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自分にしか見つけられない幸せを追求できるのは自分、努力するもしないも自分

好きなことや夢中になれること、ありますか?って聞かれたら何て答えますか?
なんか最近始まったことではありませんが、好きなこととか夢中になれることとかが無いって残念、みたいなノリってありますよね。
夢が無いなんてダメだ!みたいな。
別にダメなこと何もなくない?って最近思う所存です。
当たり前ですが他人は他人、自分は自分、なわけで、夢があって幸せになる人もいるし、特段夢とか無いけど幸せって人もいますよね。
ダイエットとかと同じで、「これさえやっとけば2週間でマイナス5kg!」なんてことは無いわけじゃないですか。
「夢さえあれば幸せ確定!」なのではなく夢を持った人が幸せを感じられるようになったからその成功体験を他人に押し付けているのかもしれないし、もしかしたら心理学や哲学的観点からもいい、とされているのを鵜呑みにしているだけかもしれません。
つまるところ何が言いたいかというと、「絶対」は無いし「正解」も無いということです。
絶対に幸せになれる正解なんて誰も持ち合わせていないので、自分の思う道をいくしかない、めちゃくちゃ当たり前すぎて白目剥きそうなこと書いてしまいました。

それと同時に、一度好きになったものは、好きでい続ける努力をしないと離れていってしまう、ということを強く実感しています。
私にとって好きなことは、書くことだと自認していますが、好きなこととの距離感ってすごく大切だなあと思うのです。
というのも、めちゃくちゃ単純な例え話をすると、好きすぎて没頭しまくってたら体調壊してもうやりたくなくなった、とか、あるじゃないですか。
とか、やりたいことをやるために何かを我慢して自分を抑え込んでいたら好きだったはずなのにいつの間にかもうやりたくないに変わってたとか。
(純粋にスポーツを楽しみたいだけなのに部活とかの先輩の上下関係がクソだるくていつのまにかそのスポーツ自体嫌になってたとか)
漫画とかだったらあり得るかもしれませんよ、「俺はそれでも、〇〇が好きだから!」とか「どんなことがあっても、〇〇なしの人生なんて考えらんねえよ」とか。
いや、現実世界をサバイブする我々生身の人間は、一途に何かをずっと好きでい続けるという思考停止みたいな状態にはなれない、と私は思うのです。
だから、好きでいるためには、自分なりの距離を測ってみたり、用法容量を考えてみたりして、好きでい続けられるように努力することが大切だと思うのです。
もちろん中には、一心不乱にこれが好き!朝から晩まで365日やり続けられる!って人もいると思いますが、それはその人の才能であり個性なのでしょう、羨ましいことです。
つまるところ、「永遠」など無いってことです。
出来る限り好きな時間を伸ばせるように、努力や工夫が必要と、私は思う次第です。

とういのも、身近な人で自分が望んで入社した会社で、
「仕事楽しい!幸せ!」ってやっていたにも関わらず、
あれもこれもって任されて請け負っていたら毎日深夜(というか朝?)まで仕事漬けで「もう仕事無理」ってなった人がいるんですね。
好きで始めたことを、自分から嫌いになるわけにはいかない、そんなワガママ言えないし、なにより私はこれが好きな「はず」なんだっ!て思っていると、自分の中の違和感に気づけない(気づかないふりをする)と思うんです。
でも、
いや、体壊すまでやるなよ!!!!!!
(社内でSOS発信するなど周りに相談したらどうでしょうか)
辛かったら逃げていいんだよ!!!!!
やべ、間違えた!って認めていいんだよ!!!!!!
いくらだって、もっと君を楽しませるものは沢山あるし、間違えたら別の道を探すか別の方法を探せばいいだけなんだから!!!!!!
自分の違和感を無視しまくって感覚バグってしまうと、自分の幸せがまじで分からなくなって世間に正しいかどうかをジャッジしてもらいがちになります、私の場合。
その上で、世間で言う「正しい」状態だから私は幸せなはずだって思いたくなってしまうんです。
いや、幸せというものを世間は知らないし、幸せかどうかを知るのは自分自身だけです。
誰も我々の幸せになんか興味ありません、皆他人には都合よく生きて欲しいだけ。
自分しか自分の幸せを追求してくれる人はいないのだから、好きなものが特段無い状態が自分にとって幸せなら、世間の声ファックですねって言って幸せを味わっていればいいのです。好きなものがあるなら、その宝物と上手に末長く付き合っていけるようにあれやこれや努力すればいいのです。
(人間関係も同じことが言えると思います)

まじで明日死んでしまうかもしれないし自分の幸せを侵害してくるようなものは積極的に除外して生きていきましょうぞ。
し、し、し、幸せに、なろうぜえ。

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