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やっぱり社会に馴染めない、正直それはめっちゃ寂しいことだけど、自分に無理させて潰れるより、自分を守る方がよっぽど大切だと思うよ。

先程スタバで急に咳き込んで鼻水と涙を大量に流しながら注文したのは私です。
店員さんテロかよ…て顔してましたね…
テロだよ!!!!すまんなテヘペロ!!!!!!

さて、社会へ馴染むことへのモチベーションについて書いていきたいと思います。
私は今年社会人歴6年目だか7年目だかになるのですが、
仕事を楽しい、と思った瞬間は生まれてこの方一瞬もありません。
これはたまにひねくれているとか、不貞腐れているとか言われるのですが、
そういうことではなく、正真正銘本当のことです。
(しんじてほしい)

今、転職活動をしているのですが、
もちろんこんな人間のままだとどの会社も雇ってくれるわけが無いので、
まともに見える工夫や、振る舞いに人一倍気をつける、という努力は長年続けています。
(ただ、その努力もあまり報われず、今のところ良い成果は出せていないのが事実ですが…)
そのため、世の中で上手く活躍出来る人とはどんな人なのか?
世の中に上手く必要とされる人はどんな人なのか?
ということを考えよう、
成功者に勉強させてもらおう、と一念発起しました。

そこで、私と正反対のタイプの、私のパートナーにインタビューしてみたことを書いていきたいと思います。
前提として、パートナーは「社交性が高く、素直」です。
ここが紛れもなく彼の一番の魅力であり、類まれなる才能です。
そのため、男社会で重宝されたり、上司にかわいがってもらいやすい、というメリットが発生しているようです。
反対に、彼の苦手なタイプは、理詰め系や個人主義的な風潮のようです。
(一体なぜ離婚しても私と何年も一緒にいるのでしょうか、謎すぎ)

彼は、仕事を楽しい、と言います。
(最初それを聞いた時、どこまでが建前でどこから本音なのか分からなくて何度も深堀りして質問しましたが、どうやら本音で思っている様子です)
もちろん、全ての瞬間が楽しいわけではないようなのですが、(ここはめちゃくちゃ安心ポイント)自分のやってきたことが形になったり、評価されたりしたら嬉しいと。(もうこの発言が素晴らしいよ)
その積み重ねで、会社で地位が上がったり、周りの人が信頼してくれるのが嬉しいのだそうです。(すごすぎる)

そして、彼は自分の仕事へのモチベーションを保つために、仕事選びや職種選びをものすごく吟味した、と言いました。
今彼の職種はプロジェクトマネージャー、つまり、一つのプロジェクトをゴールまで持っていくための総指揮官みたいな役割です。
元々営業だった彼は、キツイ目標を達成すればまた次のキツイ目標を課せられる…と言った終わりの無い地獄のような仕事のあり方に嫌気が刺し、
ジョブチェンジをしたんだそうです。
プロジェクトには終わりがあるから、達成感を感じれられるし、
今回のプロジェクトで感じた課題を次で潰せるように取り組める、自分もどんどん成長出来る、それが良いんだ、と言っていました。
(おめえまじですげえな、一緒に生きてきたのにどうしてこうなった)

これを聞いて、私は非常に感心した(感心してないでお前も頑張れ)のですが、
彼は仕事に対して非常に前向きなのだ、と驚きました。
残念ながら私の死んだ脳みそでは「!?」という感想しか抱けなかったのですが、
もしかしたら上記の彼の仕事に対する前向きさの保ち方や、仕事を楽しいと思う姿勢は、
社会で今まさに何か悩みを抱えている人にヒントになるのではないかと思い、書きました。

ところで話を私に戻しますが、
彼の話を聞いていて思ったのは、
私のような人間は社会で活躍する、ということに本当に向いていないのかもしれません。(とほほよ)
これまで、
どういう体験をしたら嬉しい、と思うものなのか、
と、上記で書いたパートナーの話だったり、ビジネスの場で活躍している人のエッセイなどを読み漁ってロボットのように
「こういう時はこういう風に思うのが正しいのだ」
と学ばせてもらって、それらをお手本に真似させてもらっていました。
しかしながら、実のところ最近それに限界を感じています。
誰でも最初は優れた人の真似から入り、だんだん自分のやり方を見つけていくものだ、と、自分を励ましてきましたが、
いつまで経ってもその「最初」から抜け出せない。
成長が無いのです。(とほほよ…)
いつまで経っても、自分のやり方などその先に見えず、ずっと社会レベル初心者のまま。
これは正直、地獄です。
社会に必要とされていないとハンコを押されているような気分ですし、
何よりやっぱり、他人が分からないから、思いやれないし、訳が分からない存在のまま。(とほほ…よ)


こういう性質なので、これまでずっと自分の殻に閉じこもる、という方法で生きてきましたが、(子供部屋おじさん)
他人がどんなもんか知りたい、ということで他人と積極的に触れるという努力をここ数年(4、5年くらいでしょうか?)続けてきました。
そこに学びはたくさんあったし、とても楽しかったですが、
そもそも自分が非常に苦手とする部分なので、その自覚を忘れてはいけない、
苦手なことを「頑張っている」という前提を忘れちゃいけない、と思いました。
自分に無理をさせては、本末転倒なわけですから。(そうだそうだ)


自分がめちゃくちゃ苦手だと思うことに、見切りをつける、
という覚悟を持つことも大切です。
じゃないと、苦しすぎます。
社会に馴染めないと、社会に必要とされません。
社会に必要とされないのに、必死にそこに食らいついていても、自分が嫌いになるだけです。
だったら、馴染まなくて良いのではないでしょうか。(うんうん)
別に皆が盛り上がっているところで、笑えなくて良いのではないでしょうか。
皆が「愛してる」と抱き合っているのを、全く理解出来なくても、
「愛」がどんな意味か分からなくても良いのではないでしょうか。
(尾崎豊にギターでぶん殴られそう)
それをそれで良しとすることこそが、私が私であるということなのではないでしょうか。
(生まれてきたのが令和でまじで良かったラッキーいや正しくは平成だけど)
皆と同じタイミングで笑えなくても、
皆が笑ってることが分からなくて、私が笑っていることが皆に理解してもらえなくても、
私が一人で笑えていれば、それで良いような気がしてきました。
別に誰かを殺したわけでもないし、
ただ私が変なタイミングで笑ってる、ただそれだけです。
(別にいいだろ)

少し私は自分に無理をさせすぎたかもしれないな、と反省しています。
自分の不得意なことを、やり過ぎるべきでは無い、と深く反省する機会になりました。

最後にめっちゃ余談なのですが、私が5年もの間続編を待ち望んでいた作品が今放映中なのですが、
それが来週で終わりでして…。
死にそうです。
来週の放送終わったらどうやって生きていけばいいんでしょうか。
失う痛みを皆さんどう乗り越えているんでしょうか…。


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