言われたくないだろうな」て時に実際に発言して場の空気を乱して嫌がらせすることも多々ありました。
(性格悪いコミュ障ですよな)

今、私は一生懸命自分を開示しています。
(もちろん開示する場所は選んだ上で)
で、分かったことですが、私って浮いてる。
一つのお題に皆で回答していくのですが、その回答が、皆結構同じような結論を違うエピソードで書いているのに、
私だけすげえ浮いてて、まるで簡単な問いに対する誰もが分かるような答えに辿り着けず見当はずれな回答をしている出来損ない…なんじゃないかという恐怖に足がすくむ、、みたいな状態です。
私は今まで、自分の真実を話すと、「難しく考えすぎ」「こだわり強すぎ」「繊細すぎ」「めんどくさい」「気難しい」とか言われてきました。今でも印象的にその言葉たちを思い出すことができます。
変だし、オーバーすぎるよ、さすがにめんどい、だるい、うがった考え方、素直じゃない、みたいな。
だから、なるほど私が考えてることを開示するのは私にとってデメリットが大きいことなんだ、
(人に傷つけられること言われるし大体の人が嫌そうな顔するから)
私ってめんどくてこだわり強くてだるいんだ、と思って控えめに生きてきました。
っていうこともあったので、まあ、実際浮いてるなーということを目の当たりにしてまあそうでしょうなと思いつつ、でもちょっと悲しかったんです。
私だけ間違っていると言われているような、私だけ見当違いだと言われてるような、
のけものにされている感覚を強く感じました。
でも、同調は出来ないししたくない。
となると、私が再び「黙る」ことを選択するのは自然な流れだし、非常に簡単です。

ただ、ここで黙った先に待っているものを、私は既に知っています。
私にとって黙ることは自殺と同じです。
黙った先に幸せが無かったことをもう知っているのです。(私、こう見えて来年30なので、、)
だから辛くても、のけものだと感じても、発信し続けようぜ兄弟、と自分と約束しました。

昨日そのことを友人に打ち明けてみました。
そしたら、他の黙ってる人は、発言してるあなたのことを見ているよ、と、言われました。
発言してる私を、変だと思う人もいるかもしれませんが、共感したり、そこから勝手に何か思ったりしてくれてる人がいるかもしれんよ、ってことです。
つまり、あんたは一人じゃないよ、と。
それがどれだけ心強かったことか。

人はもちろん全員孤独ですが、ひとりぼっちと孤独って違うと思ってて、
(その違いについて書き始めるとこのnoteの重さやばくなるので控えます)
私が今感じている、「ひとりぼっち」じゃない状態いうのは、私だけおかしくて私だけ変なことを考えてる訳ではない、ということを理解するということです。
人と同じになりたいとかではなく(そんなことは誰もが無理)、同調したいとかではなく、
私の言葉を受け入れてもらいたい、ということです。
私の話は暗すぎる、とか、めんどすぎ繊細すぎ拗らせすぎとかじゃなく、そういう考え方もあるよねって言ってもらいたかったのです。誰かに。

だから、昨日は友人達に救われたような気持ちになった夜でした。
ありがとう、最高でした。エモくて泣けました。

さて、このように私は万人受けをしない、ということが判明し、その事実を痛いけど受け止めようとしている状態、が今の私です。
万人受けしない、というかまじで私を受け入れてくれる人は少ない。
だからきっと、オーディション番組では間違いなく見向きもされないし、ドラマに出たら間違いなく陰湿な悪役に抜擢されるでしょう。
明るいプリキュアには、私はなれないわけです。

この万人受けしないという苦しみを、これから上手に受け入れて、強みに変えて行けたらいいな。
そのために、自分が浮いてて、なんか変って思い続けること、それに慣れる訓練を続けていきたい次第です。

これを読んでくださってる皆さんはどのようにして、成長したいとお考えなのでしょう。
私のパターンは上記ですが、色んな人が見つめる「前」についての話も聞いてみたいものです。
ということでそれを見に無限のネットの世界へ行ってきますお母さん。


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