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自分に対して真摯でいようとする気持ちを諦めない自分でいたいのです。 【「真夜中の独りごと」(瀬戸内寂聴 著)】

自分の欲望を優先して、他人を傷つける人を、世の中では「悪人」と呼びます。
(呼ばないかもしれませんがこのnoteでは一旦そのように定義します)
でも、「悪人」こそが、自分の最上の幸せや、喜びを追求しようとする、自分に対して最も誠実な人間なんじゃないかな、とも思うのです。
(その代償として、多くの人が避けて通るべきとする耐え難い苦しみを、味わざるを得ないとも思うのですが。)

瀬戸内寂聴さんの「真夜中の独りごと」を読みました。

寂聴さんの書かれた作品を読むのは初めてで、メディアで見る印象は、ズバズバ思ったことを言う、裏表のある人だなあ、でした。
この本も、もうそのまんまでした。
寂聴さんも冒頭で書いているのですが、この本は寂聴さんが外に出すために書いたものではなく、
個人的に書き溜めてきた日記をそのまま書籍化して出版したものだそうです。
(日記というのは至高のエッセイですよな…)

中でも、下記の強烈な記載が目に留まりました。

女性解放運動の闘士として名高いシヅエさんは、サンガー夫人にアメリカで逢って以来、産児制限をとなえて、獄に入れられてもその運動を貫き通している。
「自分の性生活をコントロールする方法を知らなければ、女性は自分自身を解放することはできない」
というサンガー夫人の考えに共鳴して七十年以上もその運動をしつづけた人の生涯は、もっと若い女性たちに知らせるべきだと思う。
一番印象に残ったのは、三十九歳で再婚したタキさんが四十一歳で男子を出産した話。
シヅエさんも再婚でタキさんを産んだ時は四十八歳だった。
親子揃っての高齢出産である。
タキさんの産んだ子は、シヅエさんの九十歳の初孫であった。
タキさんが現在御主人を好きになった時、妻子のある人だったので悩んでいるとシヅエさんがあっさり「取っちゃえばいい」と言ったそうだ。
シヅエさんが病院ではじめて初孫を見た時、最初に発したことばは、
「この子は早く人生の苦しみを味わえばいいね」
だった。タキさんが驚いてそれはあんまりだというと、
「そうではない。人は年をとって不幸にあうと、それに打ち勝つ力はない。苦しみや不幸は若いうちに味わった方が、それを克服することが出来、立ち直れる力が湧くのです」
と言ったそうだ。
生まれたばかりの初孫に向かって、こういう感想を抱くシヅエさんに感動する。

「真夜中の独りごと」(瀬戸内寂聴 著)

「何が自分にとっての幸せなのか」を追求し続けた人から出た言葉の重みを強く感じました。
これは、未熟な女性が不倫して、「誰かのものなんて取っちゃえばいいじゃん」と言ってるのとは訳が違う。
(ここで言う未熟と言うのは、単に若い、という意味ではなく、自分の欲求を真摯に追求したことがまだ無い、という意味として未熟という言葉を選んでいます。なので、若くてもそれを経験している方はいると思うし、大人であってもそれをあえて経験しないように避けてきた方もいると思うし…ということで未熟という言葉を選びました、あの、すんません)
自分の幸せのあり方と真摯に向き合ってきた人が出した言葉だから、この本の中でもこんなに強烈に感じたのかな、と思いました。
あ、念の為断っておきたいのですが、私は不倫というものは全く支持しておりませんし、おそらくこの先も不倫を支持できる人間にはなれないと思います。
(今までのnoteを読んでいただけたら多分お察し頂けるかと思います苦笑)
したがって、引用の文章は不倫に関するものですが、下記の記述は不倫や恋愛に限った話ではない、ということをご理解いただけますと幸いです!

自分の願いを叶える時、誰かを傷つけるとしたら。
今までの私だったら、絶対に人を傷つけない方を選んでいたと思います。
なぜなら罪悪感が私にとって一番怖いものだから。
(あとコミュ障なので誰かと深く感情を絡ませ合う(特に負の感情)みたいなのが一番嫌なので、喧嘩とかいがみあいになるくらいだったら一切のコミュニケーションを遮断する、という方法で他人を遠ざけていました…我ながらひとすぎる…お母さんごめんなさい)
罪悪感に苦しむくらいだったら欲しいものは諦めるし、何もいらない。
って思っていたのですが、それって自分にすごく不誠実なことだなって、最近思います。
自分の本当の声を聞き取る力、そして自分の望みを叶えるために向かっていく勇気が無ければ、本当の幸せって手に入らないと思います。
そしてその望みを叶える時に、とんでもない逆風が吹いて、ボロッボロに傷つくことがあると思います。
自分の今まで生きてた居心地のいい世界が壊れるほどの。もうそこには戻れないほどの。
でも、自分の望みを叶えるために、必要な過程だと思うのです。
それを味わえず逃げることも出来ますし、それを味わうより諦めた方がいいと選択する幸せの形もあると思います。
(私はずっとそっちを選択してきました)
でも、それを逃げずに経験したからこそ、シヅエさんの言葉が強烈な力を持っていたのだと思います。

あれ、やばい、いつの間にか文字数が…。
要するに私がこの一節から思ったことは、
人生は自分に対して真摯に生きれば生きるほど、とんでもなく苦しい、ということ。
でも、自分に対して真摯で無ければ、それもまた、ずっと苦しい、ということ。
だったら前者の方が学びがあっておもろいじゃん!ということです。
他人じゃなく、自分に対して。
自分に対して真摯でいたくない時はそれでいい。
でも、自分に対して真摯でいようとする気持ちを諦めない自分でいたいのです。

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