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生態系から切り離された街で生きる私が今、さらに考えていきたいこと 【「狩猟始めました 新しい自然派ハンターの世界へ」(安藤啓一・上田泰正 著)】前編

私はなんて無知なんでしょうか!
頭を鈍器でぶん殴られた想いで「狩猟始めました 新しい自然派ハンターの世界へ」(安藤啓一・上田泰正 著)を読み終えました。

本書は、東日本大震災によって放射能で汚染されてしまった広大な土地や川、海をきっかけに、食料品の流通がブラックボックス化していることに気がついた著者が、
命をいただく、ということに関わりたいという気持ちで狩猟を始めた経緯、その想い、ノウハウ、経験について書かれたものです。

まず初めに、私は動物をなるべく食べない(外食時のみ食べる)、動物由来の素材を使った製品をなるべく買わない、を心がけています。
環境問題の観点からしても、動物愛護の観点からしても、ヴィーガンというライフスタイルは私にとって理想的でした。
(実際ヴィーガンからは程遠いですが…)
幼い頃、台所で夕ご飯の支度を手伝っていた時、「鶏肉を切って」と母親に頼まれました。
でも、その生々しさや、
小学校で生き物係を務めるなど小さい頃から動物が大好きだった私には、
抵抗感がどうしても拭えませんでした。
その時、見かねた母に言われたのが、
「そんな綺麗事ばっかじゃ、生きていけないよ」
でした。(お母さん厳しいのう…)
大人になった今、ヴィーガンという考え方が普及してきて、私はこれだ!と思いました。
動物を殺さずに生きていく、これこそが私の求めていたライフスタイルだと。
ただ、私がそれを心掛けたところで、世界に視線を向けた時に、問題は解決しそうにないな、と思うのも事実です。
(もちろん、小さな個人の力が集まって大きな影響力になる、と信じてはいますが)
というのも、食肉を必要としたり、文化として残していきたいと考えている人たちもいるわけで、そういったものを否定するのは、何かが違う気がする。
また、肉の代わりに大豆農場が広がったら、パームやしのようにそれもまた環境を破壊することに繋がるのではないか、という懸念も拭えません。
また、人間は動物を殺す以外にも様々な方法で傷つけている…動物園や水族館、サーカス、ファッション…色んな場面で生きるためではない、娯楽のために命が消費されていることに違和感を感じます。

本書を見つけた時、激しく興味を持ちました。
多分これを書いてる人は私とは違う視点で、動物や自然界に対して慈しみの心を持っている、と感じました。

狩猟とは、つまり、動物を捕獲したり殺生することです。
狩猟の役割については、下記記述がとても参考になったので、引用させていただきます。

我が国では、かつては狩猟は趣味・娯楽の一環として理解されていました。 しかし、現在では、ニホンジカ、イノシシなどの生息数の増加により貴重な自然環境や農林水産業に大きな影響(被害)が及んでおり、その個体数調整(管理)の必要性が増大し、 「野生鳥獣の保護・管理の担い手」としての狩猟者の社会的役割が増大しています。
また、クマやイノシシなどが生活域に出没し、住民の安全を守るための捕獲が増加しています。野生鳥獣の捕獲ができるのは狩猟者だけであり、今や狩猟は、社会貢献の手段の一つとしても位置づけられています。
(中略)
狩猟者は、地域の自然環境に精通していることから、「自然のモニター」として野生鳥獣の調査に協力することも大切な役割です。 また、野生鳥獣の生命を頂く以上、捕獲の時に極力苦痛を与えないようにするとともに、捕獲した鳥獣の有効利用に努めることも重要です。

http://j-hunters.com/intro/charm.php

そして、実際の狩猟体験は強烈なものであることが、記述を通して痛いくらいに伝わってきます。

鹿には、まだ息があった。
それは追跡してきた狩猟者に気づいて立ちあがろうとしていることから、遠くから見ていても分かった。
(中略)
ついに鹿を仕留めたという興奮は長くは続かなかった。
倒れた牡鹿を見つけて小さくガッツポーズをしたときの達成感は、自らの手で命を奪うという一線を超えてしまったことのショックに変わった。
自分が止めた命に責任を果たさなければならないという思い空気に包まれていた。

「狩猟始めました 新しい自然派ハンターの世界へ」(安藤啓一・上田泰正 著)

それにしても、なぜ動物を殺す狩猟が、動物保全と紐づくのだろう。
私は恥ずかしながら無知すぎて、あまり腑に落ちずにいましたが、下記記述を読んで、自分の浅はかさに気がつきました。

知識が少ないと、「殺すなんて可愛そう」という情緒的な感想しか出てこない。
この一面的なとらえ方では、人間と動物の距離は縮まらないだろう。
ところがそれが、野生動物や狩猟について知るほど、多様な気づきが出てきて、野生動物と人間がどのように共存していけばよいのか、具体的な考えが出てくるようになる。
そして野生動物との心情的な距離は近くなり、慈しもうという保全の思いも強くなっていく。

「狩猟始めました 新しい自然派ハンターの世界へ」(安藤啓一・上田泰正 著)

そして先ほど私は動物を殺さずに生きていく、これこそが私の求めていたライフスタイルだ、と書きました。
でも私は一見、動物を殺さない、動物を使ったビジネスに加担しない。
でも、野菜を作る流れの中で、野生動物は害獣となりうるし、野菜を守るために、多くの虫や動物が殺されていくのもまた事実なのです。

「乱獲を心配する声はあるけれど、狩猟者は野生動物を獲り続けたいから、森の生態系を保全していくことを考えます。
野生動物が農作物を食い荒らす被害を受けた農家さんのなかには、鹿や猪を地域から絶滅させたいと思っている人もいて、この考えの方が心配です。
農業では多くの虫を殺しています。
けれど農には殺生とは無縁の美しいものというイメージがあって、これは変だ」

「狩猟始めました 新しい自然派ハンターの世界へ」(安藤啓一・上田泰正 著)

動物由来の素材が使われた製品は買わない、お肉を食べない、だけでは見えなかった事情が見えてきて、ううう…と唸ってしまうような思いでした。
私が望むのは、動物が人間の生活によって傷つけられない事、やむを得ない場合以外、命を奪われないことだったはず。
やはり、自分が理想とするライフスタイルを本気で目指すなら、食のブラックボックスを自分で紐解く必要があるのだ、ということを痛感しました。
食べるため、でも娯楽のため、でもなく、人間の生活を守るために動物が殺されることだって、たくさんある。
でも、人間は、野生動物の生活を脅かし続ける。
人間の生活のあり方を見直さなければ、野生動物を本当の意味で保全することは出来ないのではないか、という考えが私の中で芽生え始めました。

「生活のあるところで、野生動物との共生は無理だと想います。
私が目指すのは、動物と人間の棲み分けです」
狩猟によって田畑に出てきた動物を追い払ったり捕獲することで、野生動物と人間の、それぞれの生活圏に境界を引くようなことができないだろうかと考えている。
そして狩猟を通じて他所の人たちが交流していく地域づくりを仕事にしていこうとしている。
狩猟免許はそれを実践するためにツールとして取得した。

「狩猟始めました 新しい自然派ハンターの世界へ」(安藤啓一・上田泰正 著)

※既にとんでもない文字数ですが、後半に続きます…。


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