夢見ていたその瞬間が訪れた時、本当に楽しめる自分になれているか(「モモ」を20代OLが読んで思ったこと)
特殊なこの状況になってから、もうすぐ1年が経とうとしていますね。
(今年ももう10月後半ですよ?4月くらいから時が止まってるような気がします…お花見とかしてないし涙)
旅行どころか、外出も以前のように気軽なものではなくなって、家に閉じこもる時間が多かった今年、退屈すぎて秒で死ねると思った人もいらっしゃるのではないでしょうか。
少なくとも私は退屈すぎて頭いきかけてました。
危険(?)極貧海外旅行大好き人間にとって、なんてクソみてえなウイルス発生してくれてんだよ退屈で死にそうだわと激しく思わざるを得ない1年でした。
でも、冷静に考えてみるとそもそも「退屈」って、なんだか情けなくて寂しい状態ですよね。
毎日定時後の楽しい時間を夢見て仕事してるくせに、やっと自由時間だ!と思ったらソファに寝っ転がってスマホながめてる…あー暇みたいな。(しかも目的があって眺めているならまだマシだけどなんの目的も無いのにただ意味のないネットサーフィンをしてる…)
そんな経験ありませんか?私は全然あります…。
そんな「退屈」への恐怖を描いたモモ(ミヒャエル・エンデ著)のお話の中には、’時間泥棒’というものが存在します。
おしゃべりや人付き合い、仕事や恋を自由きままに楽しむ大人達、遊び道具が無くても想像力を働かせてのびのび遊ぶ子ども達、そんな人達で生活する町に、ある日灰色の男たち(時間泥棒)が現れ、
今の生活にどれだけ無駄があり
今の人生がどれだけ無意味に消費されているか
を人々に説きます。
そして最終的には人々に「時間を節約する」ことを提案し、人々が節約して出来た余分な時間を全て自分達のものとして奪ってしまうのです。
いやこの灰色の男何者だよと思うと思うのですが、こいつらは何者でもないものなので、時間を吸っていないと死んでしまう、とにかく時間だけを求めてさまよう亡霊みたいなものらしいです。
(解釈間違っていたらごめんなさい)
時間を節約し、より効率的でより充実してるっぽい生活を求めるようになった人々は怒りっぽくなり、幸せを感じられなくなります。
そんな人々から時間を取り戻し、また人々の人生に幸せを取り戻すために少女モモが頑張りまくる、というのがおおまかなあらすじです。
そもそも私達はどうして働いているんでしょうか…。(おきまりの突然攻撃)
当たり前のように生活のため、だと思うのですが、その他に旅行とか楽しいことをしたいから、とか、色んな答えがあると思います。
でも、ここで大きな疑問が頭から離れないのです。
その「いつか楽しむ」が叶った時、本当に楽しめるのでしょうか。
私は、「楽しむ」ことが出来る人間なのでしょうか。
例えば、長くお勤めされたお仕事をリタイアされた方が、突然何をしたらいいか分からなくなり、鬱になってしまうことがあるように、実は我々は楽しくもなんともない(楽しいと思えている人はすみません)仕事に支えられているのかもしれません。
なんとなく前に進んでいる感じするし、お金稼いでるから無駄じゃないし、正しい生活をしているような気がするから。
「退屈」よりはまだマシだから。
今頑張れば、いつか楽しくなれるはずから。
でも、その「いつか」がやってきた時、何をしたらいいかわからなかったり、数時間で飽きてしまう自分が容易に想像出来るのです。
情けないし本当に悲しい事なのですが、「何をしてもいい時間」に何をしたらいいのか分からないのです。
だから、そんな自分をごまかすように仕事して、スマホいじって、を繰り返して結果「は?」(雑な感想)みたいな人生になってしまうのが私の人生のオチかも…と思う時があるのです。
そう、もはや私も既に灰色の男すなわち時間泥棒と同じなのかもしれません。
作中で時間を司るおっさんが以下のように語るのですが、それがもはや自分そのものなのです。(一部省略したり要約しています)
「はじめのうちは気のつかない程度だが、ある日急に何もする気がしなくなってしまう。
何についても関心が持てなくなり、何をしても面白くない。
だがこの無気力はそのうちに消えるどころか少しずつ激しくなってゆく。
気分はますます憂鬱になり、心の中はますますからっぽになり、自分に対しても、世の中に対しても、不満が募ってくる。
そのうちにこういう感情さえなくなって、およそ何も感じなくなってしまう。
怒ることもなければ、感激することもなく、喜ぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くことも忘れてしまう。
そうなると心の中はひえきって、もう人も物も一切愛することが出来ない。
この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。」
皆孤独と退屈が怖い、だからお金を使って時間を使ってその恐怖から逃げ続ける。
私もそうです。
家に1人でいるのが退屈なような気がして、耐えられなくなる時があります。
お金を使ってわざわざ美味しくもないドリンクを頼んでカフェに籠る。
時間がたったら家に帰って、なんともすっきりしない満足感とともに帰宅して、また満たされない気持ちになるのです。
この現象がこの特殊な1年の間にますます多くなりました。
この特殊な1年が生み出す「何をしてもいい時間(ただし旅行みたいなお金を使って楽しいっぽい時間を生み出すサービス業は利用が限られる)」が大量に溢れるこの状況で、今の私の正体が暴かれたような気分です。
また、別に家にいてくれたって何か一緒に面白いことをするでもないのに、恋人や家族がなかなか家に帰ってこないと、なんだか気に入らないなあと思う時があります。
別に誰が家にいようが、退屈が解消されるわけでも無いのに、「寂しさ」や「退屈さ」をどう解消すればよいのか分からず、いらだちや焦りが募り、関係の無い相手に怒りをぶつけてしまうのです。
世も末かよ。
じゃあ退屈から逃れるためにはどうしたらいいのか?
私が思うに、当たり前なようですが、「まず何より自分のことを根堀葉掘り知る」ことが重要だと思います。(あくまで私の意見です)
自分は何をしたら楽しいのか、どんな時間を心地よいと思うのか、どんな音楽が好きなのか、
それを日々意識することが、何より大切だと思います。
つい、仕事や、やらなくてはいけないことに意識が向きがちですが、必ずわたし、わたし、わたし、に戻って、私のことを知ること。
そうして自分のことを少しずつ解読し、その「好き」の方向を向くと世界は開けてきます。
その世界に飛び出してゆけば、おのずと、「自分」と「豊かな時間」を取り戻すことが出来るのかなーと思います。
あの、他のnoteでもよく書くのでそろそろキモいよと思われても仕方ないと思うのですが、ナルシストは最高だと思うので、ナルシストになることは人生を楽しむ方法じゃないかと思います…(控えめ)
自分を楽しんで、人生を楽しんで、退屈すらも楽しめたら、万々歳じゃないでしょうか。
(楽しんだらもはやそれは退屈ではないですね)
…なんてことを考えて仕事を一切しなくなるのでした…。
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