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知らない人と、知らない場所で、知らないうちに、生きていく【高山なおみ「日々ごはん⑥」】

高山なおみさんの日々ごはんが好きです。
高山なおみさんは料理家なのですが、執筆活動も料理と同じくらいされていて、多方面で活躍なさっている方です。
日々ごはんは高山さんの日々の日記なのですが(今現在も続いています。)、その素朴さや飾らなさがたまらなく良いです…。
(大人気なので続編もあるほどめっちゃ長いんですが、もったいなくて一日分ずつ味わうように読んでいます)

今回日々ごはん⑥を読んでいて、あまりに素敵な表現があったので、思わず今これを書いています。
ここ数ヶ月ずっとエヴァとかエヴァとかエヴァにハマっていたので、「自分」とはなんぞや「他人」とはどう付き合って生きていけばいいんや自分の在り方ってなんなんやと考えるなどおセンチっぽい気持ちが続いていました。
高山さんは自分の在り方について、「自分がなくなることの喜び」という考え方を持っています。
(私の小物感がすごい)
(以下「日々ごはん6 あとがき」より引用しています。

去年の暮れのある日、公園を散歩していて、自分のやりたいことをふと思いつきました。
やりたいことというより、在り方でしょうか。
「自分がなくなるほど自由になりたい」
自分の心の中の本当とか、気持ちのままにとか、子供のころからずっとそういうことばかり大事にしてきました。
でも、たとえば誰かと気持ちが一体化した瞬間の無我夢中の幸せとか、自分がいることを忘れてしまうくらい、景色の中に溶け込むのを感じた時とか、はち切れそうな季節の野菜の下にもぐりこみ、自分をなくすることで生まれる、料理の臨場感だとか。
自我をとび越えた時に感じる、果てしない自由さのことを思うのです。
皆が喜んでくれているのを感じながら、台所にこもってガンガン料理を作るのも自分がなくなること。
(中略)
私の料理を誰かが作ってくれ、それを食べた誰かが喜んでくださるというのも、自分がなくなることの喜びのひとつだと思ったのです。
すでに私のレシピを越え、会ったこともない人たちが、その手と指と感受性を使って料理を作ってくれるのです。
そこには(中略)料理を作った彼女のひとり暮らしの部屋、盛りつけられた器、友だちや、仕事、すべてが絡まっているのです。

最近本当に思うのですが「誰かに何かを伝えたい」と思っている人って世の中に沢山いると思います。
もちろん、こうしてせっせとnote書いてる私もそうです。
これをたまたま読んだ誰かがちょっとでも元気が出たり、ちょっとでも笑ってくれたり、ちょっとでも居心地がいいと思ってくれたらいいなって思っています。
そんな気持ちを、沢山の人が持ってると思います。
そして高山さんは素直にそれをレシピや料理に込めて、発信して、自分の一部が誰かに寄り添ってまた誰かの一部になってゆく様を幸せに見つめている。
自分の発信が、誰かのものになってゆくなんて、発信した側からしたらもう最高に嬉しいことじゃないでしょうか。

何かを成し遂げたくて成し遂げられなくて「ワイってこんなもんなんやな〜」と思いながら生きていくことこそが「老いる」ということなんだとしたら、高山さんのように発信し続けることこそが「生きる」ということのような気がしてきます。
発信には痛みも伴います。
特に今はデジタル社会なので、知らない人から謎に「私殺人でもしたっけ」くらいの罵詈雑言を浴びせられることもあるでしょうし、高山さんだって、作った料理に文句を言われたり、自分の意図と違った形で商材化されてしまった悔しさなども語っています。(ソースは日々ごはんです)
でも、発信したからこそ、その先に見える喜びが、発信者のみぞ知りうるものなのです。
つまり何が言いたいかと言うと、発信したいことがあったら恐れず発信しましょうやということです。
この「発信」という言葉は、必ずしもnoteでコラムを描きましょうとか、SNSで世の中に向けて何か発言しましょうということではないです。
家族に話しかけるとか、街中で知らない人を気遣うとか、社会人サークルに入ってみるとか、そういう些細なことでもいいんです。
大切なのは、どこかに向かってきちんと発信すること。
自分はどう思っているのか、どんなものが好きなのか、困っている人を見てどう感じるのか、誰にわかってもらえなくとも、発信することで、自分自身が開けてくると思います。
そしてもし誰かから反応をもらえたら。
そんな嬉しいことはありません。でもそれは豪華なオマケです。
自分自身が、自分自身のために、自分を知るために、発信することが、外に開けていくことが大切なんじゃないかなあと思います、
そしてそれと同時に、自分の発信が、知らない人の元に届くことって、自分は知らずとも、多々起こり得ていると思います。
自分の知らないところで、知らない人と、自分の一部が生き続けていると思うと、なんか、この先孤独になった時に自分を救ってくれるんじゃまいかと思えるような気がします…。

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